第95話 閑話 決戦前夜 1
――御堂瞳――
「なんとまあ……」
私の隣でおばばさまが呆れたような声を上げて目の前のホテルを見上げています。
「葵から話は聞いていましたが、本当に凄いものですね」
普段は隠れ里に籠っている私達一族にとってこんな豪華なホテルは縁がありません。
ここに辿り着くまでに琴乃と麗華がスマホでこのホテルを調べてくれたのだけれど、ほとんど情報が探れなかったようです。精々解ったことは完全予約制で飛び込みのお客は受け入れられないことくらい。
それなのにそのホテルから迎えが来て私達はその威容に圧倒されています。
「まあ、入ってみようじゃないか。ドライバーも歓迎すると言っていたんだし、追い出されることはあるまいよ」
「そうじゃの。参ろうか」
「ええ、楽しみになってきました」
こういう時は怖いもの知らずの麗華が居てくれて助かります。
おばばさまも宮さまも彼女の言葉に触発されたようで、身構えることなくホテルのエントランスに向かいます。
そのとき、私達の背後で車が停車しました。そして宮様の侍従らしき4人の壮年女性が駆け出すようにこちらへ向かってきます。
宮さまが私たちの車に同乗したからあの方々が置いてきぼりにされてしまったのです。よろしいのでしょうか、と幾度かお尋ねしたのですが、宮さまは構いませんと笑うのみでおばばさまと談笑されていました。
「宮さま! お戻りなさいませ。皆様お怒りにございます」
彼女たちを代表して厳しそうな白髪の女性が宮さまに申し出ましたが、当の御本人は平然としていらっしゃいます。
「明石、私はこの事変が終結するまで社に戻ることは有りません。今こそこの御国を守護する御役目を果たす時、皆の後ろに隠れている訳にはまいりません」
「なりません、御身大事にございます」
主人の安全を第一に考える侍従の皆様の言葉は間違ってはいないと思うのですが、宮さまは聞き分けのない子供を諭すような口調で言葉を続けました。
「この国に降りかかる禍は逃げ隠れしてどうにかなるものではありません。立ち向かうか、滅ぼされるか、その二つのみなのですよ。命を惜しんでどうなるというのですか、皆もそう心得なさい」
侍従の皆様もあの説明の場に居らっしゃいました。厳然たる事実を突きつけられ、力なく項垂れておいてです。
「なんということ。これまで綿々と受け継がれてきた鷺ノ宮の血統が……」
「あら、明石は随分と諦めがよいのですね。私は希望を捨ててはいませんよ、必ず禍は退けられ、この国に平穏が訪れます。私はその光景をこの眼に焼き付けるためにここにいるのです」
「宮さま……」
「でも困ったわ。貴女達がついて来てしまうなんて。今から人数の追加などお願いできるはずもないのに……」
頬に手を当ててその端正なお顔を憂いに染めている宮さまですが、確かにこの最高級ホテルだと横紙破りは難しそうです。侍従の皆様はどちらにご滞在なさればよろしいのでしょうか。
「皆様、ようこそおいでくださいました」
そのとき、私達の背後であるホテル側から穏やかな男性の声が掛かりました。
「まあ!」「へえ、これは……」
琴乃と麗華の驚く声につられて振り向くと、そこには車椅子に座った優しげな青年の姿がありました。
葵から話は聞いていましたが……確かに玲二さんと双璧を為す顔立ちをされています。
「ほう、なんという二枚目。いや失礼した。そちらは如月どの、でよろしいか?」
「ええ、玲二から話は聞いています。どうぞこちらへ、そちらの方々もどうぞご遠慮なく」
如月さまは侍従の皆様にも声をかけると自分たちをホテル内に招き入れました。
そしてホテルの従業員に何か話しかけています。きっと人数が増えることを申し伝えているのだと思います。
そして豪華な玄関口に案内されたのですが……その時になって初めて私は如月さまの車椅子を押している方に気付いたのです。
「まあ!」「我が主!」
そこには先ほど席を外されたユウキさまがいらしたのです。その姿を目にするだけで自然と鼓動が早まります。あの夜、私の中に流れ込んできたあの力、思い出すだけで気分が高揚するようです。
喜びを隠すことなく彼の元へ駆け寄れる小夜子さんが羨ましく思います。
「その呼び方止めてくれないか? 外聞が悪すぎるんだが」
「そんな……承知いたしました。ではいかように?」
「ユウキでいい。俺の方が年下だぞ?」
確かに彼の容姿は玲二さんより僅かに下のように見えますが、その覇気と雰囲気はとてもそうは思えません。ただそこに有るだけで風格が滲み出ています。この方の前で膝をつくことに何の不思議も覚えないほどです。
それなのにさきほどまで彼が居ないように感じていたのは、きっと先ほどの会議と同じように気配を消す力をお持ちなのだと思います。
「我が主を呼び捨てなどできません。どうか先輩と同様にユウキ様とお呼びすることをお許しください」
「……わかった」
今にも土下座して頼み込みそうな様子を見たユウキさまは苦虫を噛み潰したようなお顔をされています。
玲二さんから話を聞いた事がありますが、本当に堅苦しいのがお嫌いのようですね。
小夜子さんがその態度を続けるのは得策ではないと思うのですが、あの人は彼をひたむきなまでに見上げていて気付いていなさそうです。
「部屋にご案内します。どうぞこちらへ」
ユウキさまに車椅子を押された如月様が私達を
エレベーターホールを超えた先にある不思議な区画で突然、壁が割れてエレベーターが出現して驚き、最上階が一層丸ごと一部屋であり、そこを借り上げていると知ってまた驚きました。
「豪華の極み、じゃの。ここまでくると何も言えんわ」
おばばさまが溜息と共にソファーに身をゆだねています。宮さまと侍従の方はお寝みになるお部屋を探されています。なにしろ寝室だけで4つもあるのです。皆様楽し気にこのフロアを探索されています。
「安全を重視すると選択肢は限られるのでね。俺もこんな場所を長期間借り上げていると聞いて驚いたが」
ユウキさまはなんと私たちにお茶の準備をしてくださっています。悲鳴を上げた小夜子さんと私がその手から道具を奪い取ると自分たちで淹れ始めました。
「いや、招いた客人にそこまでさせるわけには……」
「お世話になるのはこちらなのですから、これくらいはさせてください」
このティーポットは絶対にお返ししません。サヨコさんと二人でその意思を示すとユウキさまは困った顔をされています。その様子がおかしかったのか、隣の如月さまは柔らかく微笑まれました。
「ユウキから聞いたのですが、皆さまお食事がまだらしいですね? よろしければホテル側で用意してもらいますよ」
「どうかお構いなく。これ以上ご厚意に甘えるわけに参りません」
茜さまが如月さまの申し出をお断りになりました。まったくその通りのお言葉です。
確かに今日は色々ありました。朝には南の島に居たなんてユウキさんたち以外に誰も信じてはくれないでしょう。それから葵を狙う芦屋の当主が乱入して、私達はあの妖魔が生み出した大量の敵を撃退し、この会議に臨んでいます。
私達は時間があったので食事は摂れたのですが、おばばさまたちは夕刻に訪れた玲二さんと話し合いあった後こちらへ向かわれたとの事ですから、あれから何も召し上がっていないと思うのですが。
「そう言わずお付き合い願いたい。自分は空腹でね、一人だけ食事を頼むというのは格好がつかないもので」
「はは、ならばご相伴に与ろうかの。茜、腹が減っては戦が出来ぬというであろう、このままでは戦う前にこちらが力尽きてしまう。せっかくのご厚意じゃ、お受けする」
「玲二様に受けた恩義にも何一つお応えできていないというのに……有り難く頂戴いたします」
茜さまがユウキさまに頭を下げているとフロアの探索を終えた麗華や宮さまたちがお戻りになりました。
「いや、これは凄い。これまで公演で色々なホテルに泊まったが、ここまで贅沢な部屋は初めてだ。本当にここに泊まっても構わないので?」
「長期契約を結んでいるので、使っても使わなくとも料金はかかるんです。だったら使ってもらった方がいいでしょう」
麗華の言葉に応えた如月さまは彼女たちにも食事の有無を尋ねています。最初は遠慮した二人もユウキさまが口添えすると途端に了承しました。
きっと二人も空腹を抱えていたのだと思います。
こうして私たちはこちらのお二人によって安全な一夜を過ごすことになったのですが、その後に驚きの展開が待っていたのです。
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