第25話 満開の恨み花(3/5)
カレンは仕事道具の
やり方を変えてから初めての仕事だ。いつも以上に慎重にやらねばならない。
先端を鋭く研ぎあげ、およそ裁縫に使えないほど鋭利に仕上げる。
伊達メガネを外し、仕事着に着替えると標的の待つ場所――その邸宅へ向かった。
「――どうなってんだこの報告書はッ!」
彼女は首尾よくマーレイの屋敷へ侵入、人目を避けながら廊下を進む。
半開きになった書斎の扉から怒鳴り声が響いてくる。
「どうしてこんな簡単な仕事もできないんだ! えぇ!?」
「も、申し訳ありません……」
カレンは隙間から部屋の様子をうかがう。
秘書と思われる女性がマーレイに頭を下げている様子が見える。
「あ? 声が小さくて聞こえねぇよ!」
「もっ! 申し訳ありませんでした!」
「うるせぇッ!」
「きゃっ!」
理不尽極まりない叱責にカレンは辟易した。
あれでは何を言おうと怒られてお終いだ。
「よし、脱げ」
「へ……?」
「本当に申し訳なく思ってるなら、どんな格好でも頭地面にこすりつけて謝れるよなぁ!?」
見てられなくなったカレンは静かに腰のベルトから糸を引き抜き、縫い針を秘書の首めがけて投げる。
「きゃっ!」
糸を繰って素早く引き寄せると、その首に腕を回し締め落とす。
「な、なんだ……?」
マーレイはあっけにとられて扉の向こうを見つめる。
カレンは秘書の首に絡まった糸を外すと、投げ縄のように回す。縫い針が空を裂きひゅんひゅんと音を立てる。
「だ、誰かいるのか……?」
恐る恐る扉に近づくマーレイ。部下に対しては強気に出れていたが、得体の知れない相手には及び腰だった。
彼の右足首に糸が絡みつく。
「うわっ!」
カレンは思い切り糸を引きマーレイを転ばせる。受け身も取れず体を叩きつけられた彼は呻きながら再び起き上がろうとするも、カレンは素早くその背に飛び乗り組み伏せる。
「動くなよ。このやり方は初めてなんだ。下手に動かない方が楽に死ねるぜ」
「おまっ! まさか始末屋!?」
後頭部をカレンに押さえつけられながらもマーレイはどうにか抜け出そうともがく。
「くっ! クソ! この肝心な時にアイツはどこほっつき歩いてやがる!?」
マーレイは用心棒のジュリがおらず泣き喚く。
日頃から他者を顧みず、蔑ろにしてきたツケが回ってきたのだ。
いくら彼が助けを求めようとも肝心の人望が無いのだ、誰も彼を助けようとはしてくれない。
「ま、待てよ! 金ならいくらでもある! いくらで雇われた!? その倍の金をやるぞ!」
最後の望みは金だった。
マーレイは金で自分の命を買おうと悪あがきをしている。
「1ゼニーだよ」
カレンはブーツから
始末屋は金の大きさで仕事をしていない。
大事なのはその金に込められた恨みの大きさだ。
「いっ!?」
首の骨の神経、頚髄は生命維持に欠かせない重要な神経だ。
それが破損すれば人は死に至る。首の骨が折れて死ぬのは、この頚髄を含めた重要な器官が破壊されてしまうことによって引き起こされる。
カレンは
「テメエへの恨みがたんまりこもった、1ゼニーだよ」
神経はあたかも糸のように引き出され、糸を外すかのように切断された。
マーレイは自分がはした金で殺された事実に驚愕しながら絶命する。
人の夢を踏みにじり、巨万の富を築いた男はたった1ゼニーの小銭で始末されてしまったのだ。
「――あ、思い出した。こいつおやっさんを馬鹿にした客だ」
「もう一発蹴り入れてやればよかったぜ」
カレンは廊下で意識を失っているマーレイの秘書――元秘書を起こすと、静かにその場を去るのだった。
人の命は吹けば飛ぶような羽よりも軽い。
夜、眠りについて次の朝目覚めることができなかった。そんな話を子供のころからよく聞かされていた。
明日があるかわからない、だから今日を精一杯生きなさい。
今日命が終わったとしても“いい人生だった”と満足しながら楽園へ行けるよう、悔いのないように生きなさい。
キクナはそう育てられてきた。
「……」
悔いしかない人生だ。
好きな人を守れず、遠い異国の地で人を殺すような人生。
後悔しかなく、死んでも楽園へはいけない最低な人生。
いくら人の命が軽いと言え、自分で奪うのは初めての経験だった。
カミラの屋敷の門の前に立つと、自然と吐き気がこみ上げてくる。命がけで逃げ出したのに、戻ってきてしまった。
逃げ出した時とは逆の道で屋敷へ侵入する。
遊びの後始末をするための用水路から、遊び場へ。
今も凄惨な拷問が繰り広げられているそこへ、キクナは戻ってきた。
「――あら? 誰かと思えば」
今まさに、カミラは遊びの真っ最中で、少年を痛めつけて愉悦に浸っていた。
「私の責めが恋しくなっちゃったのかしら?」
キクナはゆっくりとペンダントを握り締め、思い切り引きちぎった。
腹の底から怒りが湧き上がってくる。
怒りが恐怖心を上回り、ペンダントを握る手に力が入る。
「■■」
彼の口から唸り声のような音が響く。
それは大陸の言葉、彼の故郷ドランネストの言葉だ。
「……?」
カミラは不可解な現象に目を丸くしている。
今まで自分が圧倒的な強者――いたぶる側だったが、それが逆転していることを悟る。
「人が燃えるなんて、大陸ではよくあることですよ」
エレメントクリスタルは魔族の放つ“魔法”の余波によって生まれる鉱石。
人類は魔法を使えなかったが、それの力を解析し魔法に近い能力を発揮する術を手に入れた。
大陸の人間が魔族に絶滅させられない理由は、クリスタルの力である程度抗戦ができるからである。
「ま、待ちなさいよ……私を殺したって、あんたの恋人はもう帰ってこないのよ……!」
「はい……わかっています。でも――」
キクナは右手を広げて口元へ持っていき、綿毛を吹くかのように息を吹きかける。
まるで蛍火のように火の粉が舞い上がった。
「
再び唸るような声。
火の粉が一斉にカミラの体へまとわりついた。
「きゃぁぁぁぁっ!」
全身を燃え上がらせたカミラはのたうち回り、鎮火させようと水瓶へ駆け寄る。
「熱いっ! ひっ! みずっ!」
熱さで身を悶えさせながら、頭から水瓶へ飛び込む。しかしクリスタルの力で生み出された炎は水では消せない。魔法の一端を再現した炎は魔法でしか消すことができないのだ。
彼女は全身の炎が消えないことでパニックとなり、水瓶の中で暴れ始める。
もがいてももがいても、その炎が消えることはない。
彼女が人を苦しめてきた分、その身を焦がし続けるのだ。
「もっと早く、こうしてればよかった……」
炎に包まれた足が動かなくなる。カミラは水瓶に上半身を突っ込んだままの間抜けな姿で息絶えた。
もっと早くにこの力を使っていればハルシャは死なずに済んだかもしれない。
同じ人殺しになるなら、もっと早くにこうしていればよかった。
「ごめん……ごめん……っ!」
キクナは一人、涙を流すのだった。
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