第12話 ほんの小さな、些細な恨み(2/3)
準備を終えたベルーガは静かに目的地へ向かう。
いつもと変わらぬ様子で、しかし闘気を全身にみなぎらせながら。
腰に手をやれば、なじみのある自分の刀とアリスから託されたレイピアの存在を感じる。
「……ふぅ」
気合十分、小さく息をつくとアブサン家の別邸――リカールの滞在している屋敷へ足を踏み入れた。
意外にも門番はおらず、誰でも入り放題だった。
気味の悪さを感じつつも、標的がいるであろう場所を目指して屋敷を探索する。
「…………アリスさん?」
屋敷をくまなく探し、たどり着いた地下室。
部屋に用意された椅子にはアリスが静かに腰を掛けている。
広場で顔を合わせた時のような、めかし込んだ姿。
髪は丁寧に整えられ、薄く化粧が施され、女性的な華やかな服を身にまとっている。
だが――その瞳は虚ろだった。
「……アリスさん?」
「…………」
問いかけられても、彼女は何の反応も示さない。
そっと、肩に触れれば温もりを感じる。命を奪われたという事ではなさそうだった。
だが――意志は奪われてしまったようだった。
「――へぇ。こんなところにまで来たんだ」
少年のような無邪気な声を聞き、ベルーガは殺気を向ける。
「平の警邏官が、令状も持たずに来たってことは……そういうこと、なのかな?」
秘密を見られたリカールは仕方なしに苦笑しつつも、壁にかけられた護身用の刀へ手を伸ばす。
「……手前、アリスさんに何をした?」
「……僕の
リカールは刀を腰のベルトに挿すと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「だって、彼女、ちっとも僕を愛してくれないんだもの。ちゃんと、心変わりができるように背中を押してあげたのに、ね」
人格を消す薬。
恐らくはそれを使ったのだ。
それも身勝手な理由で、婚約者を独占したいがために。
「そっかぁ……君がアリスさんの“好きな人”かぁ……アリスさん、こんな人のどこを好きになったんだろ」
「……自分の婚約者を人形に変えて、それで満足か?」
ベルーガは腹の底から怒りがこみあげてくるのを感じる。
だがそれを表に出さないように努める。
もしリカールが“解毒剤”を持っているのだとしたら、その情報を聞き出さねばならい。
「…………は? お説教のつもりか?」
リカールは心底不機嫌そうにベルーガを睨み付ける。
飄々としているあの男を曇らせてやりたい。
平気な風を装っているあの男を苦しめたい。
「……いいのかな……僕に逆らえば、アリスさんは一生お人形のままだよ」
リカールの取り出した小瓶を見たベルーガの瞳の色が変わる。
恐らくは解毒剤。
人格を消す薬を打ち消せる唯一の薬。
「どうしようかな……こんなもの、僕はいらないしなぁ」
だがその実、中身はただの水だ。
人格を消す薬の解毒剤をリカールは持っていない。だがベルーガを曇らせたい一心で、それがあたかもそうであるかのように振る舞った。
「そういえば、君って“サムライかぶれ”なんだよね? だったら、見てみたいなぁ……土下座ってヤツ」
「…………」
ベルーガは怒りを押し殺しつつも、膝を付いて頭を下げる。
アリスを助けるためならば手段は選ばない。
躊躇うことなく土下座をしてのける。
「っははははは! これが土下座かぁ! いい物を見せてもらったよ」
リカールは高笑いしながら――瓶を床に叩きつけた。
瓶が砕け、中身が飛び散る。
ベルーガは表情を隠すこともできず、絶望を露にしてしまった。
「そう! その顔だ……! その顔が見たかったんだァ……!」
目論見通りにベルーガを絶望させることが出来たリカールは、心底嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ねえ、今どんな気持ち? 土下座までしたのに、好きな人を救えないのって、どんな気持ちなの?」
――『おめぇはまだまだ自分を抑えきれてねぇ』
ベルーガは師匠、スタルカの言葉を思い出しながらゆっくりと立ち上がる。
今まさに、怒りがこみ上げ爆発しそうになっている。
――『隠せ。相手にわからねぇように隠すんだ』
だがそれを表に出してしまえば相手の思うつぼだ。
怒りを悟られぬよう、隠さねばならない。
「誤魔化そうとしたって無駄だよ! 人の心は行動に現れる! どんなに隠そうとしても、僕には」
「――それで、十分か?」
愉快そうに語っていたリカールは話を遮られて顔を顰める。
「……は?」
「今際の言葉は、それで十分かって聞いたんだ……!」
ベルーガはレイピアを引き抜いて構えた。
怒りを仮面の奥底に隠し、始末屋として的を始末する。
私情を一切挟まない、厳格な始末屋の仮面をかぶって対峙した。
「……へぇ、勝てると思ってるんだ」
リカールもそれに応じるように刀を引き抜き下段で構える。
それは“ナガレ流”の構え。
攻防一体、相手によって柔軟な立ち回りのできる流派の構えだった。
「……なんか、ムカつくな」
空気がピン、と張り詰める。
静寂が場を支配する。
「――!」
先に動いたのはベルーガだ。
素早く踏み込み刺突を繰り出す。
彼の本領は刀を使った“カスミ流”の剣術だったが、レイピアでも十分に立ち回ることができていた。
リカールは流れる水のような、鮮やかな動きでベルーガの攻撃を受け流している。
「成程ね――君は実力を偽っていたんだ。無能なサムライかぶれと思わせて、相手を油断させるために――!」
リカールはベルーガは刀をろくに使えないのだと推測しほくそ笑む。
腰の刀は無能な警邏官を装うための飾り。
本領はレイピアを用いた剣術であり、アリスを取り戻すために本気を出している。
ベルーガの激しい攻撃を易々と捌いているリカールは、次第にその攻撃を見切り始める。
「でも、甘いよね――!」
リカールの扱うナガレ流は攻防一体。場の状況に応じて柔軟に立ち回りを変える。
相手の出方が分からないうちは防――守りに徹する。
相手を見切れれば攻――攻撃を仕掛ける。
「僕は――全部分かってるからねっ!」
今度はベルーガが防御を強いられる番だった。
確かに、彼ほどの腕があれば得物が変わってもそれなりに立ち回ることができる。
だが得物が違うという事は、世界が違うに等しい。
間合いの取り方、重心、体捌き――刀とレイピアでは大きく違う。
防戦一方、遂に鍔迫り合いにまで持ち込まれ――
「っ」
刀を翻され、遂にレイピアを手放してしまう。
ベルーガは思わず膝を付いた。
「はははっ! 僕が引きこもりのバカ息子だと思った? 残念! ちゃんと――鍛錬はしてるんだよね」
苦しそうにうずくまるベルーガを見たリカールは勝利を確信し高笑いしていた。
構えを解き、敵がもう反撃してくることは無いと完全に油断しきっていた。
「あの剣、アリスさんのでしょ? っはははは! アリスさんと一緒に戦うぜ~って? 芝居の見過ぎじゃない? 道具に意志なんてあるはずないのにさ!」
ベルーガはゆっくりと腰の刀に手を伸ばし、鯉口を切った。
「どうしてアリスさんの剣を使ったかって――?」
「え――っ?」
一閃。
居合の要領で振り抜かれたベルーガの刀がリカールの利き手を傷つける。
「アリスさんだって、手前にしてやられたままじゃ、気が済まないだろ?」
「あっうっ……て、手が……っ!」
刀は手放さなかったリカールだったが、傷口からぽたぽたと垂れる血を押さえながら痛みに呻いている。
「どうした? さっきまであんなにおしゃべりだったのによ」
「っ……ひ、卑怯者」
ベルーガはその言葉を懐かしそうに聞いていた。
「卑怯、ねぇ……そう言ってたやつは、皆死んじまったぜ」
リカールの顔に初めて恐怖が浮かんだ。
今まで命を脅かされた経験など皆無に等しかった。
自分が殺されるかもしれないと、考えたこともなかった。
「うっ……あっ……!」
手の痛み、はち切れそうな鼓動、自然と上がっていく呼吸。
これが命のやり取りだ。
理屈をどれだけこねくり回したところでたどり着けない、命と命のぶつかり合いだ。
「ま、待って……! 僕を殺したら、どうなるか分かってるの?」
刀を弾き飛ばされ、切っ先が肩にあてがわれる。
殺される。
交渉に使えたかもしれない偽の解毒剤はもう無い。
頼れるのは親の権力だけだ。
「僕は、総本部総隊長のむっ、息子だ……! いいか? 僕を殺せば、父が黙っていない……!」
「……だったら、何だ?」
命乞いを聞いたベルーガの顔から、始末屋の仮面が剥がれ落ちる。
むき出しの怒り、散々他人の人生を弄んできた者への怒り。
それを見たリカールは、自分はもう助からないのだと悟った。
「ま、待って――」
袈裟斬り。
そして刺突。
「手前の親が誰かなんて、知らねぇよ」
急所を貫かれたリカールの体が崩れ落ちる。
「俺は、ただ手前を始末してくれと頼まれたから、始末しただけだ」
ベルーガは血振るいすると、ゆっくり刀を納めた。
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