第53話 最強少年は感謝を受ける。



 葵の家族問題が一応の解決を見た翌朝、俺は最近サボっていた走り込みをしていた。この隠れ里の外周を回ると約25キロ超だと解ったので周回コースにぴったりなのだ。


 早朝の森が醸し出す爽やかな空気の中、木の根や様々な岩に足を取られるクロスカントリーコースをマラソン選手顔負けの速度で走る。体力錬成と共に突如現れるトラブルに即座に対応する訓練も出来て一石二鳥だ。それに結界の基点が置かれている森の中は空気もいい。

 俺はこれまで排気ガスに晒されていない異世界の空気が最高だと思っていたが、この地もなかなかどうして負けていない。俺が東京しか知らない都会人間だということを差し引いてもこの土地は空気が澄んでいる。

 昨日の飯も最高だったし、やっぱり何がやってそうだよな。特にあの白米はいい、最高だ。俺だけではなく姉貴や如月さん、ユウキにも食わせてやりたい。



 異世界は既に俺にとっての故郷になっているが、日本人として一つだけ不満がある。それは米がないことだ。いや、色々見て回って米に酷似した穀物は見つけたんだが、その形状がいわゆるタイ米などに代表される長粒種で、それも赤かったり香りがついていたりと、俺や姉貴は”これじゃない”と内心思っていた。

 実際ピラフにすればジャポニカ米より美味かったし、適した料理に使えば最高に美味いから文句があるわけではないが、日本人なので慣れ親しんだあの白米が食いたかったのだ。


 ぜひあの漬物のレシピと共に白米を売ってもらおうと心に決めて走り続け、一蹴してスタート地点である俺のキャンプ地に戻ってきた。


 時間は……よし、55分54秒。足場最悪、アップダウンあり障害物ありありのコースでこれくらいの数字なら悪くないのではないか。全力疾走を続けていたので流石に汗だくで息も切れたしシャワーが浴びたいが、来客が来ているのでそちらを先に対応するか。


「おはようございます。走り込みですか?」


 普段は葵の供としてここに来る瞳さんがひとりでここに来るのは珍しいが、それくらいの事情は察せられる。


「ええ、最近日課をサボっていたもので。里の外周を一回りしてきた所です」


「……30キロ以上あると思うのですが、流石ですね」


 そんなにあったかな? まあ俺の距離感も体感だし、実際に住んでいる瞳さんの方が正しいのかもしれない。


「いや、いつもやってることですので。それで、今日は早いですね?」


 普段は葵と共にもう少し遅い時間にやってくるのだが。今は朝の6時半くらいだ。


「ええ、突然のお誘いで失礼かと思いましたが、おばば様、茜様よりご都合がよろしければ朝食をご一緒にいかがでしょうか? と言付けを賜りまして」


 あのレベルの朝飯だとぅ……知らぬうちにごくりと喉が鳴る。しかし、しかしだ。


「有り難い話ですけど、今日一日くらいは家族水入らず方がいいのでは?」


 気を遣ってくれたんだと思うが、俺だってそれくらいは遠慮する。


「いえ、葵も含めて皆さまが是非にと。どうか私たちに感謝を伝える場をお与えください」


 そこまで言われちゃ断る方が無礼か。俺は有り難く誘いを受けることにした。


「解りました。今こんな感じなので、少し時間をください」


 汗だくの格好で向かうわけにはいかない。瞳さんから了承を得ると水を浴びるべく俺は背負っていた背嚢を下ろした。

 ごしゃ、と重い音を立てた背嚢には10キロのプレートが6枚入っている。正直こんなに持たなくてもいいんだが、これより少なくすると背嚢の中でバラストが安定せず左右に重心がブレて余計に疲れるので仕方ない。


「えっ?」


 瞳さんが思わぬ重い音に驚いているが、自己鍛錬を他人に自慢することほどみっともないものはない。すぐ済ませますと告げては俺は簡易シャワー室に入った。




「この度は何とお礼を申したらいいのか、葵の命を救っていただいたばかりか、わたくしの事まで。玲二様は私達親子の恩人です」



 朝食は控えめに言って最高だった。定番のアジの開きだったが、これがもう旨い。白米や漬物は言うに及ばずだが、今朝のMVPは味噌汁だな。白味噌を始めて食べたが思わず唸ってしまう出来だった。昨日の膳は赤味噌だったので全く違う風味だったのだ。

 俺は味噌には全く詳しくないので唸るだけの機械と化してしまった。


 だが美味い。俺の持論だが、最高の食材を贅沢に使えばそこそこの腕でも美味い飯は作れるもんだ。だが、普通レベルの材料で最高の料理を作るには料理人の技量が要る。これこそ俺は料理の妙味だと信じている。

 それを考えるとこれを作ったという葵の母親、茜さんは素晴らしい料理人だ。俺が和食を攻めていたら思わず弟子入りを願ったかもしれない。

 とはいえ俺にはもう異世界で師匠が居るので有り得ない未来だが。

 

 俺としては茜さんと料理談義に花を咲かせたいが、あちらさんは俺への礼を口にするばかりで話が全く進まないんだよなぁ。


「どうか顔を上げてください。自分にも目的があってやった事なので、そこまで感謝を受けるとこちらが困ってしまいます」


 これは本心からの言葉だ。魔石や素材は商売だし、俺達にも多大な利益はあった。

 茜さんの件は……まあ、気まぐれというか、要はアレだ。ふざけた運命をぶっ壊すのはユウキの仲間としての責務みたいなもん……違うな。


 俺はただユウキに褒められたかったんだ。”やるな、玲二。流石俺の仲間だ!”と言われたくて葵の母親の件に手を貸したのだ。


 俺達は皆そうだが、アイツからの称賛の言葉がどんな財宝よりも価値がある。


 如月さんがユウキに頼まれた日本での拠点作りに掛け値なしの本気で取り組んでいるのも、それが望みだからに違いない。


 そんなわけで、本当に気にしないでほしい。むしろ礼はこの食事は十分すぎるほどの最高の返礼なんだが、全然納得してくれないのだ。


 しかしまあ、美人な母親だな。昨夜は夜も遅かったし、茜さん自身も呪いに蝕まれて体調不良だったみたいだが、今は瑞々しい精気に満ちた顔をしている。

 あの糞みたいな呪いの影響からは完全に脱せたようだ。


「お母さん、玲二困ってるってば」


 茜さんの隣で母を宥める葵はこれまで見た事がないほど幸せそうな顔をしている。昨夜は良い時間を過ごせたようだ。


「葵、それはいけません。恩と仇には必ず報いるのもの、特に陰陽師である私たちがそれを欠かせば必ず因果が巡ってくるものです」


「左様。里はおろか娘と孫を救ってくださった玲二殿には必ず報いねば我等の矜持が立たぬというもの。どうか我等の感謝を受け取ってほしいのじゃ」


 里長の久さんまでそう言ってくるので本当に参ってしまう。俺が本心から欲している日本円は既に十分手に入れた。この里で9千万以上も稼いだのに、これ以上頂戴するのは気が引けた。相手の懐具合からしてまだまだ引っ張れそうな気はしているが、限度というものがある。商売相手は他にもいるし、程よく顔を繋ぐためにもこの里一つに集中する必要はないのだ。


「そう言われましても……そうだ、話は変わりますが瞳さんからあの水の説明は受けましたか?」


「ええ、それはしっかりと。まだどれほどの希釈で効果がいつまで続くのかを調べねばなりませんが、常に離れで隠れるように生活していた頃に比べれば……まさか葵をこの手に抱くことができる日が来るなんて。貴方にはどれほど感謝してもしきれません」


「お母さん、恥ずかしいって」


 茜さんの腕の中で身を捩る葵を見ると遠い昔に封印したはずの疼痛が蘇りかけた。俺が死んだ母親に甘えた最後の記憶はいつになるだろうか。姉貴は結構べったりだったが、俺は恥ずかしがって避けていた気がする。悔やんでも仕方ない、全ては過去の話だ。


「その水薬についても礼を言わねばの。むしろ気が咎めるというのなら買取という形にすればよいかの? これからも茜には必要になるであろうし、糸目はつけんぞ」


 俺にあれだけ払っておきながら糸目はつけないときましたか。マジでどんだけ溜め込んでんだろう、この一族は。


「いえ、あの水に関しては商売として提案したものではありませんから、お気になさらず。後になって金銭の話を持ちだすのは道理に反しますよ」


「無欲じゃのう。いや、それでこそ日本男子ひのもとおのこよ。葵め、あれだけ修行を怠けていたというのに、漢を見る眼だけは培っておったか」


「まあね! 玲二は一目見た時からこれは只者じゃないと思ったもん」


「俺は驚いたがな。なんで寮の扉開けたら女が着替えてるんだってよ」



 俺の一言で場が静まった。特に葵が凍り付いており、恐る恐る母親を盗み見ている。久さんは憮然とし、瞳さんは苦笑している。

 なんだこれ? ああ、もしかして……


「おい葵、お前まさか茜さんに話してないのか?」


「そ、そんな暇なんてあるわけ……」



「葵。少しお話ししましょうか。母もあなたとゆっくり話し合いたいと思っていたのです。特にあなたの芸能活動について」


 逃げ出そうとした葵だが、既に彼女は茜さんによって抱きしめられている。つまり、逃げ場はなかった。


「は、はひ。おかあさん……」


 かくして俺は難儀な謝礼攻勢を退けることに成功した。


 葵が俺の勤める街中華に押しかけバイトをしたせいで芦屋に見つかった話の辺りで俺の事は完全に忘れられていたからだ。


 葵、自分の事でここまで怒ってくれる存在に感謝しとけ、と捨て台詞を吐いて俺は屋敷から撤退したのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る