第52話 最強少年は呪いに立ち向かう。



 この里に到着した頃からおかしいとは思っていたのだ。


 葵から以前に家族の話を聞いたことがあったんだが、父親の顔は知らないが母親はいると言っていた。


 なのに実家に帰っても祖母の久さんしか出てこない。


 麗華さんや瞳さんの様子を見れば葵が避けられているとか虐げられてる感じはしないが、危機を脱して命からがら帰郷した娘に母親が会いに来ないのはどういうことなんだと思った。

 俺自身、円満な家庭環境じゃなかったし他人様の家の事情に首突っ込むのもあれだしなと思ってたが……こんなことになってたとはな。



 離れに近づくと、身に覚えのある違和感が襲ってきた。


「結界? こいつを張る必要があるのか……」


 展開された結界は魔石こそ使われていないが、かなり強力なものだった。

 俺が使うような攻撃を防ぐ類のものではないことはすぐに分かった。これは逆だな、中のを外に出さないために構築されたのだ。


 結界で覆う必要がある、これだけで面倒なことになっているのが明らかだ。


「これで封じねば周囲に被害が出るのでな。」


 久さんの言葉は己の罪を告白するような苦さを感じさせた。




「茜よ、少し良いか?」


「おばば様? 来てはなりません。今宵は特に脈動が激しいようです」


 離れの奥から聞こえた声に葵は体を震わせた。


「お、お母さん。あのね、その……」


「葵!? 去りなさい! 貴女は、巫女様だけはここに来てはなりません」


「っ!!」


 躊躇いがちに母親に声をかけた葵だが、奥からは強い拒絶の声が返ってきてこいつは身を震わせた。


 離れの扉は少しだけ開いていた。そこから明かりが漏れてきたので当然ではあるのだが、俺は主人の許しを得ない非礼を承知で離れの三和土に足を踏み入れた。


「夜分に失礼しますよっと」


 俺は離れに入ったが、葵の母親の気配はするもののその姿は閉ざされた扉の奥にいるようだ。


「男性の声、ですか? なるほど、貴方が葵を助けたという」 


「原田玲二と言います。こんな時間ですが、少しお話が出来ればと思いまして」


「近づいてはなりません。我が身を蝕む呪いは周囲の霊力を吸収して悪化するのです。娘の恩人に対し礼を逸した態度であることは重々承知しておりますが、どうかご容赦を」


 凛とした意志の強さを感じさせる声が俺を拒絶した。


「俺、いや自分は貴女の娘さんから助力を乞われてここに来ました。どうか僅かだけでも時間を貰えませんか?」


 <マップ>で葵の母親の状況は認識できたが、実際に目で見て<鑑定>しないと実際にどんな状態なのか把握できない。俺は医者でもなければ呪医(異世界にいる呪いの専門家だと思ってくれ)でもないが、<鑑定>だけは信頼できる。俺の鑑定はより上位の<精密鑑定>なのだ。こいつを持っているのは世界で俺達だけであり、きっと正確な判断ができるはずだ。


「お引き取りを。我が一族、そしてこの身の定めと私は受け入れております。葵、離れなさい。それが巫女たる貴女の務めなのです」


「おかあさん……」


 母親からの明確な拒絶を聞いた葵が項垂れた。いつから呪いが発動したのか知らないが、ずっと昔からこうなのだろう。だからこいつは自分の故郷、家族に良い印象を持てないでいる。


 要はあれだ、葵は母親から愛されていないと感じているんだろう。


 勿体ねぇ、実に勿体ねえな。


 こちとら二親とはどれだけ願っても二度と会うことは出来ないってのに、まだ話し合うことができる二人が無意味にすれ違っている。


 葵は母親からの愛を完全に失うことを恐れているが、俺に言わせればただ怯えて周りが見えなくなっているだけだ。


 何故、離れの扉から光が漏れていた? そんなの彼女が娘を見ていたからに決まっている。久さんが裏庭に案内したのは場所が近く都合が良かったのもあるだろうが、一番は自分の娘に孫を見せるためだろう。


 それにさっきの食事の時、瞳さんが促していたおむすびを思い出す。あの時はなぜ膳の他にあれがあったのか不思議だったが今なら解る。

 母親が娘のためを想ってこさえてくれたのだ。くそ、葵の馬鹿女め、あのおむすび母の手作りはどれほど金貨を積んでも俺にはもう絶対に手に入らないシロモノだってのを理解してんのか?


 俺達が9歳の時に死んだ母親から最後に作ってもらった食事は今でも忘れることができないし、二度と自分で作る気もない。

 女々しいと言われるかもしれないが、あの味を永遠に上書きせず残しておきたいからだ。


 決めた、決めたぜ。俺は何と言われようがこのくそったれな運命をぶっ壊してやる。ユウキはこの程度のふざけた定めは何度でもぶち壊してきたんだ、仲間の俺だってそれくらいはやってみせるさ。


 覚悟が決まった俺は実力行使に出ることにする。ここでも参考にするのはユウキで、この場合取るべき行動は一つだけ。


 俺が悪者になればいい。



「久さん、先に謝罪しておきます。すみません」


「玲二殿、なにを……」


 突然誤った俺に驚く久さんには構わず、俺は扉を前に口を開いた。


「申し訳ないが、自分は問答をしにここに来たわけではないので。失礼します」


 そう告げるや否や俺は周囲が止める間もなく鍵のかかっていなかった引き戸を開けた。

 部屋の中は1人の女性が居た。とても16の娘がいるとは思えない、まだ20代でも通りそうな若い女性が居た。そして母娘だな、と一目で解るほど似通った姿を持った人だった。葵が数年後、髪を伸ばせばこうなるに違いないと思わせる容姿をしている。


「な、何を!」


「<解呪ディスペル>」


 驚く葵の母親に開口一番、解呪の魔法を放った。その瞬間、ぞわ、と黒い靄が彼女の周囲から湧きたつように巻き起こるとすぐに消えた。

 うわ、残滓が目視できるだと? なんつう濃い呪いだよ。だがこれで問題は解決したはずだ。


「い、今のは浄化か? 玲二殿、まさか清めのまじないをも使えるとはの。しかし、いかに強力な咒と言えど、我が一族の枷はそう容易くは……」


「玲二、ボクたちのために動いてくれてありがとう。でもね、これまでも何人も高名な清め師に掛かったけど結局は元に戻っちゃうんだって。いくら玲二でもこればっかりは、さ……」


 陰鬱な顔をする葵を見て、俺は猛烈な不快感に襲われた。こいつは悪びれず平気な顔で俺に迷惑をかけ続ける能天気な馬鹿女だったはずだ。

 自分が芦屋連中に追われていた時でさえ浮かべていなかった生への絶望が顔に現れている。


 その顔を見た瞬間、俺の中で何かが振り切れたのを感じる。


「その呪いって、一族にかんなぎが生まれるとその母親に現れるんだってさ。つまり、お母さんがこんな目に遭ってるのはボクのせいなんだ……」



<リリィ、ちょっと今来れるか? 見てほしいものがあるんだ>


 葵が傍で何か言ってるが、完全に無視していた俺は<念話>で頼れる彼女を呼んだ。


「ん? なにー、どしたん?」


 異世界あっちで姫さんたちと共にいた妖精のリリィが俺の肩の上に転移してきた。いつもながらどうやっているんだと思うが、今はそんなことはどうでもいい。


「彼女の呪いを見てほしいんだ。解呪が効いたんだが、この有様なんだよ」


 俺の<解呪ディスペル>は確実に効いた。あの靄からしてそれは間違いないが、葵の母親はまた新たな呪いに襲われているのだ。


「玲二さん、お気持ちは有り難く思いますが、これはどうにもならぬものなのです。母と娘と共にお引き取りください。このまま私の傍に居ると貴方にもどのような不利益を被るか分からないのですから」



<リリィ、これどう思う?>


 存在自体がバグみたいなこの妖精は何でも知っている。普段はスイーツに溺れ謎ネタにばかり食いつく彼女だが、あのユウキの相棒をやれている実に頼れる存在なのだ。

 だから完全に諦めて運命を受け入れている葵やその母親が何と言おうがリリィの判断の方が信頼がおけた。


「うん、玲二の考えてる通りだね。この呪いって血に起因してるよ。彼女が呪われてるんじゃなくて、一族全体がもう呪いに掛かってる。一度解呪してもまたじわじわ呪いが生えてくるよ、このままじゃ」


 本人じゃなくて一族が呪われてるってのか。巫が何の理由で隠れて生活せざるをえないなか、その一面を表している気がするな。

 だが今はどうでもよかった、気にするべきなのはこの呪いの対処だけだ。


 そう思って深彫りせず気にしなかったこのことを俺は後に後悔するんだが、まあそれはそれだ。


 葵も面倒なことになってるね、どうしよっかこれ。と俺の肩の上で手を組んでうんうん唸ってるリリィを尻目に俺は即座に解決策を思いついた。



 簡単な話だ。一過性の魔法じゃ無理なら持続性、継続性があればいいって事だ。

 俺が毎度魔法をかけるわけにはいかないが、異世界にはそれを可能にする都合のいいアイテムがある。解呪の護符アミュレットを身に着けてもらってもいいが、更に最適な物がある。

 それも山ほど溜まっているから、少し放出しても全く問題ない。




「ですが、今のままだと貴女は葵をその手に抱きしめることもできないのでは? 既に諦めていると仰るが、それは本心からの言葉ですか?」


 俺の問いかけは彼女の何かに触れるものだったようだ。その瞳には炎が見える。


「……どこの世界に、自分の娘を愛しいと思わぬ母がおりましょうか。芦屋に命を狙われたと聞いて、葵の無事を願わぬ日は有りませんでした。叶うならば瞳ではなく私があの子を迎えに行きたかった。母親としての務めを何一つあの子にしてやれず、こうして隠れるような日々を私が望んで送っているとお思いですか?」


 静かな口調の中に大いなる激情が垣間見えた。その言葉は背後の葵にもちゃんと聞こえただろう。


「ならばあなたはこの水を飲むべきだ。このふざけた運命を叩き壊すか、呪いに蝕まれた日々を送り続けるか、選び取るのは貴女です」


 そうして俺は一本の蒼い小瓶を彼女の前に置いた。


 突然現れた男から渡された水を飲めと言われて頷く奴はまずいないだろう。だが、それでも彼女には選んで欲しかった。彼女の為にも、そして葵の、久さんの為にも。


 普通ならこんな怪しい取引を持ち出せば背後の3人が止めに入るだろう。だが俺のこれまでの行動や、なによりも一縷の望みをかけて彼女たちは固唾をのんで見守っていた。



「これで我が子をこの胸に抱きしめられるなら」


 果たして彼女は迷うことなく小瓶を手に取り、その中身を呷った。


 その直後、先ほどの解呪と同様の靄が彼女の体から放たれた。魔法の直後だからか、今の靄はほんの僅かだが、本当に解呪された直後からまた呪いが生え始めたらしい。


 だが、今回はこれまでとは違うぜ。何故なら水は液体で、解呪の効力を保ったまま長時間体内に留まることになる。呪いが生えた瞬間には体の中の液体が力を発揮するはずだ。


 そして呪いから解き放たれたことは結界も示していた。どうやら呪いを感知すると作動するタイプだったらしく、それが消えたのだ。


「呪いが、完全に消えた? そんなはずは……贄としての責務は……」


「茜!」「お母さん!」


 母親と娘が呆然とする彼女に抱き着かんばかりの勢いで駆け寄っていく。


「かあさま、葵。呪いが……この一族を襲う呪縛が」


「よう耐えた。我が娘よ、その辛い役目をよう耐えたな」「お母さん、お母さん!」



 俺のしでかした諸々を謝罪すべきだとは思うが、今は家族の時間だ。


 余所者は遠慮するとしよう。




「玲二さん、本当にありがとうございます。貴方なら葵の苦しみを解き放ってくれると信じていました」


 俺があの家族から離れると、それを見守っていた瞳さんが俺に話しかけてきた。


「たまたまですよ」


「偶然でもまぐれでもいいのです。その奇跡の一度きりが今ここに現れたのですから。私を救っていただいた神の力ならば、あの人たちを助けてくれると……」


 その先は彼女も言葉にならなかった。瞳さんも葵の従姉妹ということはすぐ近くであの母娘を見てきたことだろうし、先ほどの食事でも葵に促していた。

 きっと葵の母親である茜さんがあのおむすびをこさえた事を知っていたのだ。


 俺は男なら常備しとけ、とユウキから言いつけられているチーフを差し出して彼女の気持ちが落ち着くのを待った。



「女性がお嫌いだということですが、その扱いは手慣れていらっしゃいますね」


「好悪とその扱いは別ですよ。弁えておくべき嗜みってやつです」


 女が大嫌いであることと、泣いている女に布を差し出す気遣いは異なる。前者は感情の問題で、後者を怠るのは見下げ果てた奴であるだけだ。


 洗ってお返ししますという瞳さんに俺は固辞した。備えは一つじゃない。


 それに彼女には伝えておかない大事なことがある。



「今はあんな感じなので言えませんでしたが、俺は呪いを解くキュアポーションを茜さんに飲ませました。ポーションが体の中にあるうちは効果を発揮しますが、無くなればまた呪いは発動します」


「私に飲ませて下さった神の雫と同様ですね、あの時も長時間霊力が回復し続ける感触がありました」


 俺は別に解呪に成功したわけではないと瞳さんに伝えているのだが、彼女の顔に落胆はなかった。俺がどういう人物か把握されている気がするな。


「なので、この水を定期的に飲むように伝えてください。俺の知る限り、沸騰させなければ茶でも珈琲でも効果があるのは知っています。今は超濃厚な薬効がある原液を飲んでもらいましたが、服用を続けるなら数百倍に希釈しても問題ないです」


 俺は<アイテムボックス>から1リットル入りのペットボトルを取り出した。この中にはもちろんキュアポーションが入っている。これを数十本渡せば一年近くは持つだろう。


 普通の水分補給と同じ扱いで解呪状態が続くと知って彼女の顔に安堵が浮かんだ。


「このお礼は必ず。私達は玲二さんからの恩義を決して忘れることは有りません」


「これに関しては自分から首を突っ込んだので金をとる気はないですって。ただ、そうですね。もし許されるならさっきの漬物のレシピを教えてもらってもいいですか? あれは本当に美味かったんで」


 俺の提案は意外だったのか、瞳さんはこれまでにない魅力的な笑顔を浮かべた。


「それを訊けば茜さんも喜ぶでしょう。今日の膳は葵の恩人にお礼をしたい、とあの方が作られたものなのです」



 マジか! 俺はもう既に大きな贈り物をもらっていたらしい。

 これじゃあ余計に対価を貰うわけにはいかないな。


 視界の端には泣き崩れる母娘三代がいた。

 そしてそれを見た俺は紛れもない羨望を葵に抱いているのを自覚する。


 俺にはもう取り戻せないものを彼女はその手の内に感じているからだ。

 

 だがその羨望とそこはかとない寂寥を俺は押し殺した。

 何故なら俺にはまだ姉貴が居るし、今の自分には新しい家族とも思える仲間たちが居るからだ。



 良かったな、と内心で葵に告げると家族水入らずを邪魔することなく俺はその場を去った。




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