第39話 閑話 それぞれの後始末 1
――土御門――
「続報はまだ上がってこぬのか! ”遠見”は何をしておる!?」
「それが、現場でも情報が錯綜しているようでして……」
「これでは我らよりもマスコミや庶民の方が詳しいではないか。つくづくやりにくい時代になったものよ」
その老人は苦々しい表情でテレビ画面を睨んだ。
その視線の先には深夜だというのにテレビ局がリポーターを派遣して現地の詳細を説明している。
「ご覧ください! ここは東京湾に隣接した巨大な倉庫街でしたが、それが今ではこの有り様です! 残骸さえ残らず、辺りは全てが吹き飛んで更地のようになっています」
レポーターが手で差し示す先は暗闇だけが写し出されている。被害が一目瞭然となるのは日が昇ってからとなるだろうが、街灯や被害を免れた建物から漏れ出る光源が周囲の闇をより暗く浮かび上がらせていた。
「ガス爆発が原因との情報が出ていますが、現在の所、火の手は確認できません。視聴者からの情報提供により我々が駆け付けたときには既にこの状況でした。これから警察や消防の現場検証が始まると思われます。現場からは以上です……」
「芦屋め、警察や報道を押さえ込めんとはな。本来奴等の領分であろうに……」
ここまで大々的に報道され、衆目を集めると陰陽の
その時、老人の背後からしわがれた老婆の声が彼の耳朶を打った。
「奴等も慌てておるのさ。このような
「こ、これはおばば様! まさか本邸からお出でになるとは露知らず、失礼いたしました。このような夜更けによく……お知らせくださればお迎えを寄越しましたものを」
その小柄な老婆を前に老人は心から恐縮して畏まった。
目の前の老婆こそ陰陽師の正統本家を自称する土御門の最大権力者、十五年以上前に引退こそしたもののその実力は現当主のはるか上を行くというまさに生きる伝説だ。
現在は三人だけが許された”八百比丘尼”の称号を持つ凄腕の陰陽師にして先代当主、土御門伽耶であった。
「かまいやしないよ。これほどの大事件を前にして京都の片田舎で楽隠居している場合じゃないさね。それよりあの半人前はどこにいるんだい?」
背後に控える側付きらしき巫女装束の少女へ手荷物を渡した伽耶は周囲を見回し、本来この広間にて周囲に指示を出しているべき人物の行方を尋ねた。
「若殿は電話にて加茂と御影小路を相手に会談中ですな」
「ふん、時間が惜しい。案内せい」
付き人の少女を従えたまま、先代当主は奥の間へ足を進めた。
「本当にあの少年は無関係だというのか?」
「先ほど本人にも確認しました。それに我等の目でもあの瞬間、原田玲二は東京の西にいたことは確かです」
「では一体誰があれほどの破壊を為したというのだ。土御門の、お主も感じたはずだ。あれは巫術ではない、ただの霊力だぞ」
奥の間では和室に似つかわしくないディスプレイが複数置かれ、土御門陽介がテレビ通話を行っている最中だった。
この会談の参加人数は5名。芦屋を除く4大陰陽師家の当主、そして陰陽寮の総監とこの件で協力関係を結んでいる陰陽寮公安課の課長だ。
この面子の中では公安課は随分と格落ちするが、陽介が当事者のひとりとして連絡を取っていた。課長の背後には彼の昔馴染みである北里小夜子の姿もある。
「霊力だけですと? それは事実なのですかな?」
この中でも術者としての素養も低い課長が怪訝な顔をして陽介に問いかけた。純粋な霊力だけでは破壊は起こせないからだ。
「私とて信じたくはないが、事実だ。あの場所は芦屋が原田を誘い出すために罠を張っていた。当然こちらもそれを把握しており手の者を派遣して探索の術式を展開していたのだ。何らかの破壊の術式が用いられれば兆候が捉えられぬはずがない」
そして、あの大破壊が引き起こされる瞬間まで我等の手の者は察知できなかった。それはそちらの二家の同様であろう、そう締めくくった陽介の顔は名状しがたい何かを示していた。
「なんと! それではつまり、あの半径1キロにも及ぶ倉庫街の破壊は……」
「ただそれだけでは何の害をもたらさない霊力の放射で行われたということです、課長」
北里小夜子から無表情で告げられた言葉はその場に集う全員に衝撃を与えるには十分な一言だった。
「馬鹿な! 霊力のみであれほどの被害が出るはずが……」
課長の言葉は彼等の常識を語っている。霊力は全ての源であるが、それ自体に何の威力もない。霊力を使って術や式神を喚んでこそ意味があるのだ。
「気弾を用いたのでは? あれなら術とならずとも破壊の効果がありますが……」
「妖魔に何の効果もない一般人撃退用の初級技であのようなことができるものか」
陽介の言葉に加茂の当主が吐き捨てるように切って捨てた。
「ですが、それしか考えられません」
「気弾は熟練した者でも人を吹き飛ばすのが関の山だ。建物を壊すだけでも有り得ないというのに、倉庫街もろとも消し飛ばすなど……古文書に名を残す大妖魔でも不可能だぞ。何かの冗談としか思えん」
彼等とて、もちろんこれが現実だと理解している。あの瞬間に放射された理解不能なほど莫大な霊力を感じ取れないようでは術者など名乗れないからだ。
それこそ国内はおろか大陸の使い手にも把握されたのではないかと思われるほどの巨大な力であった。
だがそれでも霊力だけでこのような破壊が本当に可能なのか、この場に集う卓越した術者たちにも理解の外にある出来事だった。
あの大爆発でこれから巻き起こる様々をどう対処するか、それを話し合うはずだった会議は完全に迷走していた。
「その小僧以外にもう一人化け物がおる。そういうことじゃろ?」
思考の迷路に陥っていた彼らに外から声がかけられた。
「お、おばば様! どうしてこちらに!?」
「どうもこうもあるまい。これほど事態が逼迫すれば田舎暮しなどしていられんよ。加茂に御影の、久しいの。こうして顔を見るのは何年振りか」
「おお。伽耶殿。息災か」「できればこのような場で会いたくはなかったがな」
両家の当主とも顔馴染みであり、思いもかけぬ再会に顔には笑みが浮かぶか、内心は先代当主が京都の本邸から東京に出向く事態になっていることにより警戒を強めていた。
そして彼等もなるべくなら動かしたくない自勢力の参集に本腰を入れる覚悟を固めていた。
「おばば様、此度は何用でございますか?」
幼少より麒麟児と称賛されてきた陽介であったが、先代当主である祖母は超えることが出来ない壁だった。
不甲斐ない己を責めに来たのかを身構える陽介に対して祖母は手で制した。
「尋常ならざる事態になってるようじゃないか。伝説の
「ご無沙汰いたしております。大御所さま」
陽介と幼馴染である小夜子は殊更伽耶から目を掛けられ、可愛がられてきた。落ちぶれた今の境遇で偉大な先代当主と
「おばば様、挨拶はそれくらいで。先ほどのお言葉はどのような意味で?」
「なんじゃ、それくらいお主らもわかっていよう。話に上がっていた少年ではないとしたら別人以外あるまい」
この場の誰もがそれだけは聞きたくなかったという顔をした。自分たちの想像を超える存在がもう一人追加されたなど、不確定要素が増えるだけだ。
「厄介な……」
陰陽寮の総監が苦り切った声を出すが伽耶は鼻で笑った。
「ふん、相も変わらず心配性な男だね。もう一人がその玲二とかいう小僧の関係者であることは間違いあるまい。道中話を聞いたけど、芦屋が人質を取って待ち構えていたんだろう?」
「ええ、原田雪音という双子の姉を捕らえたと芦屋は宣言しましたが、実の弟は別人だと言い張っていました。事実、巫の関係者を捜索に出ています」
「だが実際消し飛んだのは芦屋の連中だった。無関係な奴が人質や敵が待つ倉庫街に襲い掛かるかね? 現実離れした力といい、まず間違いなくその小僧の関係者だね」
確かに、言われてみれば、と会議の出席者から賛同の声が続く。例の少年と繋がっているのならその線でこちらから接触を持つことも不可能ではない。
こちらには玲二の連絡先を持っている人間が二人もいるのだから。
「その少年より芦屋の動向が気になるね。奴等は何を考えているんだい? 情報は集まってるんだろうね?」
祖母は孫に尋ねたが、その彼は首を横に振った。
「それが芳しくありません。数日前から向こうの中枢と完全に没交渉になりました。それまではあちらも我々との接触を持とうとしていたのですが、突然の豹変です」
「ふうん、これはなにかあるね。芦屋の本家だけでも50人からの人間が居るんだ、それを完全に黙らせるなんて普通はできっこない」
「今は分家筋から情報を辿っていますが、手足にはあまり情報を下ろしていないようです」
「厄介だねえ。じゃあせめて巫と行動を共にしている例の少年と連絡を密にするしか今はすることが……」
伽耶の言葉の最中に陽介の懐からスマートフォンの呼び出し音が鳴り始めた。言葉を遮られた当人は不満そうだが、着信音にある設定を施しておいた陽介は躊躇うことなくスマホを取り出した。
「玲二からです」
その一言に全員か彼に注目し、彼は通話を始めた。
「陽介だ。玲二か?」
「ああ、俺だ。こんな時間に連絡して悪いな」
「例の爆発でこちらも大騒ぎだ。睡眠どころではないから気にするな。それよりもう一度聞くがあれはお前の仕業ではないんだな?」
スマホの向こうから玲二のため息が聞こえた、溜息をつきたいのは自分たちだと口を開きかけたが陽介は我慢した。
「当たり前だろ。そっちだって俺の位置を探ってんのは知ってんだぞ。今俺が何処にいるかも解ってんだろ?」
「いや、こちらは例の爆発の対処に手一杯で余力はないからお前を探ってはいないな」
「マジかよ。説明が面倒だな」
「それより本当にお前ではないのだな? お前の双子の姉をわざわざ助け出すからには知り合いということになるが?」
「……ノーコメントだ。これについては犬に噛まれたと思って諦めてくれ、俺だってマジで驚いてるんだ。止めやしないが探ってもどうにもならんからやめといたほうがいいぞ。俺は警告したからな、後で文句言うなよ? とにかく順を追って詳しく話すよ」
原田玲二から告げられた内容に彼らは耳を疑うことになる。巫の里からの迎えが来ていたことも初耳だが、それが芦屋に捕らえられ謎の儀式に利用されていたと聞いて仰天した。
「迎えが捕まってたのは阿良々木神社だ。芦屋の連中の協力者でもあるから、何の目的がだったのか調べられないか? 葵が言うには無理矢理力を吸われてたらしいから、敵の目的と関連があるとしか思えない。そういうのそっちは得意なんだよな?」
「阿良々木は芦屋の傘下に降っていたか、その情報は初耳だった。いいだろう、背後はこちらで洗っておく」
「頼む。それとこれが本題なんだが、葵達はこれから巫の隠れ里に戻るつもりでいるんだが、その際にお前たちの捜索の目を無効化する魔法を使うらしい。だから俺達が消えて見えなくなっても気にするなと伝えておこうと思ってな」
「なん、だと? 我が土御門の”眼”から逃れられるとでも言うのか?」
「知らん。迎えはそう言ってるだけだ。俺は一応伝言したからな、電話も通じない僻地らしいし、連絡はいったんこれで途切れると思ってくれ。じゃあな」
「おい、まだ話は……」
陽介は会話を続けようと必死になったが、相手はすげなく通話を切った。
「我らの眼が届かぬだと? そのようなことがあり得るのか?」
陽介は玲二からの言葉に衝撃を受けたが、確かにこれまで彼らをしても巫の里を見つけられなかったことは事実だった。
恐らく、それを可能にする何らかの術が存在すると思われた。
「我らを越える力を持つか。業腹じゃが、かの一族ならそれくらいはするであろう。伊達に2000年近くも隠れ続けてきただけのことはあるか」
この件の解決を見るまでしばらくこの婆もこちらに留まるぞ、と伽耶が告げると陽介も恭しく頷いた。
しかし彼の視線は先代の背後に控える10台前半の少女に向けられている。それを見た祖母は鼻を鳴らした。
「そう心配するでない。この婆とお前がおれば遅れなど取らん」
「は……」
土御門の2人が何を案じていたのかを知る老人たちは話を変えるべく目配せをした。
「そんな彼らを芦屋はどのように見つけたのか、謎は尽きんな」
「全くだ。奴等め、何を考えておるのか。芦屋の古馴染や知り合いへ問い質しても知らぬ存ぜぬばかりよ」
加茂と御影小路の両老人がそう嘆くが、その中には安堵の響きもある。
芦屋による巫の捕縛という最悪の状況は脱しつつある。かの里の者の迎えと合流でき、あの少年も共にあるのであれば一安心というものだ。
それに何よりも、あのような大破壊をしでかす存在と自分達は敵対していないのだから。
「ひとまず巫の問題は片付いたと見て良かろう。ならば我等は芦屋の動向を注視すべきだな、例の神社で芦屋は何をしていたのか、それを急ぎ確認せねば」
伽耶の言葉に陰陽寮の総監も続いた。
「左様。奴等の目的を知らねば対策も立てられん。かの爆発はガス爆発で片が付く、個人の行いであるなど誰も信じやせん。警察もここまで世間の注目を集めれば原因不明では幕引き出来まい」
「ですな。我等も遠からず警察発表と歩調を合わせることになるでしょう。欲を言えば倉庫内にある監視カメラの映像が欲しい所ですが、望み薄でしょうな」
公安課長の言葉に誰もが頷いた。
何があったのか知りたいが、芦屋の管理下にある物件なので既に先んじて手を回して回収しているはずだからだ。
その時、部屋の外から部下の弾んだ声がした。
「若殿! そして皆々様、朗報にございます。当該倉庫の内部映像を手の者が入手して参りました! 芦屋は現場も相当混乱している模様です」
「なんと! それは誠か!?」
「まさか芦屋に先んずるとはな……奴等は混迷の極みにあるようじゃ、この数日で受けた我等の心労の分まで苦労するがよい」
伽耶の言葉は本心からのものであったが、その後で手に入れた映像を見た全員の胸中に共通した思いが生まれた。
あんな化け物を敵に回した芦屋の者達に対する哀れみ、紛れもない憐憫の情を抱いたのだ。
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