第71話 最強少年はクルーズ船を堪能する。



 セレブリアル・ビヨンドは去年就航したばかりの最新鋭豪華客船だ。


 いや、超豪華客船の間違いだな。


 スペック調べたら14万トンの巨体に客と乗務員合わせると5千人も腹の中に入れちまえるビッグホエールだ。


 北里さんとの交渉を終えて葵たちの元に戻ったんだが、その後も本当に追っ手の追跡が止まないのには閉口した。

 土御門の探知能力は異世界の隠蔽系魔導具を凌駕する力を持っているようで、何を着けさせてもこちらに向かってくるのだ。


 戦えば敵にもならないのは解っているが、北里さん情報で追っ手は何も知らされていない上に、こちらを傷つけるなとも命じられているらしい。

 そんな彼らを倒すとこっちが100%悪人なので逃げの一手しか取れないのだ。


 <マップ>で接近は関知できたので、実際に追跡者たちの姿を見ることはなかったんだがとにかく精神が磨り減るのは実によろしくない。

 異世界より帰った当日に葵もこんな思いをしていたわけだ。その後で追っ手と向き合うあたり、その精神力は大したもんだとひっそりと感心したりもした。もちろん口には出さないが。

 


 瞳さんから探査魔法の限界について話があったのはそんな時だ。


 古来より日ノ本を霊的に守護する役目を追っていた陰陽師たちは全国津々浦々をあまねく網羅すべく様々な手段を講じた。土御門の技もその一つで、その効力を俺達は誰よりも味わっていたが、その力は本州など日本の4島とその近場の島までしか対応できていない可能性があるんだそうだ。ちなみに北海道も昔は日本の扱いじゃなかったのではかなり怪しいらしい。


 四国から脱出するのにも手間取っていた俺達だが、その時ばかりは運が天に味方した。島である四国は多くの四方に港があり、いっそのこと船で国外脱出したろかと意気込んだがパスポートの問題で挫折した(当然である)。


 ならば離島だ、それも日本から超離れた場所にある離島ならどうだろうと思い付き如月さんに相談するとここから近場の神戸からクルーズ船が出ることを調べてくれた。何事にも準備の良い彼は予約に手間取るであろう俺のために諸々の準備をも請け負ってくれ、俺は土下座せんばかりの勢いで彼の恩情に縋った。


 なんだろう、本当に俺は日本に帰って来てからというもの仲間に助けられてばかりだ。俺は少しでもみんなに何かを返せているんだろうか。



 そして彼の手配で神戸港にやってきた俺達は超豪華客船の威容に度肝を抜かれた。


 俺は勿論葵も瞳さんもクルーズ船というものは初めて、さらに”はい・そさえてえ”な皆さまが集う豪華客船など縁がない。

 如月さん、とんでもない船があるんですがマジでこいつであってんですか! と<念話>で呼びかけたが、彼も激務のさなかだったので実際はホテルのコンシェルジュに準備を頼んでいたらしい。


 彼がいるホテルは俺と葵が泊まったあのセントオリエント・アーツだ。つまり超がつく最高級ホテルであり、そんなホテルのコンシェルジュが紹介するクルーズ船も同ランクの船って事なのか……


 俺がスマホで写真を取って送ると彼も驚いていた。きっと彼の方に請求が行くと思うが、今の俺は隠れ里で手に入れた超大金がある。既に<アイテムボックス>に入れて皆と共有しているので、彼への負担になることはないはずだ。


 別に普通のフェリーでいいんだけどと何度も思ったが、毎日何往復も便が出ている訳でもないし、これを逃せば4日後の便になってしまうそうだ。


 追われている状況でそんなのんびりできるはずもなく、俺達はその豪華客船に乗ることを決めた……というか乗らなきゃキャンセル料めっちゃ取られるので乗らない選択肢はなかったんだが。

 唖然とする瞳さんと違い、ドレスコードどうしようとかよく解らんことで悩んでいた葵はやはり大したタマなのかもしれなかった。


 そんな気楽なことを思っていた時期もありました。


 

 通されたのがアイコニック・スイートとかいうとんでもない最上級の部屋だったんだ。


 やばい、この部屋はヤバい。間違いなく全客室の中で一番デカい部屋だ。客室の面積が限られる船旅は金をケチるとマジで窓もない船室を宛がわれる(窓代わりのモニターがあってそこから外が見ることができるみたいだ)が、この部屋はその真逆だ。

 超広いうえに眺望も最高だし、テラスはあるわバスタブはあるわ、なによりガラスの天井から空が見える。クルーズ船の最上階の部屋なのだ。


 まかり間違っても3人で泊まる部屋じゃない。寝室も2つあるし、何人で泊まる想定になっているんだよここ……


 他の部屋はないのかと外国人の乗務員に尋ねるとここ以外は満席だという無情な知らせが返ってきた。しかし低グレードな部屋にはぽつぽつ空き部屋もあるのは乗客から聞いて知っていたので乗務員はここ以外は通さないプロ根性を発揮したようだ。


 まあ金払っちゃってるし、楽しむかと開き直ったのが2日前だ。そして丸一日の船旅を経てこの小笠原諸島にやってきたというわけだ。




「葵、下手すりゃ今日の夜にでも事態は動く。準備をしておけよ?」


 ユウキとの通話を終えた俺はソファーでゴロゴロしている葵に声をかけると当に名跳び起きた。


「えっ、それまた随分と急だね。こうしちゃいられない! お姉ちゃん、行かなきゃ!」


 船内案内のパンフレットを見ていた瞳さんの手を引いて葵は奥のウオークインクローゼットに駆け込んだ。


「まあどうしたの葵? いつでも動く準備は出来ているじゃない」


「それはそれとしてまだ回っていない施設あるじゃない、スパも行けてないし後で行かなきゃと思ってチェックしてたカフェも、あのパン屋さんもおいしそうだったし、なによりオンボードクレジット使い切ってないもん。コスメ買って来ようよ!」


 デカい船だけあってカジノやシアターはもちろん、プールやフィットネスクラブまでなんでもござれだ。


 レストランだけで8か所もあるし、そのほかに専用ラウンジまであって、海原の光景に飽きた俺達は昨日色々回ったんだが、全然見切れていない。葵が今行ったオンボードクレジットってのは船内だけで使える電子マネーだ。如月さんが言うにはこういった高い部屋にはサービスとしてくっついてくるみたいだ。

 だが一人当たり日本円換算で約5万とか、この部屋は一体いくらしたんだろう。送られてくる明細を見るのが今から怖いぜ。少し前まで残金200円以下だったとは思えないな。



 慌ただしく部屋を後にした葵たちを見た俺だが、確かにせっかくの機会なので俺もこの船を堪能してみたくなった。

 北里さんが陽介にアポ取ってその場に俺が乱入する計画だが、どんなに早くとも今日の夜だろうしまだ時間はある。

 この部屋からの眺望は文句なしに最高だが、変化のない海原を2時間も見ていれば流石に飽きる。リリィも船旅の序盤で暇を持て余してユウキの元へ戻ったし、昨日はレストランをハシゴして一流シェフの腕を堪能したが、もう少し見聞を広めておこうかな。


 猛烈に高くついたこの部屋にいれば無料で様々なサービスを受けられるが、俺は出歩くことにした。この部屋担当のコンシェルジュにこの島で正式に下船することも伝えなくてはならないしな。



「あら、原田さん、お一人ですか?」


 この区画はスイートの人間しか入れないようになっているし、こんな高い部屋を利用する人間は限られている。

 俺達と同ランクの部屋を使っているのはなんと1人の老婦人だった。


 皐月さん(苗字らしい)と名乗った品の良いご婦人は男一人と女二人という奇妙な組み合わせの俺達に興味を持ったのか、二言三言会話をする関係になっていた。


 本来の長期クルーズではこういった旅の出会いも楽しむものらしいので俺達も一般の旅行客のように振る舞っているが……変な組み合わせだから誤解されまくっている気がするぜ。


「はい、二人は買い物に。男はついてくるなと怒られました」


 女の買い物に付き合うなんて絶対に嫌だったので昨日その流れになった際に文句を言ったらそう返されたので嘘ではない。

 それを聞いた皐月さんはおかしそうに口元に手を当てた。一つ一つの所作に品があり、こんな部屋に泊まれるだけの社会的な地位を持ち合わせていることを自然と相手に教えていた。


「ふふふ、紳士たるもの、女性の扱いは心得ておかねばいけませんよ」


「難しいです、生涯の難題になりそうですよ」


 女は俺にトラブルを持ち込む存在なので絶対に遠慮したい。


 彼女も同じ方向に向かうようなので俺もその隣に並んで歩く。



「あら、でもその心遣いがあればお相手の方はきっとわかってくれるはずです。こんなお婆ちゃんの歩く速度に合わせてくださるのですから」


「いえ、これは当たり前の事ですよ。褒められるような事じゃありません」


 そう答えるが、彼女はその足を止めてしまった。いったい何が、と思えば彼女は胸を押さえて顔色を白くしている。肺か心臓か解らないが悪い予感がする。異世界で人の死というものが身近だったせいか、空気というか雰囲気の変化に敏感になったようなのだ。


「大丈夫ですか!? 人を呼びます!」


「いえ、大丈夫ですよ。いつもの事なので、少し休めば元に戻ります」


 皐月さんの口調から、俺はこの場の裏にある意思を感じ取った。きっともうどうにもならない段階に違いない。彼女が一人でクルーズ船に乗り込んだ意味など、余計なことを考えてしまう。


「何がご予定があったんですよね、自分でよければ代わりますよ」


「……そうね、お手数だけどお願いしようかしら。この手紙を私の実家に送るように乗務員の誰かに頼んでいただける?」


「……わかりました。皐月さんはここで安静にしていてください」


 俺達のグレードの部屋は内線電話で呼べばいつでも専属の人間が駆けつけてくる。そのことを知らないとは思えないが、それを踏み込んで尋ねるには彼女の事を知らなさ過ぎた。


「ごめんなさいね」


 本当は苦しいのだろう、柔らかな笑顔の彼女だが額には汗が浮かんでいる。おせっかいだが医者を呼んだ方がいいなと考えた俺は通路の座椅子に彼女を座らせるとこの道を行った先にあるインフォメーションセンターに向けて足を進めた。



 なんか妙なことになったな、と思いつつも今日の夜までは事態は動きようがないし、これくらいはしてもいいかなとこの時は軽く考えていた。



 老齢のご婦人がこの時期にこの地方に来る理由など、ガキの俺には想像すらできなかったんだ。




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