第40話 閑話 それぞれの後始末 2



――芦屋――



「なんだ、これは……」



 某県某所の山の中にある巨大な屋敷には芦屋の中枢を担う者たちが集っていた。


 偉大なる当主から崇高な使命を与えられた者達が身命を賭して任務に向かったのはつい数時間前だ。彼らは計画の成功を疑っていなかった。復讐に燃える最高幹部が二人もいて、さらに使い捨ての肉盾も200人を揃えた。


 それだけでなく離間の計を用いて目標と厄介な守護者を引き離すことも画策した。


 都合よく巫の親族と思しき女を捕らえることに成功し、ご当主の悲願達成の為の贄として使うだけでなく、逃げ回る巫を牽制する一手として用いるという彼らの主の慧眼が光る妙手であるといえた。


 そのはずであった。

 


 成功を確信し浮ついた気分でいた彼等は、この国を覆い尽くすかのような膨大な霊力に驚き、直後に一族が所有する倉庫群がしたと聞いて耳を疑うことになる。

 そして己が手の者を走らせる前に報道機関から齎された映像を見て恐慌状態に陥った。

 


 狼狽し意味もなく時間を無駄に浪費した後、ようやくの事で警備会社から入手させた監視カメラの映像からは、冗談としか思えないような光景が映し出されていた。


 広大な倉庫をカバーするために幾つもの地点に仕掛けられたカメラは侵入者の姿を克明に捉えていたが、そのことが彼等にとって良い結果を齎したわけではない。


 脳が理解を拒否するかのような出来事が全て記録されていたからである。



 巨大な倉庫にはその図体に比例する扉が備えられている。第七倉庫はかつて冷凍庫としても使われており、人力では開閉不可能な分厚い合金製の大扉が”蹴破られた”のだ。


「なっ!? なんだそれは!」

 

 誰かが発した言葉がその場に居た全員の心情を代弁していた。

 あまりにも無茶苦茶な登場だったからだ。


 飴細工のようにひしゃげた大扉が宙を舞う。まるで紙切れのように軽やかだが、実際は数十トンの金属塊なのだ。もし下敷きになれば人間など挽肉になって終わりである。

 その扉が蹴破られたと解るのは倉庫の入り口に金髪の少年が足を上げた体勢のままでいたからだ。


「馬鹿な、話にあった小僧ではないだと?」


 映像を呆けた顔で見ていた一人の男が我に返った顔で呟いた。”芦屋八烈”を退けた少年は既に調べがついていた。陰陽師たちにとってのホームである芸能界に身を置いていたからだ。

 原田玲二という16歳の少年は黒目黒髪だが、映像の中の男は背格好こそ似通っているがその髪は金髪だった。


 変装か? と勘繰る者もいたが、その声に誰も反応する者はいなかった。

 映像は次の視点に切り替わっており、さらに現実離れした光景を目にすることになったからだ。


「な、何が起きている? これは一体何なのだ!?」


 芦屋の中でも重鎮として知られる壮年の男が取り乱していた。


 映像に音声はないが、何が起きているのかは察することが出来る。扉を蹴破って現れた金髪の男に対して中に居た者たちが次々と襲い掛かり、まるで車に撥ねられたかのようにもれなく吹き飛んでいった。


「馬鹿な、どんな術を使っている。これほどの数を一度に相手するだと?」


 その少年は歩いていた。己に立ち向かってくる男たちを一顧だにすることなく邪魔な障害物を処理するように始末をしていった。

 カメラの映像は距離があるのでその表情は窺えないが、この場に居る者たちはこの少年が何をしているのかさえ推し量ることが出来ないでいた。


「呪符を使っているようには見えんぞ」「だが、打ち倒された者は身動き一つせん。一撃で意識を刈り取られている」「この映像は細工しているのだ、そうに決まっている! 最強を誇る我等に見えぬ技があるなど、認められるものか!」


 当然ながら彼等は知らない。魔法という符術とは異なる概念があることを。

 その中でも異次元の技量を持つその少年は襲い来る全ての無頼共を透明化した刃で貫き、ただの一人も打ち漏らすことなく絶命せしめていたことを。



「おお、風間と木佐田が前に出たぞ。あの二人ならば!」


 倉庫の奥には彼らの自慢である”芦屋八烈”である2名の幹部が少年を待ち構えていた。油断して敗退した前回と違い、今回はあらゆる準備を整えたと聞いている。

 この二人ならば少年をも倒しうると期待した男達だったが、その決着はあまりにもあっさりとついた。


四肢から血を吹き出して倒れた最高幹部二人に芦屋の者たちは言葉もなかった。


「ふ、ふざけるな……”芦屋八烈”だぞ! いかなる強者をもその名に慄き、妖魔を打ち祓う最強の8人がこんなにあっけなく倒れるはずがあるか!」


 彼等がどれほど吠えようが現実が変わることはない。倒れ伏す二人に警戒することもなく奥で縛られていた少女を開放し、その周囲に居た撮影機材を手にして命乞いをする男たちを血の海に沈めている。


「おお、風間が立ち上がったぞ! 命に代えても一矢報いるようだ」


 映像では一人の男が力なく立ち上がると、突如としてその体が膨張を始めた。

 この場に居る者たちは知る由もなかったが、芦屋の当主が刻んだ自爆用の咒が作動した瞬間だった。本人の意思に関係なく周囲の全てを呑み込んで同化し、吸収する恐ろしい呪いだったが、その肉腫は少年に届く前に透明な壁のようなものに遮られた。


「……」


 その場に集う者は芦屋の幹部、多くの実戦を経験した猛者達ばかりだったが、誰一人として映像が何を表しているのか正確に理解しているものはいなかった。

 ただそんな彼らにも解ることがあった。


 風間が異形の者に変貌していること。そして、それでもなおあの金髪の少年には何の痛痒も与えてはいないという事だ。


「八烈が相手にもならんだと……他の者に遅れを取ったと聞いたときは耳を疑ったが」


「有り得ぬ。奇怪な巫の秘術でも使っているに違いない。でなければこうも容易く……」


 彼らの言葉にはこの現実を認めたくない思いが込められていた。

 ”芦屋八烈”とは、ただの戦闘集団ではない。他家より学なき賤しい兵隊どもと嘲笑われた過去をもつ芦屋一族にとって誇りそのものだ。

 さらに第3席までは実力の差がありすぎて不動の地位とされており、残り5席を一族の者達が奪うように競い合っている。まさに彼らの目標であり憧れがなす術もなく敗北するさまを見たくはなかったのだ。


 だが、彼らの望みは潰えた。


 突如として青い炎が画面を埋め尽くすと、次の瞬間には肉塊と化していた風間が倒れていたのだ。

 衣服や体があちこち焦げていることから察するに、肉腫が消し炭にされたことは誰もが理解できた。

 だが、どれ程の力があれば肉腫を一瞬にして炭化、いや炭さえ残さずに消し飛ばせるのか。



 無言で画面を凝視する者達は思考を放棄してこの理不尽な現実の受け入れを拒否した。

 この光景を認めさえしなければ、彼らの矜持は崩れ去ることはないからだ。



「冗談だ、何かの冗談に決まっている」


「その通りだ。都合良く映像を加工したのだ。これを持ってきたものを叱責せねばならんな、このような偽物を掴まされおって」


「そうだ、土御門の仕業に違いない。あの高慢な連中がいかにもやりそうではないか」


 彼らがそう自分達を慰めている間に映像では先ほどの少女とは別の半裸の女性を伴った少年が倉庫を後にするところだった。どうやら現場にはもう一人女性が居たらしい。



 その直ぐ後で気を失っていた風間と木佐田が意識を取り戻し、身動きし始めた。


「2人は無事か……”八烈”の名に傷をつけおって。雄々しく散ればまだ格好がついたものを」


「然り。ここまで明確に敗北したのならば除席が当然だ。その後には師補から次の八烈を……」


 誰もが現実逃避だと解っていながら、その言葉に応じた。そうしないと自分達が逆立ちしても勝てない八烈を路傍の石扱いした相手を敵に回したことを理解してしまうからだ。


「待て、後釜に座るのは我が一族から……」


「ならん。厳正な審査と確かな力が示されねば最高位たる八烈の位を与えるわけには」


 彼らのその遊びはしばらく続いたが、唐突に現実に引き戻されることになる。


 映像が白く染まったかと思うと、そのまま途切れたのだ。

 彼らが所有する倉庫街が消滅した瞬間だった。



「……どうする? いや、どうすればいい? 」


 最悪な現実に帰還を余儀なくされた男達は悲痛な顔で身を寄せあった。


「どうするもこうするもない。あのような力をもつ存在に抗することなどできるものか」


「なら座して死を待てというのか?」


「抵抗するも自死するも自儘にせい。我等はご当主さまのご命令に従っただけ……そういえば、ご当主さまは何処に? 」


 誰がが発した一言で場の空気が変わった。彼らが奉じる主ならば、対抗手段を持っていたもおかしくない。


 その時、広間に入ってきた子供の姿を見て彼らは相好を崩した。


 その子供こそが彼等の求める人物だったのだ。



「おお、雲雀。ご当主さまは何処においでか? 早急に目通りを願いたいのだが?」


 見た目こそ側付きの子供のようだが、あれこそが当主たる芦屋道満の力の象徴だ。人形ひとがたの姿をもつ高位式神にして、八烈第2席。


 荒神の雲雀と人々は呼んだ。



「主は必勝祈願の祈祷をなさっておいでです。もうまもなくこちらに見えられるかと」


「おお、ご当主さまの祈祷があれば我等が宿願も達成間違いなしじゃ!」


「そうじゃ、雲雀や早雲さまの力を持ってすれば、あの程度の輩に遅れを取るはずがない」


「であろう、雲雀よ。恐らく次はお主が敵の首級をあげることになる。久方ぶりの戦じゃ、芦屋の真の力である荒神の業を我等が敵に見せつけてやるがよい」


 出席者から発せられた言葉に雲雀は薄く笑った。



(愚かな、ヒトの身でアレを相手にどうにかなると本気で思っているのか? 荒神、か。本当の荒ぶる神とはアレのことを指すのだ)


 一人屋敷の廊下を歩く雲雀はそう内心で毒付いた。

 己に比べれば微々たるものではあるが、霊力がありながら何故そこまで暢気でいられるのか、不思議で仕方なかった。


 倉庫街が吹き飛んだあの力、あれこそがまさに神意そのものだ。

 その偉大さにひれ伏して許しを乞うのがヒトの為すただ1つの行為であり、それが全てである。抵抗など間違っても思ってはいけない。

 それ以外の行動は……いやそれさえも無意味であろうが、徒に苦しみを長引かせるだけに終わるだろう。



 幸いなことに、彼の主は聡明だった。抵抗の無意味さをご理解されている。


 理解させられた、と形容するのが正しかったが。



「家中は動揺しているな?」


「然り。蜂の巣をつついたような騒ぎでございます。主さまのお姿を一目拝見したいと申しておりますが、謝絶しております。主さま、お心は静まりましたか?」


 雲雀は心にもないことを敢えて口にした。彼の主人がいかなる状況かは一目で解るからだ。


「話にならん。未だ震えが止まらぬ」


 芦屋一族の当主である道満は全身を震わせ、脂汗を流していた。

 一時間ほど前からずっとこの調子であり、祈祷など真っ赤な嘘である。

 単に当主としてこの姿を衆目に晒すわけにはいかなかっただけだ。


「我自身が恐怖を覚えたわけではないが、体が、魂がアレに囚われてしまったようだ」


 道満は小刻みに震える己の手を見て自嘲の笑みを浮かべた。


 全てはあの瞬間に起こった。


 巫の捜索を配下に任せ、彼は離反者を炙り出すために欺瞞情報を流して餌に食い付くのを待っていた。

 これから先を考えれば内密者を狩っておくのも必要な事だったからだ。

 ほどなく下部組織の拠点に襲撃があり、裏切り者の確定との戯れに襲撃者を知りたくなり配下のものをを繋いだ。

 配下を通してその視界を己がものにできる術であるが、そのときに彼は悪夢に出会ったのだ。



「まさか逆に覗かれ返されるとはな。恐ろしい業よ、いかなる術を用いたのか想像もできん。我の凡てを見透かされた気分、いや恐らく真実なのであろうな」


 何よりもあの眼だ。アレは己を見ていない。しかし何物も捉えていないようでありながら、なぜこうまで恐ろしい。


 自殺こそが最善の選択である、と甘い誘惑が幾度も頭の中で囁いてくる。

 今すぐこの喉を掻き切ればどれほど幸せか解ったものではない。


 それほどまでにあの眼に射貫かれてから生きた心地がしないのだった。



「主……」


「あれこそが禍ツ神よ。何の冗談か人の形をとっておるが、到底太刀打ちできる気がせぬ」


「ならば如何なされますか?」


 瘧のように震えながらも道満の瞳には強い光が宿っていた。体と魂は恐怖に凍らされていながらも、それが何の障害にもならない。

 主ならばこそ可能な離れ業であろう。


「案ずるな。繋がったからこそ解るものもある。あれは神だ、故に何の感情もない。神にとってはヒトの善行も悪行もまるで無意味、無関心よ。弓引かねば我等に厄災が降りかかることは有るまい」


「仰せに従います」


 彼はそう答えた。召還主に隷属するその身ではそう答えるほかなかった。



「禍ツ神と出くわすとは凶兆極まるが、我が宿願の前に怯むほどではない。雲雀よ、我が従僕よ。命を下す、疾く行きてそれを為せ」


「承知仕ります」


 式神は伏してある時からの命を待った。


「まずは背信者を狩り出せ。我が一門に鼠は不要だ。だが簡単に仕留めるでないぞ、真綿で首を締めるように追い詰め、見せしめよ」


「は」


「そして巫からは一時手を引く」


 主は思いもかけぬ言葉を口にした。かの巫を探し出すために芦屋の財貨と多くの人材を今も浪費し続けているのだ。そこまで追い求めた存在を今になって諦めるとは。


「それは、よろしいので?」


 命令に対して口を挟む式神は珍しい。興が乗った道満は機嫌よく答えた。


「嬉しい誤算、という奴だ。何でもやってみるものよ、巫が最上であることに変わりはないが、他の者でも代用が可能と知れたのでな」


「まさか!」


 主の目的を知る式神は表情を変えた。が不可能だからこそ我等は巫を求めたのではなかったか。


「”北の枷”がもうじき解かれる。その気配を感じた」


「……」


 感情が振り切れかけた雲雀は無表情になった。そうすることが己を律するただ一つの方法だからだ。


「”適合者”を探すのだ。巫を諦めたわけではないが、里の者と共に本気で隠れられると霞のように消え果てる。しかし代用品であれば揃えるのはより容易であろう」


 どこにおるかは既に知れておるしな。


 「ご下命、承りました。我が忠誠は主のために」



 雲雀は式神だ。

 式神は召還者に付き従うもの。


 故に彼に否やはなかった。


 たとえ、召還者である主人の中身が得体の知れない”何か”に乗っ取られていようとも。


 式神の彼は従うほかなかった。


 それが式神というものだからだ。




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