第57話 閑話 旧き里のものたち



「こんな時間にすまんの、皆」


 里長は夜更けに集まったものたちを労った。


 屋敷の奥まった場所にある和室には蝋燭の灯りがひとつあるのみで、薄暗い部屋の中には5人の女が顔をあわせていた。


「いや、この時間の参集だ。何の用事かは想像がつくさ」


「この数日は激動の日々ですもの。彼が明日にも立つのならば、こうして深夜に集まる意義は解ります」


 この里の戦巫女の長を努める琴乃とそれを補佐する麗華がそう答え、里長の久は重々しく頷いた。


「うむ。ここにおるのは里の要となる者のみ。互いに知るべきことを分かち合わんとな」


 彼女達はこの里でこれから起こり得るあらゆる出来事について認識を共有しあう予定だった。その中には予期せぬ珍客について話し合うことも含まれている。

 本来ならもっと早く集まるつもりだったのだが、その少年がもたらす様々なものに忙殺されここまで日程がずれ込んでいた。


「ではまずは監視班からの報告を先に。あの少年は基本、夜営地から移動しませんね。瞳や葵が誘わないと野営地から動こうともしないそうです」


「女嫌いだという話だが、おおむね事実だろうね。里には近づきたくもないと何度も口にしていたよ」


「その割にはお主らとは気安く話していたようじゃが?」


「男嫌いとは話が合うのだそうだ。解らない話でもない、互いに意識するつもりがないのでそう見えるだけさ、里長。事実、割り切った気軽な付き合いでもあるのでね」


「ふむ、そうか。して、玲二殿から買い求めた品はどうじゃ?」


 彼女たちは玲二から符術に必要な髪や筆を手に入れている。里長はその効果を尋ねたが、その返答は驚きべきものだった。


「それはもう素晴らしい、文句のつけようがないくらいさ! 術式を簡略化した鬼火でさえ、これまでの5倍以上の威力になったほどだ」


「なんと! そこまで変わるのか……霊力の宿った筆と墨を用い、あの紙で符を為せば不可能などなさそうじゃな」


 感嘆の声を上げた里長だが、その驚きは次の報告で上書きされることになる。


「ふふ、長よ。驚くのはここからだよ、その5倍の威力は琴乃が書いた符で僕が使ったのさ」


「なんじゃと!? 他人が書いた符など使い物になるはずが……あれほどの品ならそのようなこともあり得るのか」


 符は作成者本人が使わないと霊力のが悪く、ほとんど効果のある術にはならないというのがこれまでの常識だった。それが覆されたことになるが、あの少年から買った品は全てが規格外だった。


「あくまで私の体感ですが、あの符なら芦屋相手でも真正面から抗し得るでしょう。それに符を書くのは私でなくとも構わない。それが意味することは……」


「優秀な術師が常に前線で戦える。他家にはない強大な武器となるでしょうね」


 参加者の一人である瞳があの少年に対する興奮をを隠そうともせずに呟いた。


 一人の陰陽師が持てる符は平均して5枚だとされている。符は陰陽師が霊力を籠めて書き上げ当人に代わって術を為すものであるが、新たな符を書きあげると以前に書いて残った符は効果を失ってしまうのだ。術師が符に籠めた霊力を維持できる限界値があるとされ、霊力の多寡にその枚数は比例する傾向にあった。

 仕事に臨む陰陽師は手にした符でやりくりをする必要があるが、日本に現れる怪異は非常に弱く、符を二枚必要とする敵はだった。


 才あるもので8枚、飛び抜けた霊力を持つ4大宗家の当主でも10枚は難しいと言われてるそれを、彼等に限り制約から解き放たれていた。


 更に里長から文字通りの切り札たるスクロールの存在とその威力を知らされると芦屋などなにするものぞ、という空気が広がった。

 戦乙女の歴史は長い。初代巫女に付き従った護衛に端を発するとされ、今では里を守る任を負う彼女たちは全員が他家で陰陽師として活動したことのある実力者たちだ。実戦経験も豊富な彼女は、とかく武勇で鳴らす芦屋一族に対抗意識を持っていた。


「うむ、今回は朗報ばかりじゃ。そして皆も聞き及んでおろうが、霊石の補充がなった。時期を見て真宵まよい祓いの結界を張り直すことになるが、その瞬間が当然ながらもっとも無防備となる。巫女の件で他家の眼も光っておるじゃろうが、危険を冒す価値はあるとみておるゆえ実行に移すつもりじゃ」


 出席者たちは里長の言葉に頷いたものの、その真意を窺う視線も混じっていた。


「おばば様、そこまで急く必要があるのか? 随分とガタは来ているが、結界に綻びがあるわけでもない。耳目を集めてまで強行する意味があるとはとても思えないが」


 麗華が当然に思える疑問の声を上げたが、里長は厳しい顔でかぶりを振った。


「……麗華よ、お主はこの度の騒動の発端を耳にしたか?」


「ああ、勿論だとも。葵が内緒で働いていたのがバレて、そこから芦屋に見つかったという話だったか。そんなこともあるのかと話を聞いたときは驚いたものだが、まさかその友人が芦屋八烈をも圧倒する在野の実力者とはね。これが巡り合わせ、いやまさしく”かんなぎつがい”として相応しいではないか」


 麗華が口にした番とは、里に残る伝説だった。初代の巫女に襲い掛かるあらゆる辛苦を払い除けたという異邦人。

 初代巫女とその異邦人がこの里を開いたという話は子供であれば一度は耳にするおとぎ話だ。麗華は幼いころから特にその話がお気に入りだった。


「うん? これは……」


 周囲に同意者を得るべく周りを見た彼女であったが、思わぬ空気の重さに鼻白んだ。



「冷静になって考えよ、麗華。その話に奇妙な点を感じぬか? なぜ芦屋は写真を見ただけで葵が当代の巫女であると確信した? その力はこの婆が念入りに封じ、今もなお片鱗さえも見えぬというのに。しかし芦屋は周囲全てを敵に回し、本来秘されるべき力を隠しもせず葵を付け狙った。これは確実に葵が巫女であると知っておらねば出来ぬ行動じゃぞ」


 狙われた葵自身が何故露見したのか全く分からないと訝しんでいた。しかし現実として敵は大勢の人間を動員して巫を確保せんと大捕り物を実行し、果てには最高幹部を二人も送り込んできたほどだ。それは周囲への影響が大きすぎて冗談や推測などで行えるものではなかった。


 敵は葵が巫であると間違いなく確信している。だが、奴等はどこでそれを知ったのか?


「それは、確かに。世間では巫など伝説の中の存在、里の者以外に誰も実在するなど思っていもいないはず。となるとまさか内部に裏切りが?」


 ざわ、と部屋の空気が変わりかけたが、それも里長が手で制して抑えた。


「早まるでない。その可能性は無くはないが、もしそれが知られたとしても他家にとって巫女にどのような価値があるというのじゃ? 芦屋の行動は全くもって不可解じゃ」


 確かに、と琴乃と綾乃は顔を見合わせる。里長の言葉通り、敵の行動の意味が理解できなかったからだ。

 だから二人は気づけなかった。その中でただ一人、顔を青ざめさせている者がいたことに。


「しばらくは警戒を密にする必要がある。二人は特にその認識で事に当たってほしい」


「了解いたしました。芦屋の目的がどうあれ、私達はこの里を守り抜きます」




「ふむ、差し当たって共有しておくべきことはこんなところかの。皆、解っておろうが、我等が里を取り巻く情勢は変わった。巫女を里の奥深くに仕舞っておけばよい段階は過ぎ去り、この里の存在を探る他家の眼も出てこよう。これまでと違った対応が求められることになる。それをゆめゆめ忘れるな」


「はい。ですが先祖代々受け継がれた守護の森の術は外敵を易々と侵入させません。それにあの少年から齎された力があれば我等に恐れるものなどありませんわ」


 琴乃の言葉には揺るぎない自信が窺えた。だがそれも当然と言える。今の彼女たちは凡百の術者が千人で襲ってきても撃退できる装備があった。


「うむ、守りは任せた。これからもよろしく頼むぞ」


「おまかせあれ」


 戦巫女の二人は頷いて部屋を辞していった。

 そしてその場には里長の久、その娘である茜と彼女の姉の娘である瞳が残った。


 つまり、巫の一族だけが残った格好である。



「おばば様……今のお話を聞いて恐ろしいことが頭をよぎったのですが……」


 先ほどから顔を青ざめさせていた瞳が躊躇いがちに口を開いた。無言で先を促した久は孫の一人から最も恐れるべき懸念が聞かされる。



、のではないでしょうか? そうなれば葵の、巫女の姿を見ただけで巫女であると認識できるのも頷けます。あの超常の力を前にすれば芦屋一族を支配下に置くことなど容易いのでは?」


 重苦しい空気が部屋に充満した。久と茜もその可能性に気付いていたことはその態度が示していた。先ほどの場でその発言がなかったのは、それを知るのが巫の一族のみに口伝で知らされる秘匿事項だったからだ。



「婆もそれを危惧しておる。だからまず何よりも葵の帰還を優先させた。あ奴を奪われては里の存続自体に意味がなくなるのでな」


 この隠れ里は巫女を外敵から隠すために作られた。ここの住む者たちの心情はともかく、肝心の巫女を守れずに里だけが残っても意味はなかった。


「すでに各所には懸念を伝えておる。ここに至り、問題は我等のみの事柄ではなくなっておるからの。非公式じゃが水面下で折衝が始まっておるじゃろう」


 久の言葉は推測を含まない確定した事実を告げているかのようだった。だがそれも当然と言える。

 既にこれはこの国はおろか、周辺各国にまで多大な影響を及ぼす事件にまで発展していた。

 今の時点で政府や菊の紋章の一家にまで話が飛んでいなくては、危機感を共有していなくては関係者は安全保障の面で無能の烙印を押されることになる。



「初代がその血に封じた特一級の大怪異が再び目覚めたとあってはな」




「葵を、あの子を東京に向かわせた私の判断が間違いでした。この里から出さなければこんなことには……」


 母親の茜の言葉には強い悔恨が含まれていた。確かに彼女が里で隠れ続けていれば起きなかった問題だった。


「茜、それは母も同意したこと。今となっては栓無き事じゃ、我等はこれからの事を考えねばならん」


「そうです。それに悪いことばかりではありません。玲二さんが葵と共に居てくれるのです。それがどれほど心強いか、私は初代様があの人を差し向けてくれたように感じていますわ」


「それは婆も同感じゃ。しかし、我等の事情に与力してくれるかどうか。常々この里で別れると申しておったからの」


「玲二さんは葵を決して見捨てませんわ。寮の同室だった、ただそれだけで命の危険を顧みずあの子を、そして私を助けてくださったのです。彼こそが本物のもものふですわ」



 それに、と言葉を告げかけて瞳は口を閉じた。

 彼女は覚えている。あの夜、諦めかけた彼女を救ったもう一人の少年を。その膨大な霊力を、背負われた力強い背中の事を。


 そして玲二はその少年から告げられていた。

 ここまで付き合ったなら最後まで面倒見てやれよ、と。


 玲二はその言葉に頷いたのだ。


 ならば期待してしまう。どうしても期待してしまう。


 自分をあの暗闇で助け出してくれたように。



 二十歳でその命を終える定めにある巫の呪われた運命をも救ってくれるのではないか、と。



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