第69話 閑話 背教するかつての麒麟児 後編




「まずは自己紹介からしておくか。俺はユウキ、玲二の仲間だ。それで、玲二からは何と聞いてるんだ? アイツは時たま肝心な事を言い忘れる癖があってな、一応確認させてくれ」


「こちらにつけば力を与える、と。その方法は今日ここに来れば教えるとも」


 私の正面に座る金髪の少年の相貌はどこにでもいそうな外国人、という表現が最もしっくりくる。ユウキと名乗った彼は初老のマスターを呼び、私のと併せて幾つかの注文を済ませるとそう切り出してきた。


「なるほど、ほとんど何も伝えていないのか。あんたもよくそんな限られた情報だけで信じる気になったな」


「正直ここに来るまでは半信半疑だったわ。でも遣いのあの女性と貴方を見て確信に変わった。埠頭の倉庫街を一瞬で消滅させた術者が目の前にいるのだもの」


 目の前の少年は本物の力の持ち主だ、それが解っただけも収穫だが私はもう一つ大事な情報を得ていた。

 原田玲二はユウキという本物の超越者を動かすことができる。

 この事実はどんな情報よりも価値がある。今からでもご当主さまにこのことを伝えるだけでも、私は覚えが目出度くなるだろう。


 だが、そんなことは私の頭にはなかった。背後からの濃密な殺気が私の精神を痛めつけているからだ。


「二人とも、大概にしろ。お前らが脅すからまともに会話も出来ねえじゃねえか。これ以上邪魔するならどっかいけ、迷惑だ」


 彼も背後の二人が私に殺気を向けていることに気付いていたのか、助け舟を出してくれた。すると物理的な圧迫にまで感じていたあれほどの重圧が一瞬で消えた。

 

「そのようなことは決して」「我が君の仰せのままに」


「まったく、お前らも座ってなんか頼めよ。俺が無理やり立たせてるみたいだろうが」


「それは承服いたしかねます」


「うむ、我が君の前や橫に座るものは数多あれど、主の傍に侍ることを許されるのは我ら二人のみ。この特別な場所は誰にも譲れぬのだ」


 2人からは絶対的な忠誠を感じられるが、その誠を捧げられた本人は疲れた顔をしている。


「本当に言うこと聞きゃあしねえ。悪いな、こいつらは銅像だと思って気にしないでくれ。もう迷惑はかけないはずだ」


「いえ、私が分を弁えず非礼を働きました。どうか御許しください。そしてその御力をお授け下さいますよう、伏して御願い申し上げます」


 私は席を立つと膝を折って頭を下げた。背後の2人は力を与えてもらう立場であるにも関わらず、頭のひとつも下げない私に怒りを覚えていたのだ。


「おい、頭を上げろって。俺はそんなことをして欲しい訳じゃない」


 ユウキは土下座する私に驚いて立たせようとしているが、正式な礼を示したことで背後からの重圧は消え去った。

 これでひとまず合格、ということかしら。


「ったく、話が進みゃしねえ。玲二は他に何か言ってたか?」


「はい、私の力を10倍に引き上げてやる、と」


 その一言で私はこれまでの全てを別れを告げる決心をした。陰陽師のトップ層と比べて私の力は3割ほどだ。もし言葉通りに10倍もの力が手に入ったら私は全陰陽師の頂点に立てることになる。

 さすがにそれは高望みだと解ってはいるけれど、これまで自分の無能ぶりに絶望ばかりしてきた私にとって原田の言葉は初めて垂らされた蜘蛛の糸に等しい。


 たとえその先に破滅が待っていたとしても摑まないわけにはいかない。



「10倍ねえ。そりゃまた」


「難しいでしょうか……」


 どだい無理な話なのは分かっている。太古の昔に作り出された霊薬でさえ、伝承に残っているのは数倍に力を増幅させるのが精一杯。10倍だなんて夢のまた夢……


「いや、随分と小さい望みだと思ってな。少し北里さんを”見させて”もらったが、最低でも10倍は保証してやるよ。そこからはあんた次第だが、伸びれば100倍や200倍だって不可能じゃない」


 10倍が最低!? 望めば100倍でも可能性がある!?


「うそ、でしょう……そんな、ことが、あるなんて……」

 

「まあ、言葉だけで信じろというには無理があるな。だが玲二の奴も最初に出会った時はあんたより力は下だったぞ。まあ、あいつは色々特別だけどな」


 あれだけの超常の力を持つ原田玲二が、私より劣っていた!?


「いかなる修行をもけして厭いません! どうか、どうかその試練をお与えください!」


 これまで数多くの陰陽師が挑んではリタイアしてきた様々な荒行をこなしてきた身だけれど、それほどの力を得るにはどれほどの苦難が待ち構えているのか想像もできない。

 でもこの方は出来ると仰ってくれた。現実に打ちのめされてきた私にはどれだけ救いになったことか! たとえその果てに命を落としたとしても悔いなどあるものですか。


「おいおい、玲二はあんたの助力を期待してるのに修業なんかしてたらこの騒動は終わっちまうだろうが。心配するな、時間なんか一刻もかからんよ」


「そんな! 一体どのような秘術が」


 ようやく本題に入れるな、そう苦笑したユウキはマスターが届けてくれた焙じ茶で喉を湿らせると私の目を見据えて言葉を紡ぎ出した。



「基本的な質問で気を悪くするかもしれないが、最初に聞いておくぞ。北里さん、あんたは自分の中の霊力とやらは自覚できるか?」


「いえ、歴史に名を遺すような大陰陽師でもそのようなことはないはずです。私も、他の皆も霊力をその身に宿しているかどうかの判断は、符を用いて術を行使したときだけだと思われます」


 私に基礎を教えて下さった伽耶さまもそのようなことはお教えくださらなかった。私は特に目を掛けて下さったとも思うし、その中でいろいろとためになるお話を伺ったけれど、霊力を自覚できるなんてことは聞いたことがない。


「だろうな、地球の霊力とやらは薄い。あまりにも薄すぎて多くの人間は内蔵する回路が錆び付いて完全に休眠状態だ。誰もそんな力を人間が秘めていることさえ気づいていない」


 衝撃の内容に言葉が出ない。この方が今の状況で口から出まかせを話す意味がないとはいえ、初めて耳にする話ばかりだ。


「そこでさっきあんたが言った”扉を開く”という言葉はまさしくその通りの意味でな。まさに玲二は確信を突いた言葉を口にしていたのさ」


「まさか……」


「ああ、俺はあんたの体に眠る魔力回路を起動させてやる。だからさっきも言ったろ? 10倍の力は保証してやるが、そこから先はあんた次第たとな」


「……」


「俺は他人に力を与えることはしない。よく解らない理由で都合よく与えられたものは、都合よく取り上げられちまうもんだ。だが本当の力ってのは誰にも奪えない、自分で積み上げ練り上げた力だけは決して裏切らない」


 この御方は、本物だ。

 

 滔々と語られる言霊が、私の魂を掴んで離さない。


「あんたは誰にも奪えない自分だけの力を手に入れろ、俺はその手助けをするためにここに来た」


 騙されたとしても後悔はない。私はこの御方に全てを賭ける覚悟を今まさに、本当の意味で固めたのだった。



 私の前にはユウキ様の手が差し出された。


「決意を固めたなら、俺の手を取れ。男嫌いにこう持ちかけるのは気が引けるが、これ以外に方法はないから諦めてくれ」


 どこかおかしそうに語るユウキ様に私は笑みを浮かべ、その手を取ろうと両手を差し出す。


「だが、本当にいいんだな? よく考えたほうがいい、俺の手を取ったならば、もう後戻りはできない。悪魔に魂を売り渡す覚悟はできたか?」


 この方は何を言っておられるのだろう。


「天使は聞こえのよい慰めの言葉を並べるだけで、私に何も与えてはくれませんでした。ならば私は機会を、そして力を与えてくださる貴方を選びます」


「これまでの生き方は出来なくなるぜ? 親兄弟、同僚、全てに別れを告げることになる」


「原田玲二の言葉に頷いた時点で、全てを捨て去る覚悟を固めてこの場にいます」


「そうかい、もう言葉は不要か。ならばこう告げるべきだな。ようこそ、こちら側へ」


 

 その瞬間、世界が変わった。



 全身の細胞が脈打つのを感じる。

 視界は明瞭になり、彩色豊かにひかり輝いている。

 心臓の音がひどく心地いい。

 自然と涙が溢れ出て止まらなくなる。


 世界はこんなにも色鮮やかだったなんて。

 私は今まで何を見ていたの? 


 自分の目はどれだけ節穴だったのか。

 自分の耳は命の喜びを聞き。

 自分の鼻は命の香しさを嗅ぎ取っている。


 神は確かにここにられた。

 キリストでもアッラーでもない、我が国の八百万の神でもない。


 異郷の神。人はこの御方を魔神と呼びならわすのかもしれない。

 でもきっとそれも正しいのだ。ただ与えるだけの善神ではなく、容赦なく奪う悪神でもあるから。

 私はこの御方を讃えるただ一人の神官に……なれればこれ以上の歓びはないのだけれど、側に控えるお二人がそれを許してはくれないわ。

 ただ、この全身から溢れ出る感謝をお伝えしたい。



 そして体中から力が溢れてくるのを自覚する。滾々と湧き出す豊かで清冽な霊力を。


 これは私の力だ、本来備わっていた私自身の力。


 愚かな私は自分を信じることができず、己の声に耳を傾けることができなかった。

 なんて恥ずかしい、今になってこんなことに気付くなんて。



 ああ、私は今この時を以て本当の自分に生まれ変わったのだ。



 私は溢れ出る力に歓喜と高揚感を覚えつつ、その意識を薄れさせた。



 こうして陰陽師北里小夜子は死に絶え、ユウキ様の忠実な手足である小夜子が新たに生まれたのだった。



 そして意識を失った私はユウキ様方がこのような会話をしていたことなど知る由もない。




「なあ、俺の弟子二人もそうだったんだが、なんで魔力を起こしてやるだけでみんなガチ泣きしてんの? ヤバい薬にドハマりしてるみたいでめちゃくちゃ怖いんだが。別に力を与えたわけでもない、ただ魔力を通して回路を稼働させただけだぞ。実際、玲二や雪音はこんなことなかったんだが……」


「我が君はその偉業を少しは自覚した方がいいな。他人の内部にいとも容易く干渉するなど、絶対に有り得ない事なのはご理解しているはずだが?」


「そりゃわかってるつもりだ。別に誰かれ構わずやるわけでもないしな」


「ですがユウキ様は今回、あまりにもその御業を軽々しくお与えになりました。いささか不可解に感じます」


「玲二が必要だと判断し、俺もそれに応えた。ユウナはそれに何か異論があるのか?」


「いえ、そのようなことは。ただ、玲二さんが逗留先で行ったように魔導具やスクロールの授受で済んだ気も致しましたので。申し訳りません、差し出口を申しました」


「まあ、お前らに隠し事は出来ないな。確かに目論見もある。ユウナに調べてもらってるが、ちょいとキナ臭いことになってきただろ。最悪の場合、こちらに長期避難する可能性も出てきたからな。その場合、日本に地盤があって俺達の希望を最優先に動いてくれる人材が欲しかった」


「なるほど、キタザトはこちらの術師勢力でもなかなかの規模を持つ家の跡取りだそうですね、取り込むには悪くない選択かと。流石の慧眼、御見それいたしました」


「そういうの止めろ。君の方がよほど優秀だろうが。それに彼女みたいに逆境に負けずに立ち向かおうとしてる奴、君は好みそうじゃないか。険悪にならず仲良くしてやれ」


「まあ、もうそれは大丈夫かと。納得もしましたので。どのみち”処置”もございますし」


「”処置”言うな。君が言うと怖く聞こえるぞ、まったく。意識を失った女を俺が介抱するわけにもいかないしな。後を頼むわ」


「あとは全てお任せあれ。我が君」




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