第8話 最強少年ははぐれ妖精と合流する



「うわ、ほんとに水入ってるんだ、ぽよぽよする、へんなのー」


「バスルーム広っ! へえ、ちゃんと一式揃って……うそ、ローションがある。見て玲二、このローション、アメニティかな?」


「ねえ玲二、このおっきいマット何に使うの? 水遊び?」


「あ、コンドーム、やっぱりあるんだ! ねえ玲二、コンビニとかで見かけると思うんだけどさ、この02とかの数字っていったい何のこと?」



「……おまえらうるせーよ……」


 俺は部屋の中を隅々まで漁るを諦めの境地で眺めている。コンドームのパッケージを手にこちらへやってくる馬鹿女と特殊な用途で使われると思しきゴム製のマットを指さす手のひらサイズの小さい存在がひらひらと宙を舞っている。


「ねえ、これに新しい世界へようこそとか書いてあるんだけどさ、まさかこれってうしろ」「うわわ、リリィ、えっちいのはいけないと思う!」


「もうどうにでもしてくれ……」


 俺は眼前で繰り広げられる狂乱の宴を意識の外に追い出した。


 どうしてこんなカオスな光景が広がっているのか、詳しい説明をせねばなるまい。




 俺達が地下鉄を降りたのは都でも有数の歓楽街、夜の帳が降りてからが本番と言われるような地域だ。日本はおろかアジアでもトップクラスの夜の街であり、木を隠すなら森と言った葵の考えにも一定の納得はいく。こうまで人が多いと”大体の方角”という曖昧な情報だけでは俺達を探すのも一苦労のはずだ。


「とりあえずここで時間を稼ぐつもり」


 騒がしい繁華街を歩きながら隣を歩く葵がそう告げた。


「そういえば助けが来るのが数日後だって話だが、連絡入れてもっと早くしてもらうとかできないのか? 今のお前が置かれてる状況を知らせれば明日の朝にでも駆けつけてきそうなもんだが」


 こいつには親姉妹がいるような話を前に聞いた覚えがある。普通に考えれば娘がこの状況ならすっ飛んでくるはずだが、俺の問いに葵は首を振った。


「実家には電話ないんだ。連絡つかないんだよ」


「はあ、なんだそりゃ。昭和初期かよ?」


 スマホが必需品の時代に電話がないだと? どんな家だよと思った俺の考えは顔に出ていたようだ。


家だよ? まともじゃないのは解ってるでしょ?」


 自分を指出して困ったような顔で笑う葵に俺は二の句を告げられなくなった。

 そうだった。こいつは女なのに性別偽って男装して学校に通っているんだ。その意思決定に実家が関わっていないはずがなく、ということはそんな無茶を娘に強いているような家か。業が深そうなので深入りはしないでおくに限る。


「まあ、そうだったな」


 こいつの事情は俺以上に厄介そうだなと思いつつ、ふらりと体勢を崩した葵の殻を抱きかかえた。


「おい、しっかりしろ」


「あ、ゴメン。大丈夫」


 口ではそう言うものの、全然大丈夫じゃないことは見て解る。さっき地下鉄で一度寝てしまったことで完全に緊張の糸が切れちまったらしい葵の体は休息を欲している。本人がいくら強がってもスイッチが切れたみたいに意識が飛ぶのだ。


 くっそ、マジでどうすっかな。こいつはもう駄目だ、どこかに入って休ませないといけないが、どうすりゃいい? この時間に未成年が入れて一夜を明かせる場所? 24時間営業のファミレス、漫喫とかいろいろ頭に浮かぶが、そもそも先立つものがないんだった。


 金貨や銀貨で支払いするか? 無理だな、俺だって店で客が現金ないから銀貨で払わせろと言われれば断っているだろう。個人店でそれならチェーン店じゃもっと無理だ。

 現代社会で最も力を持つのは武力じゃない、現金なのだということを痛感する。こうなりゃそこら辺の頭の悪そうな連中に喧嘩売って財布の中身を……いや、そんなの強盗と変わんねえ。だが、こいつを何とか休ませねえと……


「お困りのようだね、玲二。ここはわたしの力が要るんじゃないかな?」


 その時、俺の耳に慣れ親しんだ涼やかな声が届いた。この悪戯っぽい幼い声は、聞き間違える事なんて有り得ない。


「リリィ! 来てくれたのか!」


 思わず振り向いた俺の目の前に居たのは、手のひらサイズの小さな存在だった。人型だが、人間と大きく違っているのはその背に小さな翅が生えていることだ。両手を組んでふふん、と自信満々にしている彼女こそが俺の異世界で得た最大にして最高の恩恵ギフト


 彼女は妖精のリリィ。俺達の大切な仲間の一人だ。


「まーね。向こうは暇だしさ、そしたら玲二が早速面白トラブルに巻き込まれてるし、これは特等席で見物、じゃなかった。頼れるリリィちゃんが助太刀しないとと思ってさあ」


「まあ、言いたいことは有るけど、来てくれたのは素直に感謝するぜ」


 面白がりに来たリリィに憮然としつつも、本当に頼れる仲間が来てくれたのは間違いない。妖精は悪戯好きという評判どおりな性格をしているが、彼女は口ではあれこれ言いつつ面倒見が良いことはよく解っている。俺に降りかかったこの厄介事を楽しみつつも、心配して来てくれたのは間違いない。


「このリリィちゃんが来たからにはもう大船に乗ったつもりでいてくれていいよ。お礼はおかし食べ放題でいいからね」


 何処までも明るい彼女の声にまだ何も解決してないのに救われた気分になってくる。これも地味にリリィの才能だよな。どうでもいい話だが、仲間内の序列(誰も存在を認めないが、有るのは確かだ)でリリィはとある理由で第一位だ。リーダーって訳じゃないけど、発言力は物凄い奴なのだ。


「いや、来てくれたのは嬉しいがよ、今のピンチには何の役にも立たないぞ。日本円が全然ないんだよ」


 俺とリリィが居ればドラゴンの群れだって鼻歌交じりに一掃できるが、この大問題の前では何の意味もないんだよなあ。


「ふっふっふ、それはこれを見てから言ってもらおうか!」


 そういってリリィが彼女も使える<アイテムボックス>から取り出したのは……


「うおおっ! 万札がこんなに! いったいどうしたんだよリリィ」


 自分の背丈は以上に大きな紙幣、諭吉先生を10枚も扇のように靡かせていたのだ。


「玲二がお金に苦労してるだろうなって思ってね。このリリィちゃんの慧眼に感謝してね?」


「てゆーかどうしたんだよこの金? ま、まさか、使ったのか!?」


 俺達は神々の領域にあるとんでもない力を使えるのだが、そりゃマズいからやめとこって話で終わったはずだよな?


「ないない。そんなの後でユウに怒られちゃうじゃん。玲二にって言われて持たせられたの。今みんな忙しいからさ」


 ほい、と手渡された十万を見て俺は脳裏に浮かぶ人物に深く感謝した。仲間に頼るという最後の奥の手は絶対に使いたくなかった。それを知っているあの人はきっと自分からじゃ受け取らないと思ってリリィを経由したのだ。あの人はそういう気遣いができる、俺も見習わねえとな。


「助かる。俺はともかくこいつはちゃんとした場所で休ませねえとまずいと思ってたんだ」


 今じゃ俺が腕の力だけで支えている葵をリリィが覗き込んだ。


「へえ、この子が今回の玲二担当かあ。あ、こっちの人間には珍しく結構魔力あるじゃん」


 おい、俺担当ってなんだよと反論したくなるが、確かに俺に面倒を持ち込むのは女と相場が決まっている。みんながそう認識していても不思議じゃないが納得いかねえ。


「あ、そうそう、この世界にも魔法使う奴いて驚いたぜ」


「へえ、だいぶ薄いけどこれくらいあれば確かに魔法は使えるね。でもこの量じゃあんまり魔法強くないんじゃないの?」


「ああ、馬鹿な奴がしょぼいトロ火を豪炎とか舐めたこと言ってたから現実教えてやったぜ」


「え? ……そ、そんな、それって……」


 あ、まずい。リリィの地雷踏んだ。彼女は頼れる仲間なんだが、始末に負えない悪癖があるんだ。


「そんなの異世界帰還テンプレじゃん! なんで私が居ない時にそんな超重要イベント起きるの!? ずるいずるい! 玲二、リトライしてよリトライ!」


 この妖精さんはどうやったのか、日本のサブカルネタに異常なほど詳しいのだ、忘れもしないが、異世界召喚を受けた施設から脱出する際、準備する俺達にリリィがこう尋ねてきたのだ。


 そんな装備で大丈夫か? と。


 はあ? と不思議な顔をした俺に対してもう一度、今度は低いイケボで繰り返してきたのだ。

 俺が戸惑いつつもとりあえずお約束の言葉を返すと、彼女は生まれて初めて同志に出会えたかのような笑顔を浮かべたのだ。いや、俺そこまでネタに詳しくないんだけどな。


 そんなわけで彼女は日本のあらゆるサブカルに精通している。三か月ごとに嫁とか今期の覇権がどうのとか良く言っているくらいに詳しい。

 そんなリリィにしてみれば俺のトラブルは最高のご馳走らしかった。



「スゴい! スゴいよ礼二! 普通帰還した当日からそんなイベントに巻き込まれないって! これが主人公補正だよ、えらい!」


 俺は全く嬉しくないんだが、リリィさんが超上機嫌なので何も言わないでおいた。その後も彼女の演説は続いた。


「やっぱり異世界召還される子はよね~。運命に導かれるってやつ? トラブルが放っておかないっていうか? いい、すごくいい! ユウとは大違い、生まれ持った差を感じるね! これから楽しくなるぞー」


 俺の面倒事を楽しむ気満々でうきうきしているリリィに内心で溜息をつくが、まあ彼女が居れば力強いことは確かだ。


 あんまり戦う姿を見ることはないが、間違いなく俺と同じくらい強いからな。



「う、あっ。ゴメン、ボクまた……」


 騒いでいた俺達の声が聞こえたとは思えないが、寝ていた葵が目を覚まして俺に肩を抱かれていたことに気付いて謝ってきた。


「別に気にすんな。とりあえず休めるとこ移動すんぞ」


「う、うん。えっ!?」


 しおらしい声で返事をした葵が突然変な声を上げた。どうしたんだと思ってその顔を見ると、葵は俺を見ていない。

 より正確には俺の顔近くにいる空間を見ている。こいつ、マジか!


「式、神? うそ、こんな可愛い式神なんて聞いたことない……」


「ひゃあ! この子、私見えてるの!?」


 リリィの姿は普通の人間には見ることができない。俺達みたいな異世界転移者や生まれ持った精霊眼、あるいは魔眼と呼ばれる特殊な技能持ちでしかその存在を捉えることは出来ないはずだ。だけど、こいつはリリィが見えている。ひらりと移動した彼女を目で追っているのだから間違いない。


 そして過去に色々あって人見知りするリリィは葵が己を認識していると知って俺の頭の後ろに隠れてしまった。そして俺の頭ごしに葵を恐々見ているようだ。


「喋った!? なんて高位式神、12天将だってここまで表情豊かな式はいなかったはず。玲二の式神なの?」


「ふざけんな。誰が式神だ、リリィは俺の仲間だ!」


 葵のふざけた物言いに俺は即座に訂正した。俺の仲間と使い潰す従僕を一緒にする奴があるか! 世の中には間違って許される事と許されないことがあり、今のは後者に当たる。


「ご、ごめんなさい。そんなに怒らないでよ……えっ、仲間?」


 俺の言葉に本気の怒りを感じ取った葵はすぐに頭を下げたが、今の言葉を聞いたのが俺で良かった。もしあいつが耳にしていたらどうなっていたことか。


「ああ、仲間だ。お前は見えるようだから紹介してやる。俺の仲間で妖精のリリィだ」


 そしてもう一つ不愉快な現実があった。


 俺達の仲間ルールなんだが、リリィが見えるということは彼女の友人になれる可能性があるということであり、結果が出るまでは俺達の中で賓客待遇になることが決まっている。しかしマジか、こいつ見える人種なのかぁ。異世界でもごくまれな技能なのに、葵が狙われた原因の一つでもありそうだな。


「妖精? 妖精ってあのおとぎ話の? 私疲れて夢見てるのかな? でも確かに綺麗で可愛い」


「あの……わたし、リリィ。あなたは?」


「ボクは葵、玲二の友達なんだ」


 友達じゃなくてこいつは顔見知りだ、と訂正したかったが、今はリリィとのファーストコンタクト中であり部外者は口を挟むことはできない。


 そして快活な葵と人見知りを乗り越えれば明るい性格のリリィは俺の頭上で急速に仲良くなっている気配がする。

 くそう、こいつの実家の人間と合流すればそれでおさらばだと思っていたのに、そうは問屋が卸さないらしいぜ。


 俺の状況を知ってこうやって駆けつけてくれるくらい情の深いリリィが今の葵をそう簡単に放り出すとは思えない。この件に最後まで関わる可能性が出てきちまったぞ。




 表通りを外れ、裏通りを当てもなく歩きながら俺は頭上で話し込む二人に声を掛けた。


「なあ、二人とも。今はとりあえず移動だ移動。特に葵、お前は寝ろ。今のままじゃどうにもならないだろ?」


「うん。ゴメン、無理かも」


 立って歩いている最中に寝るくらいだ、こいつの疲労は極致に達している。さっさと休める所をって、ああ!


「俺達の齢じゃホテル泊まれないじゃんか……」


「あー、そうだねぇ。ボクも年上に見られたことないし、玲二も厳しいだろうね。というかお金は?」


 さっき借りた(借りたのだ、これは貰ったんじゃない)10万を見せると葵は目を見開いたが、玲二犯罪はダメだよと呟いたこいつとは一度本気で話し合う必要があるな。


 だが今はそんなことどうでもいい。確か親の同意書か何かがないと未成年はホテル泊まれないはずだぞ。電話か何かで連絡取れればいいんだが、俺に親はいないし葵は繋がらないと話したばかりだ。

 俺は異世界で慣れてるし、いざとなれば野営でも全然かまわんが、葵は無理だろ。ベッドで寝かさないと話にならない。


「やべぇな、どうすっか」


「玲二、僕のことなら大丈夫だって。そこのマックででも」


「追われてる人間の台詞じゃねえな。とりあえずお前は黙ってろ、俺が何とかする」


 う、うんと何故か顔を赤くしている葵から意識を離し、どうすべえと頭をひねっていると俺の肩の上にいるリリィが我に秘策ありとばかりに微笑んだ。


「玲二、すぐ近くにい~い所があるじゃんか。休憩とかできるいいホテルが。フロントに人がいないから玲二たちでも問題なく泊まれて、おっきなベッドがあるホテルがさ。若い男女二人、密室、何も起きないはずがなく……」


「それやめーや。え、マジか……」


 リリィの指さす先には古臭いピンク色のネオンに彩られた建物がある。確かにあそこなら泊まれる気がする。そういう用途で作られてるから詮索なんてしない、むしろフロントが無人の所を探せばいけるか?


 いや、だが、ええ? 本気で?


「だいじょぶだいじょぶ、今じゃフロント無人の方が主流っていうし。さ、行こ行こ」


何故か異世界出身のリリィに昨今のラブホ事情を教えられながら、葵を抱えた俺は不本意ながらラブホに入るのだった。



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