第96話 閑話 決戦前夜 2
――御堂瞳――
「この度はお言葉に甘えさせていただき、感謝いたします」
宮さまの言葉に続いて私達も揃って頭を下げます。
10人を超える大所帯を受け入れてくださったお二人には感謝しかありません。あの会議に出席した者であれば、最後の手段として私たちに危害を加える可能性もありました。それを危惧して安全な場所を手配してくださった玲二さんにも心の中で感謝を伝えます。
「とんでもございません。色々とご不便をおかけすると思いますが、あと一日の辛抱ですのでどうかご容赦を」
如月さまがそうお応えになりました。玲二さんと綿密な連絡を取り合っていることは知っていましたので、私達の事情はよくご存じのようです。
そのことは皆も理解したのでしょう、特に侍従の皆さまの顔に緊張が走りました。
ですが、宮さまはそんな侍従たちのことなどまるで気にもせずに、如月さまに向かってお声をかけられました。
その内容は私たちの想像の埒外にあるものでした。
「如月さん、と仰いましたね? つかぬことを窺いますが、重蔵さんとは?」
そう問われた彼の顔に驚きが浮かびました。私達はもちろん如月さまもその言葉は想像していなかったようです。
「重蔵は本家の祖父の名ですが……お知り合いで?」
訝しげに問い返した如月さまに対して宮さまはそのお顔を綻ばせました。
「まあ! やはり重蔵さんの面影があると思ったのです。久、貴方も覚えているかしら? あの京都騒乱の最中に酉井門でお会いしたと思うのだけれど」
「酉井門……おお、あの一団を率いていた男か!
おばばさまも如月さまのお顔を見て、なるほどと頷いていらっしゃいます。
「いまでは鴻巣医療グループの総帥よ。お爺様はお元気かしら?」
「今は入退院を繰り返していると聞いています。ですが自分は不肖の孫なもので……」
鴻巣医療グループといえば私でもその名を知る日本全国に病院を持つ一大派閥です。政界にも大きな影響力を持つと聞いています。
ですがご実家の話題はあまり触れられたくないのでしょう、如月さまは浮かない顔をされています。
それを見て取ったユウキさまが話題を変えられました。
「貴女の名は藤乃さんだったな? 少し診ていただきたい人がいるんだが、そこまでご足労願っても構わないだろうか?」
そう言ったユウキ様は近くの部屋を指差しました。
「そういえば鍵のかかった部屋がありましたね? 中に人がいることは解っていました。後で伺わねばと思っていたのです」
「先ほどは貴女の一族だと言っていたので、恐らく顔見知りだと思うのだが。食事が届くまで時間があることだし、言葉で語るより実際に見てもらった方が早いな」
宮様の一族? ……それはまさか。
「桂! 茉莉! ああ、なんということ!」
その寝室で寝かされている二人を見た途端、宮さまは只ならぬご様子で駈け寄られました。
「封印の地で神木に縛り付けられていたところを助け出してきたが、今は仮死状態だ。先ほど話に出た護り巫女で間違いないか?」
「ええ、間違いなく土御門と御影小路に送られた巫女たちです。擬死の咒を自らに掛けたのだと思いますが……二家はユウキさんに深く感謝することでしょう。してこの二人は何処に?」
「南と西だな。場所はどこだっけ? そうそうシマネとナラだ」
「馬鹿な。あれから二時間と経っておらんぞ……」
おばばさまの呻くような声に同意します。あんな遠方に出向いて二人を救出し、ここに戻られたというのでしょうか?
そして一瞬だけユウキさまがこちらに視線を向けました。なるほど、小笠原諸島から一瞬で東京に戻ったあの呪具を使ったのですね。
「玲二が今最後の封印に向かっている。救出が終了すれば連絡が来る手筈だ」
「巫女の救出でもお礼申し上げなければなりませんね。どれほどの感謝を口にしても言い足りないほどです」
「それには及ばない。こちらにも目的があって手を貸しているし、知らぬこととはいえ事態の悪化に一役買ったからな。責任もってこの件は始末をつけるさ」
「すべては私が不覚を取ったのが原因なのです。責めを負うべきはこの私です!」
先ほど車内でおばばさまと宮さまから北の封印は破壊された状況をお聞きしました。限られたことしか知らされていない当時はあの行為で封印が解かれてしまった事など想像することなどできません。
玲二さんとユウキさまは葵に頼まれて私を助けてくださったのに、そのことで皆から非難をされるなんて耐えられません。
「ユウキさんを責めるなど、とんでもありません。貴方がたが居なければ悪神に操られた芦屋の手によって巫は殺され、この国は滅んでいたことでしょう。感謝しこそすれ、非難など考えたこともありませんよ」
私を諭すように宮さまが仰いました。
私の安堵の溜息を聞かれたユウキさまがとりなすように告げた一言は忘れられません。
「そう気に病まない方がいい。明日には全部終わらせて全てを過去の出来事にするんだからな」
全く気負う所のない、ごく当たり前の口調で告げた言葉には自信さえありません。
この方はただ確信しているのです。
葵を、茜様を苦しめる元凶は明日の夜には始末すると。
「なんと剛毅な」
その言葉におばばさまも気圧されています。皆の同じ反応ですが、茜さまは眼に熱いものが見えます。その身と娘である葵に降りかかる苦難に思いをはせたのでしょう。
その姿を見て私は悔恨に身を焼かれる思いがします。
どうして茜さまと葵が苦しまねばならないのか。
本当ならば、私こそが巫であったものを。
「瞳よ、あまり思い詰めるものではない。巫には不明な点が多い、お主に何の落ち度があろうか」
「ですが、二人の苦しみは本来私が負わねばならぬものでした……」
実は巫には証となるべきものがあります。下腹に三角の痣が生まれ落ちた時から存在するのです。
私にはそれがあった。今となっては朧げな記憶ですが、確かにあの時まで私には巫の証がその身に刻まれていたのです。
ですがあまり覚えていないのですが、3歳の時に原因不明の高熱を発し私は生死の境をさまよったそうです。それから回復したとき私の体から痣が消えていたのです。
そしてその直後に生まれた葵の体にはあの痣がありました。
産後の肥立ちが悪く、母は私を生むとすぐになくなってしまいましたので茜さまも葵もそのことは知りません。
私が負うはずだった運命をあの子に背負わせてしまった。
それが私の業、消えることのない永劫の罪なのです。
だからせめてあの子のためにこの命を使おうと決めました。鍛錬を積み、あの子の鉾、そして盾として死ぬために生きてきました。
芦屋に不覚を取り生贄として捧げられた時、許されないこととは思いつつどこか安堵する気持ちもありました。
ようやくこの人生が終わる、贖罪の日々が終焉を迎えるのだ、と。
それなのに私を助けることであの禍の封印が解かれ、そのせいで葵が更に追いつめられることになってしまいました。
悔やんでも悔やみきれません。私の命は葵の為にあるのに、助けるどころか危機に晒してしまうなんて。
やはり私はあの夜に死んでおくべきだったのです。
「瞳。貴方になんの非があるというのですか? これは私たち母娘が解決する問題なのですよ」
私の不甲斐なさが茜様にご心配をおかけしてしまったようです。本来であれば葵を想い、その苦しみに耐えておられる茜さまが私なんかを気遣ってくださる。
申し訳なくて涙があふれてきてしまいます。
「あらあら、泣き虫瞳はもういないのではなかったの?」
そうでした。葵を守ると決めた時に、もう泣かないと決意したはずなのに。
その時、私の前に白い布が差し出されました。
「玲二を信じろ。明日には全部片付ける。あんたたちを悩ませる存在は綺麗さっぱり捻り潰してやる」
ユウキさまでした。その声は決して力強くはありません。でも、その言葉は不思議と私の心に染み入って体中から力が溢れてくるようでした。
玲二さんと行動を共にする中で、彼から幾度もこの方のお話を聞きました。
玲二さんはこの方を誰よりも深く信頼しています。
この方のように生きたい、いつもその背中を追っていると話していたことを覚えています。
その気持ちがよくわかります。ユウキさまを主人と呼ぶ小夜子さんを妬ましく思う気持ちが抑えきれないほどです。
「はい……はい!」
その後に小さく呟いたあの方の声を聴いたときは体が熱くなってしまいました。私のために怒ってくれている。そのことがどうしようもなく嬉しかったのです。
「ったく。女を泣かすたぁ、ろくでもない敵だな。二度と復活できないように徹底的に殲滅してやる」
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