CODE:AW

 ――気がついたとき、わたしはベッドの上だった。

腰や首元が微妙に痛い。どうやらしばらく気を失っていたようだ。ここは何処なのだろう?


「お、気がついたみたいだね」


 ベッドの横には、白い半袖のYシャツを着た男が、椅子に座ってこちらを見つめていた。


「あの…… ここは?」

 

「ああ、医務室だよ。うちの室長がすまないことをしたね。いつもこうなんだ」


 やれやれ、といった様子。眼鏡を掛けた爽やかな感じの男性だ。歳は30歳前後、室長と同じくらいだろうか? 深いブラウンの長めの髪。優しいトーンの言葉が妙に落ち着く気がした。


「室長って、男でも女でもホントに容赦ないですよねー」


 部屋の奥から女性の明るい声がする。温かい飲み物を用意してくれたのだろうか。3人分のティーセットを持ってこちらにやってきた。


「僕の名前は葉山俊郎はやまとしろう。ここでは物資及び装備管理と医療スタッフとして配属されている。君と同じ日系アメリカ人さ。横の素敵な女性はクリスティアナ=ハリス。クリスと呼んでやってくれ。僕のことはトシでいいよ」


 胸下くらいの髪を、首あたりで緩く結んだツインテールの女性がにっこりと笑いお辞儀をする。


「情報通信及び分析担当のクリスティアナ=ハリスです。よろしくおねがいしますね」


 歳はまだ20代前半か、もしくは学生のようにも見える。真っ白な肌に二重の大きなスカイブルーの瞳。そばかすが薄くあるところが、また素敵な愛くるしさを醸し出している。うっすらとしたナチュラルメイクがとても似合っていた。


「室長が10秒持たなかったって言ってたけど、気にしないでくださいねー。わたしは5秒も持たなかったし、葉山さんも10秒くらいで終わったんで」

 

「おいおい。僕はかなり健闘して15秒くらいは頑張ったんだぞ」


 二人とも和気藹々と、過去の室長との手合わせを話している。そんな雰囲気に心がだんだんと和み落ち着いてきた。


 ハーディ=エヴァンズ室長。正直なところまったく歯が立たなかった。圧倒的なパワーとスピード。相手の動きを読む洞察力、全ての次元が高い。相当な実戦経験の持ち主なのだろう。


「まあ、あの室長と良い勝負が出来たのは、神蔵君くらいじゃないかな。1分間まともにやり合っていたしね」

 

「元SEALsの隊長とあんな戦い出来る神蔵さんってすごいですよねー。私何回も録画見ましたもん。神蔵さんの時は室長も武器使ってましたしねー」


(――さすが神蔵、あんな人と1分もやり合えるなんて…… アメリカ海軍特殊部隊NavySEALsネイビーシールズの元隊長。やはりというか、とんでもない女性だったのね……)


「そういえば姫宮さん、神蔵さんと幼馴染みなんですよねー。彼女だったりするんですかぁー?」


 意表を突いた言葉が飛んできた。思わず咳き込みそうになる。


「こらこらクリス。すっぱ抜いた人事部の情報で知り得た事を勝手に聞くのはダメだと怒られたばかりだろう。すまないね、姫宮さん」


「確かに幼馴染みで仲は良かった――とは思うんですけど、彼女とかでは無いんです。神蔵は基本的に無愛想だし……」


 私はアメリカで生まれ、現在はアメリカ国籍だが、中学と高校は、親の転勤と家の事情もあって日本で暮らしていた。


 神蔵との出会いは突然なことだった。思い起こせば小学校を卒業し、中学に入る前に、突然祖母から養子として紹介されたのだ。


『今日からうちで面倒を見ることになった。名は神蔵かみくら久宗ひさむね。麻美よ、仲良くするのだぞ』


 静岡県の山間にある小さな神社。その神聖な場所を管理しているのが私の実家、姫宮家だった。私の祖母に当たる姫宮ひめみや菊菜きくなは神社の神主であり、中学高校時代に厳しく育てられた経験からか、3年に1回の神事以外では正直なところ実家に帰りたくない。そう密かに思ってしまうほど厳しい祖母だったが、根は優しい人だ。


 どういった経緯で神蔵が養子として迎えられたのかは、今でも分からない。その事を聞いてはいけないと少なからず思えたし、祖母の言いつけもあり仲良くすることが大切だと思ったからだ。


 神蔵は幼い頃から無愛想というか、あまり笑わない子だった。年頃の男の子が興味を持ちそうな遊びは全然やらなかったし、かといって勉強が疎かだったわけでも無い。むしろ成績は常にトップクラスだった。


 唯一趣味というか、打ち込んでいた事と言えば、剣道、そして柔道だ。本もよく読んでいたように思う。絵に描いたような文武両道な男の子だった。そのせいか神蔵に言い寄ってくる女の子は後を絶たなかったが、知る限りで神蔵が誰かと付き合っていた事は無い。神蔵から相談を持ちかけられたことも無かった。逆に彼女と勘違いされ、女子達から敵意を向けられることは多々あった。


「そうなんですねー。姫宮さん可愛いから、てっきり彼女かと思っちゃいました」


 にっこり微笑みながら言うクリスに、一切の悪気は無いのだろう。だが年齢は28歳、NYPD、そしてFBIの第一線で職務を全うしてきた私には、『可愛い』という単語がなんだか馬鹿にされているように感じてしまう。これも歳の性なのだろうか……


「そういえば神蔵のことなのですが――」


 出されたダージリンティーを口にし、そう切り出したときだった。施設内にアナウンスが流れる。


『UCIA各員、3分後にオペレーションルームへ集合せよ。繰り返す――』



 ――オペレーションルーム。オフィスより少し狭く暗い空間だったが、入り口から正面と左右の壁自体が巨大なモニターとなっていた。既に室長が奥に腰を掛けている。円形の会議テーブル自体も天面がモニターになっているようで、今まで見たことがない独自のシステムで動いているようだった。最新のテクノロジーと潤沢な予算が背後にあるように思われる。


「姫宮、先ほどはすまなかったわ。怪我は無かったかしら?」


「はい、問題ありません」


 先ほどとは違い、少し口調から優しさを感じた。きっと普段は優しい人なのだろう。思えばエントランスで迎えてくれたときは、優しく微笑んでくれていた気がする。


「さて、神蔵はまだ戻ってきていないけど、UCIAの任務について改めて説明するわ」


 室内が暗くなると、円形テーブルの中央に3Dホログラムで描かれた日本地図が映し出された。ここまで高精細かつ表示範囲の広い3Dホログラムは見たことがない。実物が空間に浮いているようだ。


「私達UCIAは、表向きには暗礁に乗り上げた未解決事件や不可解な事件を専門に調査する機関となっているわ。ただ姫宮さんも薄々気づいているとは思うけど、ただのそれらの事件を扱う機関では無い。ある共通した事が背景にあると思われた場合に捜査を行うことになっているの」


 クリスが円形テーブルの端末を操作すると、ホログラムで描かれた日本地図にいくつかの赤い点が浮かび上がる。


「これはね。表向きには公表されていないけど、ビルの屋上で白骨化した死体が発見された場所を示しているわ。過去2年間で16件。そのうちの10件が昨年に起きている」


(昨年で倍近くに増えている……)


「もちろんこれは世界各地でも例外では無い。で、これらの事件にはこんな共通点がある」


 クリスさんが再び端末を操作すると、室長の後ろの大型モニターに共通事項が映し出された。


□ 被害者は必ず見晴らしの良いビルの屋上で完全に白骨化している。

□ 被害者全員が女性である。

□ 年齢は15歳以上から20代に限られている。


「で、信憑性があるかないかは別として――各地で調査を行った結果、ある都市伝説が常に見え隠れしているの」


  部屋の暗さも相まって少し怖い気がしてくる。ゴクリと唾を飲み込んだ。


「ユメミサマ…… 日本ではこう呼ばれているわ。本国や欧州ではホワイトウィッチ、もしくはブラックエンジェルとも呼ばれている」


「……ユメミサマ?」


「女性の夢の中に現れて、願いが叶う魔法のアクセサリーを授けてくれるというの。で、願いが叶って幸せになったという声もあれば、不幸になったとか行方不明になったとか、その結末は様々ね。調査では被害者全員が白骨化して発見される前に、これに関係することを周囲に話していたとか、どこか様子がおかしかった等の証言が上がっているわ」


  ユメミサマという単語は初めて耳にする。だが似たような都市伝説は、ずいぶんと昔に聞いた覚えがあるような気がした。遠い昔、おそらくは学生時代……かもしれない。


「――最近多い気がする失踪事件は、まさかこの事が関係しているのでしょうか?」


 FBIではNSB(国家保安部)に所属していた為、ニューヨーク市警(NYPD)時代のような一般事件とは関わらなかったものの、誰かが忽然と行方不明になる失踪事件は、色々な場所で発生している事は認識していた。もちろんこのような白骨化した死体が発見されたという情報は一切無かったし、全てがそうだとはさすがに思えないが……


「そうね。全てがそうではもちろん無いと思うけど、関係しているものもあるという気はするわ。ちなみに白骨化した死体については各国に厳重な情報統制を強いていて表沙汰にはなっていない。ただ、今後こういった事件が増えてくると、体制を強化しなければならないとも考えているの」


ハーディ室長の説明を補足するかのように葉山さんが口を開く。


「古びた白骨死体が山奥や樹海で発見されるのはよくある話さ。ただこの一連の事件のように突如失踪した人間がすぐに完全な白骨化した死体でビルの屋上で発見されるというのは明らかに不可解だ。そして事件の背景にはその都市伝説に関連するような兆しがある。そして犯人は驚くことに何の証拠も残していないんだ。――姫宮さんはこの不可解な一連の事件をどう見るかな?」


「――仮に、犯人がネクロフィリア(死体愛好癖)だったとして、世界的なネットワークを持っていて同一の何かの思想に基づく目的のために犯行を起こした。と考えても…… 少々無理がありますね。思想に基づくネットワーク的な犯行だとして、それを世に知らしめたいのなら何かしらの犯行予告やメッセージがあると思いますし、私だったらそうします。ちなみにクリスさん、世界全体の総事件発生数をお願いできますか?」


クリスさんが端末を操作し、世界地図のホログラムが表示されると、合わせて無数の赤い点が表示された。


「2025年のデータですが、日本以外の総発生数で135件。アメリカ32件、カナダ32件、ロシア29件、残り36件が欧州やアジア圏となっています」


「ありがとうございます。クリスさん、この組織にも専用の独立ネットワーク対話型AIシステムあるんですよね?良かったら使わせて頂きたいのですが」


 少し気になる点があった。AIが使えれば話が早い。クリスさんが一瞬、ハーディ室長に目を向ける。室長はそれに気づいたと思われるが、再び私に目をやった。


「ごめんなさい、姫宮さん。UCIAのAIシステムは運用セキュリティレベルが高くて、配属後しばらく期間を置かないとIDが発行されないの。わたしが代わりにVARISヴァリスに聞くので何を聞いたらいいか教えてくれませんか?」


「――分かりました。では全ての事件発生日と月齢データの照合をお願いします」


ハーディ室長と葉山さんが、目を合わせ薄らと笑う。


「――UCIA自律型独立ネットワークAIシステムVARISヴァリスへ。2025年発生、全CODE:AWコードエーダブリユー該当事件を月齢データと照合開始」


(CODE:AW……何かの暗号?)


『照合完了。全事件死亡推定日の夜は月齢が93%で満月と判明』


 (――なんとなくで思ったけど、やっぱり満月が関係していたのね。微妙なズレは僅かな発見の遅れと、当日の天候で決行日がずれた影響かな……)


「お見事。さすがは元FBI。素晴らしい洞察力だね」


 にっこりと笑う葉山さん。


「というか、室長と葉山さん。クリスさんもですけど、この事、知っていましたよね?」


 照合をクリスさんに依頼した時、薄らと二人が笑ったのを見逃すほど馬鹿では無い。申し訳なさそうな苦笑いを浮かべるクリスさん。


「気を悪くしたのなら謝るわ。ただテストをしたかった訳じゃ無いの。月齢のことは後に説明する予定だったわ」


 一呼吸おいて、ハーディ室長が言った。


「――で、どう思うのかしら? これが何かの宗教的な事件だと貴女は考える?」


 満月の日にこれだけの事件が起きている。この事だけを考えると確証は薄いが、事件に宗教性はあるのかもしれない。ただ問題は被害者が完全な白骨化した状態で、しかもビルの屋上で発見されていることだ。全ての事件でこれが共通している。そしてこれだけ事件が発生しているのに証拠は何一つ見つかっていない。この事から分かる事は……


「――事件に宗教性はあるのかもしれません。ただ、わたしはこの事件は普通の人間が起こしたものでは無い、そう考えました」


「というと?」


「完璧すぎるんです。世界各国、昨年で145件もの全く同じ事件が起きているにも関わらず、犯人はなんの証拠も残しておらず、その尻尾すら見せていないとなれば。普通の人間、複数犯だったと仮定すれば、必ず誰かは些細なミスをいつかは起こすはず。完璧な殺人をやり続けられる筈がありません。それに警備も強化されていく中でと考えれば余計に……」


「――わたしも、結論としては同じ所に落ち着いたわ。これはとね」


 クリスさんが補足するように続く。


「それに現場やその周辺からは、被害者の血液や肉片等は何一つ発見されなかったんです。自宅や学校、あらゆる想定される場所を探しましたが……」


 話を聞けば聞くほど、この一連の事件の底が見えない。末恐ろしくなる。高度AIシステムを活用したセキュリティシステムが次々と運用され始めた現代で、何一つ証拠を残さずそんな大それた殺人をやってのけるなど常識で考えて不可能だ。監視カメラは至る所に存在し、手薄な場所は警備ドローンが常に飛び回っている。表向きには発表されていないが、情報ネットワーク内も常にVR履歴、検索ワード、チャットなどの発言ログ、SNSに至るまで監視されており、犯罪の兆候があれば即座に治安部隊に通報されるシステムが米国では既に運用されている。日本にも同じような次世代情報監視システムが2024年から運用開始されていたはずだ。


「で、この正体不明の殺人者達……というか、背後に例の都市伝説が絡む事件をこう識別する事にしたの。CODE:AWとね」


 一瞬、沈黙が訪れる。

クリスさんは少し俯いているように思える。葉山さんも少し表情が重い。


「CODE:AWというのは……何かの略称でしょうか……室長が決めたのですか?」


「……あいにく何の略称なのか、私にも分からないわ。そして決めたのは上層部よ」


 室長より上の立場となると、UCIA長官だろうか? だがスタッフリストには最高責任者はハーディ室長としか記載はされていなかった。UCIAを管轄しているのがFBIと同じく司法省だと考えると司法長官ということになるが……


「さて、ここからは少し事務的な話になるけど、重要なことだから聞き逃さないでね」


「……はい」


 ――イヤな予感がした。


「現時点をもって、CODE:AW特別規定に基づきUCIA特別捜査官、姫宮麻美には一切の守秘義務が発生し、行動の自由が制限される。守秘義務違反およびUCIA規定の重大な違反及び過失が認められた場合、アメリカ合衆国軍法会議に基づき裁かれるものとする」


 ――やはりというか、的中した。


「ちょ、ちょっと待ってください。行動の自由の制限ってなんですか? 規定違反の場合は軍法会議にかけられるなんて私は聞いていません!」


 思わず声を荒らげてしまう。UCIA転属に関して上司からはそんなことは何一つ聞いていない。書類にも記載されていなかった。さすがに話が急すぎる。軍人でも無いのに軍法会議にかけられるのは納得がいかない。


「CODE:AWについて知った以上、もう後戻りは出来ないの。聞いた以上はCODE:AW特別規定の対象になるわ。貴女もFBIのNSB(国家保安部)に所属していたのなら、ここがどういう場所なのか――もう分かっているはずよ」


「…………」


 間違いない。この組織は只の捜査機関ではない。今までの事を考察すると、ここはかなりセキュリティレベルの高い軍事施設だ。


「これから貴女の行動には全て監視がつくし、住居やホテルなどは全てこちらが負担し用意するわ。プライベートは無いと思うけど、それを担保に安全が保証されると思いなさい。もっとも、命の保証は出来ないけどね……」


 ――ある程度の事は覚悟をしていたものの、事の重大性と予想の出来ない今後の不安に頭が良く回らず、気持ちがついて行かない。どういうわけか目頭が熱くなる……


「話は以上よ。昼食の後は射撃訓練を行うわ。しっかり食べておきなさい」


 そう言うと、ハーディ室長は静かにオペレーションルームを出て行った。

足音が聞こえなくなると、葉山さんとクリスさんが心配そうに側にやってくる。


「……色々とショック受けちゃったと思うけど、大丈夫。すぐに慣れるよー。わたしも最初はビックリしちゃったし怖かったけどね……」


「元気出して。神蔵君もそろそろ戻るはずだ。ここ待遇はとても良いんだよ。福利厚生は手厚いし給料も良い。家賃に水道光熱費、全部UCIAが持ってくれる。おまけに腕の良いコックの3食タダ飯付きだ。おやつやスイーツもある。装備も常に最新のものが提供されるし、個人的に必要なものは申請すればほぼ経費で落ちる。パラダイスみたいな組織さ」


と、得意げな葉山。


「そうそう! 経費なんてほとんど使いたい放題だからタクシー乗り放題だし、美味しいカフェやアフタヌーンティーも行き放題! 食堂には私が手配したこだわりのゲーセンもあるしVARISの圧倒的な超演算パワーで情報操作やクラッキングも――」


「……おいおい。最後の私用では流石にまずいだろ」


 ――この二人は正直とても愉快で心を和やかにしてくれた。落ち着いた葉山さんと、ちょっとのんびり屋のようでハイテンションのクリスさん。二人の優しい心遣いが嬉しい。思わず笑ってしまいそうだった。


「ささ、お昼食べにいきましょー。UCIAは食堂も美味しいんだよー」



 ――オペレーションルームから施設の奥に進むと、食堂があった。中は結構な広さだ。壁には大型テレビが設置され、所々に観葉植物も置かれている。小腹が空いたときの為だろうか? お菓子やソフトドリンク、うどんの自販機まである。そして隅の一角はどういうわけかゲームコーナーがあった。大型筐体が3台、それに8台のアップライト筐体がある。クリスさんのこだわりが詰まったゲームコーナーのようだ。こういったものは日本での学生時代にゲームセンターで結構遊んだ覚えがある。懐かしかった。


「お、今日のメニューはステーキランチか」


 葉山さんが嬉しそうに本日のメニューが書かれたボードに目をやる。基本的にメニューは日替わりで選べないそうだが、苦手な食材やメニュー等があれば対応してくれるらしい。


「コックのスティーブンさんだよー」


 厨房の奥からがっしりとした黒人の男が現れた。そこまで長身では無いものの、全身の筋肉感が素晴らしい。真っ白なエプロンが違和感を覚えるほどだ。


「俺はスティーブン=ターナー。只のコックさ。モーニングから政府要人が舌を巻くほどの絶品ディナーまで何でもオーケー。可愛くて素敵なレディが配属されるって聞いてたから楽しみにしていたよ。クリスに負けないくらい君もビューティフルだね。今日も最高だ」


 見た感じどうしてもただのコックとは思えないが、気さくな人物のようだ。仕事での料理だと力や体力も使うだろうが、鍛え抜かれた感が半端ではない。まあ何かあったときは、とても頼りがいはありそうだった。特に苦手なものはなかったので、好きな料理やデザートの話をすると、スティーブンさんはにこやかに厨房に戻っていった。



  ――それから3人で昼食を取った。

スティーブンさんの作ったステーキランチは流石というか、とても美味な物だった。肉も柔らかく、それでいて特製のソースが肉の味をしっかりと引き立てていた。付け合わせのニンジンやポテト、ブロッコリーも抜かりなく、しっかりと味付けされている。


 ある程度食べたところで質問してみた。食事も大事だがコミュニケーションも大切だ。二人のことはよく知っておきたい。


「――お二人は、UCIAに配属されてどれくらいなんですか?」


「僕はまだ日が浅くてね。配属されて6ヶ月経ったかなと言うところさ。装備や医療品などの管理を行っているが、必要な物は日々増えていてね。予算は潤沢だが調達は素早く行わないと室長を怒らせてしまうからね」


「わたしは丁度一年ぐらいになります。この施設の情報システムをVARISに連携させるシステムなども作っていたので……」


「室長に次いで先輩になるのはクリスなんだ。普段はシステムルームに籠もりっきりでVARISのチューニングやメンテナンス等に追われているらしいが、それをやりつつトレハンやってるのはクリスらしいと言うか」


「あ、トレハンっていうのはトレーディングハントの略でー、ゲーム内のお宝装備集めのことなんですー! で、レアにも色々種別があって――」


クリスさんがウキウキと早口で話し始める。この子はパソコンやゲームが大好きなようだ。ただVARISという人工知能システムに深く関わっているようだが……


「――失礼だったら申し訳ないのですが、クリスさんUCIA配属前は?」


「えっと…… ここに配属前はアメリカ宇宙軍スペースデルタ6に所属していました」


「アメリカ宇宙軍第六部隊だね。サイバー戦を担当する部隊で、クリスは学生の頃からホワイトハッカーとして注目されていたから、度重なるスカウトでようやく折れたらしい」


少し間を置いて、クリスさんが口を開いた。


「――ただ、合わなかったんです。最初は楽しかったんだけど……」


 小さな声でうつむき加減になるクリスさん。まずいことを聞いてしまっただろうか… とりあえず話題を早急に切り替えた方がいい。


「――なるほど。わたしは元FBIでその前はNYPDでした」


「ちなみに姫宮さんはNYPDでの部署は何処だったんだい?」


「わたしは刑事局の捜査員でした。殺人事件や誘拐など、色々な事件を担当しましたね。葉山さんは?」


「僕は海軍で軍医をやっていてね。かつてはNavySEALsにも所属していた。主に海上が僕の職場だったよ。室長とはその頃からの付きあいさ。今は陸の上だから何でもあって素敵な環境だと思うよ」


 軍医でその頃から室長との関わりがあった。NavySEALsでは室長と同じチームだったのだろうか? 医療と装備調達等も兼ねているとなると、相当な専門知識を持っている事が窺える。


「あ、ちなみに神蔵君は3ヶ月ほど前にこっちに配属されてね。といってもまだ体が本調子では無さそうだが……」


(――3ヶ月前、体が本調子では無い……?)


「えっと、どういうことでしょうか?」


「神蔵君はここに配属される前にとある機関にいたらしいが、そこでの任務中に重傷を負ったようでね…… 瀕死の状態だったらしいが、奇跡的に回復してここに配属されたようだ。無理はしないように言ってはいるがね……」


「……とある機関とは?」


「それに関しては私も調べてみたんですけどー、神蔵さんのことはFBIから転属後の情報が一切掴めなくて…… たぶんセキュリティレベルが相当高いんだと思います。UCIAの前身機関かもしれませんが、余計な詮索はしないようにと室長からも強く言われてて……」


 圧倒的に情報通と思われるクリスさんでさえ分からないとなれば、神蔵のことを知っている可能性があるのは室長だけということになる。余計な詮索をしないよう周囲に言っているのであれば、神蔵本人に聞いても答えてくれない可能性が高い。


 何より、神蔵は忽然と姿を消したのだ。それを考えると、ここに来たことも神蔵にとっては迷惑な話なのかもしれない。

 

 神蔵と過ごした中学、高校、大学時代。その背中を一生懸命追いかけて、FBIで共に過ごした時間――


――忘れられるわけが無い。忘れたいとも思わない。


――その先にどんな危険が待っていたとしても。


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