冷たき視線

2026年 8月30日 11時20分

品川区 某所


「しかし、女性向けアンティークショップか…… 俺は入りにくいな」


 スマートフォンで朝霧の働いているアンティークショップ『プリンセスメーカー』の下調べをしている。欧州の逸品等を取り揃えたアンティークショップ。


 ”貴女をプリンセスにする部屋を” これがキャッチコピーらしい。


「これなら、私も覗いてみたい気がするわ。むしろ男性は入りにくいでしょうね……」


 実際に神蔵は乗り気じゃない。


「恐らくだが…… 朝霧は何か重要なことを知っているのは間違いない。あの場で何が起こったか?それを認識しているのでは無いか、と思う」


「それは私も思ってる。超常現象的な力。それが背後に無いともはや説明が付かなくなってるしね…… ただ、その力がどれほどのものなのか…… 私はまだリアルに想像できない……」


「姫宮……」


「何?」


「……本当にいいんだな?」


「何が?」


「――深淵を覗く者は、また等しく深淵も覗いている。これ以上足を踏み入れると…… 引き返せなくなる」


 神蔵が冷たい視線で静かにそう言った。


 言われなくたって分かってる。私の右手の中指にもうソレは侵食している。改めて言われると恐怖心が徐々に心に広がっていく…… おかしな冷や汗もかきそうだ。


「引き返す気なんて…… 最初からない。聞き込みは私がしてくる。神蔵は近くで待機してて」


 私は吐き捨てるようにそう言うと、車を降りる。5分ほど歩いた先にそこはあった。少し古びた外観だが、それが余計にアンティーク感を醸し出している。


 そして私は入り口のドアを開けた。カランカランとお洒落な音がした。


(!?)


 その時だった。一瞬周りが真っ暗になった。そして誰かの冷たい視線が、私に突き刺さる感じがした……


 なんだこの悪寒は…… まるで強力な金縛りに遭ったかのように、体が凍り付いたように動かなくなる……


 心の奥底が…… 誰かにじっと見つめられるような…… 途端に酷い恐怖心が全身を襲う。


「お客様、大丈夫ですか? しっかりして下さい!」


 気がついたとき、私は入り口のドアから入った場所に膝から崩れ落ちていた…… 店員が心配そうに私の肩に手を置き、声をかけている。


「大丈夫ですか?……ご気分が悪いのでしたら、奥で休まれて下さい」


 緩めのピンクのチュニックに、ぴったりとした濃紺のスキニーデニム。それにお店のエプロンを着けた女性。長めのナチュラルなブラウンに染めた髪にパールピンクの眼鏡を掛けている。間違いない。朝霧だ。


「すみません…… 急に立ちくらみがして……」


 私はそのまま朝霧に体を預け、店の奥のソファに案内される。


「――熱中症なのかもしれませんね。ここで横になってて下さい。冷たい飲み物を用意してきます」


 体に走った強烈な悪寒と恐怖心…… 今のは一体何だったのだろう……


 あんな強烈な金縛りのような体験をしたことは今までに一度も無い……


 私が幼少の頃、霊のようなものを感じる事は少なからずあった。ラップ音や聞こえるはずの無い声が聞こえたこともある。だが日本の祖母の家に預けられてから、そう言った霊的現象に遭遇することはほぼ無くなった。それ以来、嫌な予感を感じる事はあるものの、霊的な現象に巻き込まれる事は皆無だったのだ……


 右手の中指に嵌められた指輪…… よく見ると、最初の頃よりその赤黒い宝石が明るく輝きを増しているようにも見える……


 私はこれから…… どうなってしまうのだろうか……


 そもそも、これは現実なのか? 遙かに長い夢を見ているのだろうか? ひょっとしたら明晰夢を見ているのかもしれない……


 色々な思いが頭をよぎる…… が、これは紛れもない現実のようだ……


「お待たせしました。冷たいレモネードです。ゆっくり休まれて下さいね」


「……ありがとうございます」


 冷たいレモネードに、ちょっとしたお茶菓子も添えられている。上品なパールピンクの眼鏡の奥底にある朝霧の瞳は、とても綺麗だ。


「美味しい…… 外は暑かったから、体に染みますね」


「……良かった。たまに苦手って言うお客様もいらっしゃるので……」


 声は少し小さめだが、綺麗な透き通る声をしている。店員という立場だからか地味目の格好をしているが、着飾れば相当な美人だろう。ほっそりとしているが、出るところは出ているし、小さめのお尻がデニムにもの凄くよく似合っている。何処となく奥手のような雰囲気をしているが、普段は物静かな女性なのだろうか。図書館の片隅で本を読んでいるのが似合いそうだ。


「お客様は……このお店は初めてですか? 素敵なアンティークからアクセサリーまで、当店は揃えておりますので。何でもお尋ね下さいね」


 にこやかに微笑む朝霧。独特の優しげな雰囲気が素敵な女性だ。

 

 だが…… 朝霧があのビル屋上で何があったのかを知っていると仮定すると、朝霧自身がAWという可能性も十分にあり得る。先ほどの悪寒も、ひょっとしたら彼女の何かしらの力と言うことも考えられる。


「……何か、心配事でもありましたか?」


 心配そうに私の顔を覗き込む朝霧。とても優しそうな女性だ。こんな女性がAWとは考えたくない。


 だが、人を見た目で信用してはいけない。信用がおけると思った人間が敵側と通じていた事はFBI時代に多々ある。むしろ人当たりが良い人間ほど疑う事が当たり前だった。


「最近なんだが、夢見が悪いんです…… 恋愛も上手くいかないし…… 悪いものに憑かれているような気がして。なにか魔除けのアクセサリーのようなものって無いのでしょうか?」


 あることを閃き、私は朝霧にそう言った。嘘は言っていないつもりだ。今朝も何の夢を見たのか覚えていないし、目覚めは悪かった。


 神蔵に恋愛感情は抱いていない……つもりだ。私と神蔵の関係は只のありきたりな恋愛感情ではない。神蔵は私の大事な幼馴染みでもあれば、その背中を追う憧れの人でもある。彼のまっすぐな正義感、そして何かを探求しているような、時折悲しげなその瞳……


 学生時代を平穏に過ごせたのも、神蔵のおかげだ。


「魔除けのアクセサリーなら、この指輪など如何でしょうか? 高品位なウルグアイ産のアメジストを使用したリングです」


 朝霧は店のアクセサリー棚から、綺麗なアメジストが嵌められたシルバーリングを持ってきた。10カラットぐらいだろうか。輝きも綺麗でアクセサリーとしては全く悪くない。


「……すみません。指輪を嵌めて頂けないでしょうか? まだ頭がぼーっとしてて」


「かしこまりました」


 私は右手を差し出す。朝霧は一瞬だけ何か考えたような表情をし、穏やかな所作で私の右手を手に取り、指輪を嵌めた。彼女の綺麗な手、その温もりが心地よい。


 に嵌められた綺麗なアメジストのリング。その事実が、私の疑いを確かなものにした。


「――やはり貴女には、この右手の指輪が視えているんですね」


 わたしはソファから立ち上がる。その言葉を聞き、朝霧の顔に動揺が走る。


「お客様……」


「魔除けのリング。本来はに嵌めるものですよね? なのに貴女は薬指に嵌めた。それはつまり――この右手の中指に嵌められた赤黒い指輪が視えていたから。違いますか?」


 右手の薬指は精神安定や恋愛成就を願うリングを嵌める指だ。魔除けのリングを薬指に嵌めるのはおかしい。朝霧が一瞬考えるような表情を見せたのは、どの指に嵌めたら良いのか迷ったのだろう。


「騙すような真似をしてごめんなさい。私は米国の特殊捜査機関UCIAに所属する特別捜査官、姫宮麻美と言います。日本政府からは逮捕権と特別拘束権が与えられています。質問の返答次第では貴女を法的に拘束することがあることをご了承下さい」


 朝霧は不穏そうな表情で私を見ている。そしてスマートフォンを取り出すと、私は朝霧にそれを突きつけた。


「――朝霧真由さん。正直に答えて下さい。貴女はこの雑多な人混みの中で、何を思い何処を見つめていたのでしょうか?」


 クリスが掴んだ監視カメラの動画データだ。


「えっと…… その時は、たしかぼーっとしてて…… 何処を見ていたか迄は……」


 必死に言い訳を探しているようだが、それが余計に言葉を詰まらせている。


 間違いない。朝霧はあの場所で何があったのかを知っている。そしてその当事者の可能性が高い。一瞬のタイミングだ。相手がAWならどんな能力を持っているか分からない。


「頭がぼーっとしているのなら、顔は俯き加減になりますよね。貴女は完全に立ち止まり、何処かのビルの屋上を見るように顔を上げている。時間にして8秒ほど。こんな人混みの中で立ち止まって見るには不自然すぎる」


 朝霧が黙り込む。不穏な表情が強くなっていく。タイミングは今しか無い!


 私は素早く懐から制圧用の小型スタンガンを取り出すと、素早く朝霧の後ろに回り込み、首の後ろめがけてそれを押し当てた。


 一瞬、朝霧の悲鳴が聞こえた。そして床に崩れ落ちるところを上手く抱える。


「朝霧さん…… ごめんなさい」


 ソファに気を失った朝霧を降ろす。その時、神蔵が店内に入ってきた。


「神蔵、朝霧をグラウンドベースへ連行するわ。AWの可能性が高い」


「分かった。よくやった姫宮。ところでお前、マイクはどうした?途中から全く聞こえなくなったぞ」


「ごめんなさい。何かのタイミングでスイッチが壊れたみたい……」

 

 衣服に付けた超小型マイクで、私の様子は神蔵には伝わっている、筈だった。だが直感的にマイクを切っていて正解だった。やりとりを聞かれていたら、私の指輪のことがバレてしまう。神蔵が素早く手錠を取り出し、朝霧の両手首にそれをかける。そして目隠し用のアイマスクをつけた。


「……姫宮です。AWに該当すると思われる朝霧を確保。グラウンドベースへ連行します。拘束具と取り調べ室の用意をお願いします」


 本部へ連絡を入れる。私と神蔵は車のトランクに朝霧を詰め込むと、そのままグラウンドベースへと向かった。

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