第68話 閑話 背教するかつての麒麟児 中編


「力が欲しいか?」



 その言葉が私の体の芯を穿ち、敢えて目を背けてきた衝動を呼び覚ます。




 あの山中で原田が私を拉致した後、目を覚ましたのは謎の洞窟だった。


 突然あの少年が目の前に現れたと思ったら、私は小脇に抱えられそのまま風のように運ばれた。

 あまりにの出来事に何が起こったのかも解らず、こんなことに巻き込んだ張本人に問い質すと訳の解らないことを言い放つ始末。


 そして気付けば私は原田によって宙を舞っていた。

 崖の上から飛び降りたのだと知ったのは、相当後になってからだった。 




「気が付いたか。頭を打たせた覚えはないが、なかなか目を醒まさないから心配したぜ」


 気付けば私は敷物の上に寝かされていた。体の異常を様々な面から確認し、何もされていない事を確かめた。女嫌いと性欲の有無は必ずしも一致しない。


 私が意識を覚醒させた事を原田は気付いたようだ。目も開けていないのにどうやって判断したのか疑問だが、この少年が巻き起こしてきた様々なことを思えば些事に過ぎない。


「……ここは?」


「崖下にちょうど良い洞窟があってな。気を失ったあんたをここに連れてきた。百戦錬磨の陰陽師も流石に紐なしバンジーは堪えたようだな」


 からかうような口調に気分を害した私は反論することにした。


「久し振りの快眠だったわ。最近寝る暇もないほど忙しいのよ。誰かさんが雲隠れしてしまったから、その捜索に駆り出されてしまって」


 嫌みをこれでもかと乗せて返したが、原田にはまるで効いていないようだ。表情を変えることなく話を続けた。


「あんた陰陽寮の所属だろ? そっちまで動員かけてるのかよ」


 その問い掛けからするに、原田は情報を欲しているようだ。

 なるほど、こんな手の込んだ真似をした意味が少し解った。


「私はなにも喋らないわ、と言いたいところどけどこの程度すぐに調べがつくから教えてあげる。寮に属する一門衆に問答無用で呼び出しがかかっているだけ。陰陽寮自身も3家の突然の豹変に困惑しているわ」


 賀茂の宗家から突然の厳命が下り、私は否応もなく巫の捜索に駆り出された。

 陰陽寮の仕事など当然放り出している。

 今の陰陽寮は開店休業状態に違いないが、力関係は4大宗家の方が圧倒的に強いから文句も言えないでしょうけど。


「そうなのか。敵対してない所があるって解っただけでも収穫だな」


「ご当主様達が何をお考えなのか知らないけれど、早晩捕まるのだから早く諦めなさいな。是非とも私の手柄になって頂戴」


 上が何を考えていようとも、私のような下っ端にその意思など図れるはずがない。

 ならば少しでも手柄を重ねて本家に戻る努力をすべき。陰陽寮で功績を残すより、本家絡みのこの案件で金星を上げる方が余程価値がある。


 そう考えたが、目の前の少年が納得するとはとても思えないわね。


 そう考えた私だけど、思いもかけない返事が帰ってきた。


「手柄ねぇ。そんなことより、わざわざあんたをここに招いたのには理由があるんだよ」


「密談でもする気? 生憎と実家からも見放された落ちこぼれに利用価値なんて……」


「北里さんの実家は賀茂一族でも大層な名家らしいじゃないか。葵の里でもあんたの名前は売れてたぜ?」


「千年続く伝統を傷付けた面汚しとしてね。なんの役にも立たないわ」


「そうでもないさ。人脈、縁故、歴史に拠る知識。伝統から来る無形の力ってのは案外侮れないもんだぜ。なあ北里さん。あんた、俺たちの方に転べ裏切れよ」


 まさか、本当に裏切りの誘いとはね。


「本家や陰陽寮を裏切って私に何の得があるというの?  交渉するならもう少しましな材料をならべなさいな、やはりまだ若い……」


 そのとき、洞窟内を凄まじい霊力の嵐が吹き荒れた。実体はないはずなのに、体にその奔流を受けて体を持っていかれそうになる。


 これだ。この圧倒的な力があの倉庫街を破壊したに違いない。


 なんて出鱈目な力、”芦屋八烈”が束になって掛かってもこの力の前には無為に屍を晒すだけ。


 そう思うたび、私の中に醜くどす黒い感情が沸き上がるのを抑えきれない。


 この一万分の一の力でもあれば、私は……



 表情を消すのは上手くなった。涙を流すのは誰も見ていない場所で。能面のようと言われようが、憐れまれるよりかはずっといい。


 そうやって生きてきた。どんなどん底に落ちようが必ず這い上がってやる、その気概は忘れずにやってきたつもりなのに。



 本物の力を前にして、その羨望を……どうしようもないほどの嫉妬を隠せなくなってしまった。


「どうして……どうして私には……才能が、ないの?」


 だから生まれて初めて、弱音を、吐いた。



 そして彼は、私を堕とす言葉を紡いだのだ。



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