第58話 最強少年はいくつかのことに気付く。
今朝の天気は快晴だ。そろそろ梅雨の足音が聞こえてきそうな時期だが、まだまだ春が元気なこの頃である。
そして今日、俺はこの里を発つ。
葵を送り届けたらすぐに離れるつもりが思わぬ足止めを食った形だが、この里で得たものは多い。
不良在庫と化していたアイテムを超高額で買い取って貰えたし、あの美味い米も肉と交換してもらう手筈が整っている。
ここに閉じ込められた時はどうなるかと思ったが、総じて良い結果に転んで大満足だ。
特にあの薬草に関しては里で増産体制を整えてくれると確約をもらったのは大きい。
代価としてポーションを渡す約束にしているが、交換レートとしては馬鹿馬鹿しい程の乖離がある。
里は特製薬草を1束1万強で知り合いに販売しているそうだが、ポーションはどんなに安くてもその5倍以上はするからな。
命のかかった緊急時に即座に回復できる手段を各自携帯できるってのは、本当に大きい。俺もそれで数人の冒険者仲間を死の淵から救い出すことに成功している。
そんなアイテムと薬草の交換に久さんは恐縮しきりだが、俺にとってはここの薬草の方がよほど価値があるのは前に述べた通りだ。
お互いが得をする実に良い取引だと思う。
俺は今、日課の走り込みとして里の外周をもう一度走っていた。
「やっぱり、なんか阻害されるな」
意識して周囲を探ると、微細な違和感を感じ取った。これが俺の距離感を狂わせている原因なのだろうが、恐らく結界の効果の1つに立ち入るものの距離感を惑わす作用があるんだろう。
リリィなら詳しく探ってくれそうだが、あの夜更かし妖精にとって早朝とは存在しない時間帯だ。昨日も深夜アニメをマラソンしてスマホに実況コメントを打ちまくっていたに違いない。
まさに迷いの森とでも言うべき効果だが、ここまで俺に気付かせないとは正直、恐れ入った。
多分昨日瞳さんから正確な数字を教えられていなければ認識を阻害されていることにさえ気付かずにこの地を去っていただろう。
この結界のさりげなさは見事なもんだ。迷わせることにも気付かせないとはな。
なまじ高い魔力があり、困ったら力業で対処しがちな異世界人では思い付きもしない発想だ。
俺も力こそパワーでごり押しする事が多いのでこういった技術は実に参考になる。
<マップ>を使って実際の距離と体感のズレを測っていたら、里の外に珍しい反応がある。人がいるのだ。隠されたこの里は物資の搬入も月一の制限があると聞くが、俺の脱出と同時に外部からも人を入れるのか? 連絡手段が限られているらしいが、葵も芸能事務所で出来たんだし他にもあるのかもしれない。
だが朝6時前から待機してるって変な話だ。結界が開くまであと数時間は待つ必要があるんじゃないか?
しかし、まあなんだ。全力で走っているとつい余計なことを考えてしまう。
結局葵はこれからどうするつもりなんだろうか?
今日にもここを去る身であるし、一応故郷まで同行すれば面倒を見た事になるだろうとこれまでは考えていた。
だが茜さんの呪いを見てからというもの、どうにも嫌な予感が頭から離れない。
彼女を解呪したときリリィが口にした血に起因した呪い。あの一族全体が呪われているという意味深な言葉がどうにも気にかかる。
このまま放置すると取り返しのつかない失敗をしそうな、そんな気がして仕方ないのだ。別に葵がどうなろうが知った事じゃないと頭の中の冷静な声が囁くが、俺はユウキからこいつの面倒をちゃんと見てやれよと言われちまっている。
葵が無事に故郷に帰り着き、これにて一件落着であれば気兼ねなく帰れるのだが、こいつの問題は現状で何一つ解決していない。帰郷は緊急避難に過ぎず、状況は棚上げされているだけだ。
俺がこの里で色々と動きまわったので忘れがちだが、芦屋が何故葵を狙っているのかもまだ判明していないし、あそこまで大立ち回りした連中がこのまま諦めるとはとても思えない。
今のままでは葵は無事に送り届けたぜ、とユウキに面と向かって報告は出来そうにない。あいつは俺の心残りを即座に見抜くだろうし、やり残したことあるんじゃないのか? と絶対に言ってくる。そういう奴なんだ。
癪だが俺から話を聞くべきか? いや、マジでそこまでしてやる義理があるか?
向こうから助けてほしいと頭下げるなら別だが、思い返してみると葵は俺に何か頼んだのって店に匿ってほしいと願い出た初日だけだな。
芦屋連中に見つかった時も俺に逃げろと言うばかりで助けてほしいとは一度も言わなかった。瞳さんが囚われた時も茜さんが呪いに苦しんでいるときも俺の力を当てにせず、諦めるばかりだった。
なんというか、あいつの行動には諦観が根底にある気がする。誰にも助けを求めず運命を粛々と受け入れるような、変な意味での潔さを感じるな。
くそっ、なんで女嫌いの俺がこんなにあいつのことを考えなくちゃならないんだ。
柄にもないことをつらつらと考えていたからか、一周のタイムは昨日よりかなり悪かった。つまりは全部葵のせいってことだ。
「最後までご馳走になってしまい、申し訳ありません」
「こちらこそ、とんだお構いも出来ず申し訳なく思っています」
走り込みから戻ると今朝も瞳さんから朝食の誘いがあった。有り難くお受けして最高の和朝食を頂いた後、俺は茜さんに頭を下げた。
彼女の顔色は昨日に続き良いように見える。キュアポーションは今日も仕事をしたようだ。追加でもう少し置いておくか。高価だがこの土産でこれからの薬草供給につながると思えば安いものだ。
「もう少しゆっくりしていってもいいのに」
「確かにここは良い所だな。空気はいいし飯も最高だ、これで女ばかりじゃなきゃ滞在を伸ばしてもいいと思うんだが」
玲二ならそうだよね、と葵は笑う。あの嫌な予感を味わってからというもの、普通にしている今みたいな時でも不穏さを感じとってしまうから困ったものだ。
明らかな神経過敏だが気のせいと切って捨てられないのは<直感>が作動している可能性が否定できないからだ。こいつは名前の通りの効果で第六感が強化されるという微妙な力なんだが、全てが自己判断、自己責任な冒険者稼業を続けていると馬鹿にできないんだ。
そもそも自分の勘を信じられなくなった時点で引退するべき稼業だろうけど。
やはり後で後悔しないためにも自分から聞きに行くべきか? と逡巡していると朝飯に同席している久さんから声をかけられた。
「調べさせたところ、収穫可能な薬草は相当数に上るそうじゃ。あとで葵に案内させよう」
そして今日にも新たな薬草畑を開墾すると請け負ってくれたので俺は礼を告げた。作れば作るほどポーションで返しますと言ってあるし、昨夜の内に俺が渡した薬を使って久さんの慢性的な腰痛が劇的に改善したらしい。
なので彼女もとても上機嫌だった。こいつが商売にできれば最高なんだが、絶対に国に目を付けられるのでこういった関係者に細々と渡すのが関の山だろう。
正直言って今の俺達なら国相手の喧嘩も怖くはないが、そうなれば日本での平穏な生活は望めそうにない。真っ当な商売で稼げるし、そんなリスクを冒してまで金が欲しいわけでもないからな。
「お米に関しては蔵の方に備蓄がありますので、この後にご案内しますわ」
食事を終えた俺に瞳さんが声をかけてきた。
「ありがとうございます。茜さんには漬物のレシピまでご教授いただき、感謝します」
「本当は葵に継いでほしい味なのですけど……」
「ボクは食べる専門だから。お母さんのお漬物は玲二に食べさせてもらうし」
自慢にもならないことを平然とのたまう葵に母親の茜さんはため息をついている。
またこの空気だ……話題を変えるか。
「交換の肉は冷蔵庫にお持ちすればいいですか? マイナス30度の氷漬けにもできますから、やろうと思えば地下の納屋にでも保管可能ですけど」
その場合は溶けない氷を除去するために悪戦苦闘する羽目になるが、この肉の為なら多少の労苦は厭わないだろう。この肉はマジで美味いからな。
俺達は異世界を勝ち抜けた最大の理由は剣と魔法の力ではなく、肉と酒と甘味だと本気で思っている。娯楽に乏しいあっちではこの3つの食いつきが半端ではない。特に富の偏りがえげつないので貴族、大商人などの富裕層は質の高いこれらに平気で金貨の山を築くのだ。
俺達がやっている会員制の高級喫茶店のケーキセットが金貨1枚(20万)なんだが、常に予約で埋まっているほどの人気ぶりなのがいい例だろう。
まああれは特別客だけのサービスなので、有閑マダムたちのマウント合戦の側面もありそうだが。
つまり、目利きである如月さんが八面六臂の大活躍というわけだ。あんだけ金貨を積み上げたのに何で自分はまるで役に立ってないと思えるのか不思議で仕方がない。
「おお。それはぜひ願いたいのう。あの肉はほんに素晴らしいものじゃった」
「ええ、本当に。この里はどうしても生鮮食品が不足しますから。お魚はともかく、お肉となると」
ここでも肉は異世界と同レベルで通用しそうだ。賄賂代わりに相当数を置いておくことにしよう。これで薬草栽培に本腰を入れてくれたら俺も万々歳だ。
「こんなに米を貰って大丈夫なんですか?」
蔵に備蓄してある全てを差し上げますと言い出した茜さんにこちらが戸惑ってしまう。
「ええ、構いません。お米は買い出しのときに補充出来ますし、あと三月もすれば新米の季節ですから。それにあれだけのお肉を頂戴したのです、こちらがお出しするのが去年のお米で申し訳なく思っています」
あれは下心ありありの賄賂です、と言うわけにもいかず俺は黙って頭を下げた。
物凄く今更だが、俺がどこからか肉を出したり1トンはありそうな米を仕舞ってもここの人たちは何も言及しなかった。自分たちが陰陽師という特殊な立場にあるからか、葵が事前にある程度話していたのか、どちらかだろう。
「新米ですか……きっと素晴らしい味なんでしょうね」
「ふふふ、玲二さんはあれだけの力を持ちながら、本当にお料理がお好きなんですね」
「はい。壊すだけの力に何の価値も感じません。それなら俺は価値を生み出す側に居たいんで」
「……本当に葵は良いめぐり逢いをしたものです」
なんか褒めてもらっているが、俺はユウキの生き方を真似しているだけなんで、全然凄くはないです。
妙に気恥ずかしくなった俺は話題を変えようと必死になった。意味もなく<マップ>を起動したりして会話のとっかかりを探すが……あれ?
「そういえば今日は自分が里の外に出る以外に外からも受け入れ予定があるんですね?」
「いえ、外界との行き来は一月に一度のみです。瞳や玲二さんたちの出入りはあくまで例外で、このようなことはこの20年はなかった事です」
「そうなんですか? 外にはもう10人以上が待機しているようですが?」
これまで柔和だった茜さんの気配が突如として険しくなる。いずれは久さんの娘としてその立場を継ぐのだろう、責任を背負う長の空気を纏っていた。
「……玲二殿。今の話を里長にお願いできますか?」
「えっ?」
「今日は誰も招く予定はありません。登山ルートでもないこの場所に複数人も、この山奥の隠れ里の周囲を待機するなど有り得ません。つまり彼等には何らかの意図があるということです」
「なるほど、余所者が意味もなくうろついていると」
茜さんは厳しい表情を崩さず告げた。
「ええ、不測の事態が発生している可能性があります」
どうならすんなりとこの里を出ることは叶わないようだ。
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