第15話 今宵の仕事(2/3)

 会計書類を作り終えたカマロは大きくあくびをした。

 マーレイ商会幹部の座に上り詰めたは良いが、結局は雑務から解放されることは無かった。

 幹部と言えど死ぬまで働け――それがマーレイの方針だった。


「……さて、続きは明日にするか」


 まだまだ作らねばならない資料はたくさんあったが、夜も遅かったため彼はそれらを後回しにした。

 日付も変わった頃合いだったが、夜更けでもやっている屋台や酒場はそれなりにある。夜泣きそばは遅くまで働き疲れた体に沁みるのだ。楽しみがあるからこそ徹夜仕事も捗るというものだ。

 同時に、そんなことにしか楽しみを見いだせていない自分が物悲しくなる。


「はぁ……」


 彼は夜道を歩きながら生え際が後退しつつある頭に触れる。

 マーレイ商会に入ったのは16の頃。当時は希望に満ち、働けばいつか大金持ちになれると信じがむしゃらに働いた。

 働いて働いて、たまの休みの日には勉強して、また更に働いて。

 出世と引き換えに浮ついた話は遠ざかり、気が付けば三十路の独身。幸せそうな親子連れを見ると無性に腹立たしくなる。

 そして終いには人には言えない非合法な事業の片棒を担ぎ、尻拭いをしている。


「どこで道を間違えたかね……」


 とはいえ彼は一切後悔していなかった。

 不仲な両親を見て育った彼に結婚願望は無く、むしろ独り身で自由を謳歌できていて満足だ。

 非合法な事業? バレなければいいのだ。世の中、馬鹿正直に働くほどに損をする。どんなに手を汚そうとのし上がった者こそ正義なのだ。


「あのバカ女。そろそろ消し時かもしれんな」


 カマロはゴールデンエース号の船長をクビにして新しい船長を雇おうか思案する。

 秘密をろくに守ろうともせず憂さ晴らしに人を殺す者などリスクでしかない。あんな女のために自分のキャリアが崩壊したら最悪である。


「クク……始末屋に依頼してみるのも一興かもな」


 まさか自分が始末屋の標的になっていることなどつゆ知らず、彼はくつくつと笑いをこぼす。

 ひんやりとした夜風に乗って甘い花のような香りが漂ってくる。

 ふと視線を上げると、向こう正面から女性が歩いてくるのが目に入る。艶やかな黒髪に潤んだ瞳、青のイブニングドレスを身にまとった姿はさながら夜会の参加者である。


「ほぉ……」


 女性――アリアドネの美しさに目を奪われカマロは思わず足を止める。

 淑やかで儚げな雰囲気は彼の好みに突き刺さっていた。こんな美しい女性を射止めた男はさぞ幸せに違いない。

 彼は自分には縁がない話を鼻で笑いつつ歩みを再開しようとし――アリアドネが目の前に迫っていることに気づく。


「……あの、何か?」


 カマロは怪訝な表情で問いかける。万が一にも自分に美女の知り合いはいない。だからこそ用がある雰囲気で佇むアリアドネが不思議でならなかった。

 アリアドネは手に持った仕込み傘から錐を引き抜く。切っ先が月光を受け輝いている。

 あまりの美しさに彼は自分の命が脅かされていることに気づけなかった。

 切っ先が自分の胸に吸い込まれていくのをただ茫然と見守り――


「――おい、ぼうっとするな」

「ウッ!」

「!」


 カマロは突き飛ばされ九死に一生を得る。あのまま立ち尽くしていたら心臓を貫かれていたことだろう。


「まさか本当に始末屋が現れるとは驚きだ。用心棒を雇っていて正解だったな」


 彼を突き飛ばしたのは赤茶色の髪の少女。蛇を思わせる鋭い瞳に華奢で小柄な体を黒いスーツに包んでいる。その正体は昼間、アリアドネの夫であるモノと接触していた少女、ジュリだった。


「お、おお……助かったぞ」

「こいつは私が始末するからお前はさっさと逃げな」


 彼女は腰の投げナイフを手に取るとカマロを庇うように立つ。


「……!」

「おっと、追わせるものか」


 アリアドネはカマロを追いかけようとするも足元に投げナイフが突き刺さり足を止める。

 カマロはその隙に逃げ出した。


「世の中バカが多くて困る! 人がちょっといい目を見てるだけで妬んで仕返ししに来やがって」


 彼は毒づきながら家路を急ぐ。とても寄り道ができる精神状態ではなかった。

 口からこぼれるのは身勝手な恨み言。自分に嫉妬した誰かが始末屋を寄越したのだと見当違いな推論を吐き捨てていた。


「――おや、これはマーレイ商会の」


 目に入るのは警邏隊の制服。夜回り中の警邏官の姿。


「ああ、この間の昼行燈か」


 カマロは警邏官がベルーガであったことを知り落胆する。凄腕とまで行かなくても普通の警邏官であれば始末屋を捕えることができるだろうが、無能な昼行燈にそんな芸当ができるとは到底思えない。


「そんなに息を切らして、どうかなさいましたか?」


 能天気な調子で問いかけてくるベルーガに思わずカマロは舌打ちしそうになる。彼が最も嫌いなのはお気楽で無能な人間である。

 この前の証言の際も余計な一言のせいで危うく隠ぺいシナリオが崩壊しかけたのだ。ベルーガの顔を見るだけで腹立たしさが湧き上がってくる。


「どうもこうもあるか! 始末屋に襲われ――」


 苛立ち交じりに答えようとして――腹に鋭い痛みが走る。


「始末屋が! それは大変だ」

「うぐ……っ!」


 気が付けばベルーガは抜刀しており、その刃がカマロの腹に深く突き刺さっている。

 ベルーガは能天気な表情を崩さぬまま刀を押し込み急所を刺し貫く。


「……早いとこ手前てめえを始末して、捕まえに行かなくちゃな」


 彼は刀を引き抜くと血振るいし納刀する。

 カマロは驚愕に染まった表情のまま崩れ落ちた。



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