イチジク定食

有笛亭

第1話

イチジク定食


 一級河川ともなれば、河川敷もそれなりに広い。場所によっては、テニスコートやゲートボール場があったりする。だが、その一級河川にはそういった類のものは一切なく、ただ草木が生えているだけだった。

 ならば手つかずの自然と言いたいところだが、そこに生えている樹木は果樹が多く、とりわけイチジクの木がかなりの面積を占めていた。まるでイチジク畑のようであった。しかし畑でないことは、枝が無造作に伸びて、脚立を使わなければ収穫できないことでも分かった。そんな効率の悪いイチジク畑は今時ないだろう。

 きっと誰かが遊び半分でイチジクの苗を植えたのだ。あるいは枝を挿した。というのも、イチジクほど挿し木の簡単な植物はなく、樹木の生育も早い。だから毎年伸びた枝を切って挿し木にすれば、意外と短期間でイチジク畑のようになるのだ。

 因みに、この河川敷にはホームレスが何人かいる。

 橋の下にテントがあり、イチジクの群生地にもブルーシートの小屋がある。ひょっとするとここのイチジクは彼らの食料かもしれない。

 私は最近、近所のアパートに引っ越してきたのだが、仕事もなく、というか、ホラー作家の端くれで、毎日ぶらぶらとネタを求めて地域を探索していた。

 散歩ほど金のかからない娯楽はない。私はいつも雨の日以外は、外に出かけることにしていた。

 そうして今日、土手から見えるイチジクの群生が気になって、ふと河川敷に降りてみたのだ。 

 そのブルーシートでできた小屋は、イチジクの木に隠れるようにしてあった。

 私はその前で足をとめた。男がいたからだ。

 八月のまだ暑い時期で、男は上半身裸で、小屋の前の椅子に座り、こっちを見ていた。年齢は五十代のようであったが、やはりホームレスらしく髪がぼさぼさだった。ただ顔の造りは、意外と教養がある雰囲気で、髪を整え背広を着れば、ちゃんとした男性に見えなくもない。

 男の前に木の台があり、イチジクの実がいっぱい入ったざるが二枚置かれていた。イチジクの二大巨匠、蓬莱柿とドーフィンであったが、ここで商売をしているのか。しかし値段は書いていなかった。

 と男が、突然ニコッと笑って、「兄ちゃんイチジク定食はいらんかね?」と言った。

「イチジク定食!?」私は聞き返した。

 男はうなずいた。

 単にイチジクだけを売っているのではないらしい。

 見れば台の上に、食パンと卵が置いてある。ガスコンロもある。

「ここで食事ができるのですか?」と聞くと、

「できる」と男はきっぱりと答えた。

「料金はいくらですか?」

「ワンコイン」

「百円ですか?」

「ははは、君は面白い青年だね。ワンコインと言えば、普通五百円玉一個のことだよ。しかし気に入った。今日は特別に百円にしておくよ。ただしその分、量を減らすからね」

 私は別に空腹ではなかったから、むしろその方がよかった。が、この不衛生なところでどんなものが出るのか、怖い気もした。

 まあ話のネタになるからと、私は百円玉をポケットから出して、男に手渡した。

 男はガスコンロに火をつけ、フライパンをかけ、サラダ油を敷き、生卵を落とした。そして、その開いたスペースに食パンを半分に切ってのせた。

 火を通したものならば安全かもしれないと、私はちょっと安心した。

「目玉焼きを食パンに挟むわけですか?」

「いや。イチジクをね。目玉焼きは別皿で出すよ」

「じゃあ、私がやります。いつも自分でサンドイッチを作って食べていますから」

「あらそうかね。じゃあ君に任せたよ」

 私としては、男の小汚い手で自分の食べ物を触られたくなかったし、それに実際自分で毎日食事を作っていた。料理とも言えない代物だが。

 目玉焼きができると皿にのせた。

 イチジクは別にパンにのせなくてもそのまま食べて問題はないのだが、男の様子だとサンドイッチという形が重要なようだった。

「蓬莱柿とドーフィンを二個ずつ取りなさい」と男は言った。

 私は蓬莱柿の皮をむき、それを切らずにパンに挟んだ。完熟のイチジクだから、ジャムのように柔らかいのだ。

 サンドイッチ用には二個で十分だった。で、あとの二つはそのまま食べることにした。

 飲み物は、ペットボトルのお茶で、コップについでくれた。だが、このコップが不衛生な感じがしたので、私は手を付けなかった。喉が渇けば自販機はどこにでもあるのだ。もちろん河川敷にはないが、土手の向こうにいけば、数百メートルに一台は見つかる。

 目玉焼きの皿にはプチトマトが数個そえられた。プチトマトはそこらへんに生えていたが、男は水の入ったポリバケツの中から穴の開いたお玉でプチトマトをすくったのだ。おそらく冷やすつもりだったのだろうが、この暑さで生ぬるくなっていた。

 私は木の箱に腰かけて、イチジクのサンドイッチを食べた。

「どうだ、美味しいだろう」

 男は得意げな顔でそう言った。

 私は黙ってうなずいた。称賛を与えるほどのものではないのだ。

 やがて男は、違うポリバケツの中からぶよぶよしたものを手づかみにしてフライパンの上にのせた。何かの幼虫で、数えると五匹であった。

 細長く、カブトムシの幼虫ではないことはすぐに分かったが、「何の幼虫ですか?」と聞くと、

「カミキリムシの幼虫だよ」と男は答えた。「こいつのお陰で、おれの大事なイチジクがどんどん枯れていく」

「じゃあ、ここに生えているイチジクの木は全部あなたの持ち物ですか?」

「いや、おれの持ち物じゃあない。河川敷だからな。しかし、イチジクの木を増やしたのは、間違いなくこのおれだ。十年ほど前にね。おれは、近くのイチジク畑から、農家が伸びた枝を剪定して捨ててあったのを拾ってきて、この河川敷に植えたのだ。雨の日以外は毎日川の水を汲んできて地面が乾かないようにしてやった。その結果、半分以上活着したね。イチジクの木は果樹の中では最も成長が早く、二年目には実がなったし、また、その伸びた枝を切って挿し木に使った。毎年そんなことをして、このような状態になったのだ。もちろん無農薬だからカミキリムシにやられて枯れていく木も多い。しかし、その反面テッポウムシというおやつが手に入るし、枯れた木は冬の薪になる。なのでおれにとっては、カミキリムシは害虫ではない。テッポウムシはフライパンで炒って食べると、とても香ばしくてうまいんだぞ。君にも一つあげよう」

「いや、いいです」

 私はすぐに断った。虫など食べる人の気が知れない、と私は常々思っていた。

「ははは。最近の若者は食べないね」

 男は炒ったテッポウムシを素手でつまんで口にぽいと放り込んだ。

 私は疑問に思ったことをたずねた。

「おじさんは、こんなところで商売をして、儲けが出るんですか?」

「儲けが出るってか」男は笑いながら、「儲けが出るわけがないだろう。ただ損もしていないよ。元手がかかっていないから。だいたいこんなところに人が来ることはめったにないのよ。釣り人が通るくらいだ。あっそうだ、近所のおばさんやおっさんが、このイチジクを取りに来ることはあるよ」

「イチジクを売りに行くことはないのですか?」

「前はそれも考えたが、しかしおれなんかがそんなことをしても、誰も相手にしてくれないよ。どうせ、どこかの畑で盗んできたのだろうと思われるのがオチだ。しかしおれは、ここで何かがしたかった。若い頃飲食店で働いていて、自分の店を持つのが夢だった。今となっては、それもかなわぬが、せめて気分だけでも店主でいたいと、それで、こんな情けないママゴトをしているというわけだ。別に客が来なくてもなんも問題はない。ところで君は、何しにこんなところに来たのかね? 釣り道具もないし」

「じつはちょっと前に近所の格安のアパートに引っ越してきまして、仕事がなく暇なので河川敷を散策していたところです」

「そうかね。だったらイチジクを好きなだけちぎって持って帰りなさい。引っ越し祝いだ。どうせ野鳥が食い散らかす実なんだから。ところでその格安のアパートというのが、ちょっと気になるが月いくらなのかね?」

「三万円です。他の部屋は四万円ですが、なんでもその部屋で昔自殺された方がいて、それ以来誰も入居していないそうです」

「そのアパートの名は、○○荘というのじゃいかね」

「ええそうです。そのアパートを知っているのですか?」

「知っているもなにも、おれがその部屋に住んでいたのさ」

「ええ──」私は驚いて、男の顔を凝視した。

「ははは。おれが自殺したんじゃないよ。おれと一緒に住んでいた相棒だ。そいつはちょっと頭がおかしかった。相棒とはある建築現場で知り合って、一緒に暮らすことになったのだが、クスリをやっていて、精神状態がいつも不安定だった。一緒に暮らして初めてそのことが分かったのだが、だんだんとおれは、相棒と一緒に生活するのが不安になってきた。ちょっと危険を感じていたのだ。そんなある日、相棒はおれが留守をしている間に、部屋で首をくくって死んだのさ。おれは怖くなって、すぐにその部屋を出たのだが、君はよく住む気になったね」

「大家さんが言うには、敷金も礼金もなしで、保証人もいらないということでしたから。しかしじつは、私はホラー作家の端くれで、ちょいちょいそういった事故物件に滞在しているんですよ。長く住むつもりはありせん。せいぜい半年ですね。それでも大家さんにとっては、ありがたいことでしょう。誰かが借りて住んだという実績がほしいわけですから」

「ホラー作家の端くれかね。おれもホラー小説は好きでよく読むが、と言って本を買うわけじゃないよ。図書館でタダ読みをするのさ」

「この近くに図書館があるのですか?」

「町立の小さな図書館がある。しかし俺は町中にある市立図書館の方に行くね。ここからだと六キロくらいあるが、自転車だと一時間もかからないよ。ところで、君の本は図書館に置いてあるのかね?」

「ないですね今のところ。というのは、私のホラー小説は、まだ紙の本にはなっていませんから。インターネットの方では読めますが、有料です」

「それは残念だね。だが今日はよかった。ホラー作家と知り合いになれて。うれしいよ。ホームレスをやっていると、くだらん人間ばかりがやってくるからな。君のような若者は、夢があっていい」

 私は俄然この男に興味を持った。何かすごい過去を持っているような気がした。何といっても今、自分が住んでいる部屋の先住者ということで、親近感を覚えた。

「私が引っ越してきたアパートにあなたが前に住んでおられたというのも、やはり縁ですかね」

 私はこの男から、何か面白い話が聞けるかもしれないと思ってそう切り出した。

「縁であるとも言えるが」と男は言った。「だいたいこの世の中は、必ず原因と結果がつながっている。当たり前のことだが。だから君がここに来たのも必然なのさ」

「必然と言いますと?」

「君はホラー小説を書いているだろう。ホラー小説を書く者は、たいてい陰気な性格だから、繁華街のにぎやかな場所をさけて、こういう人気の少ない場所をうろつくものだ」

 当たり、と私は心の中で叫んだ。

「鋭い観察力ですね。すごい過去をお持ちじゃあないですか? 単なるホームレスではないように私は感じましたが……」

「すごい過去というものはないよ。ただ、普通の生き方ではなかったな。ホームレスをするくらいだから。しかし人が経験しないことを経験したし、怖い思いも何度もしたよ」

「その怖い思いを聞かせてもらえないでしょうか?」

「ああいいよ。君はホラー作家だから、小説のネタにしたいんだろう。おれも誰かに聞かせてやりたいとずっと思っていた。では、まずおれがなぜホームレスなったのかを話そう」

 と男は、話し出した。

「おれは昔から人と変わったところがたくさんあった。その一つが空想癖で、あたかも実在の人間がそこにいるかのように物語を作って暮らしていた。おれは人間嫌いで友人もいなかった。が、そのくせ寂しがり屋で、そばに誰かいないと不安だった。要するに人間嫌いというのは、人間恐怖症のなせるわざで、自分を守ってくれる人がそばにいないと落ち着けないのだ」

「それで等身大の人形がそこに立っているわけですね」

 と私は、男の後ろに立っている人形を指さした。

「まあそういうわけだ。人間恐怖症のせいで、おれはまともな生き方ができない。君の今住んでいる部屋を出たのも、単に相棒が自殺しただけではない。もちろん相棒の霊が現れるのではないかという恐怖心はあるが、顔も知らない人間ばかりが住むアパートで人間恐怖症のおれが一人で暮らせるわけがないのだ。情けない話だが。ならばペットを飼ったらいいではないかという意見もあるだろうが、犬猫を飼う余裕はないし、アパートだから飼いづらい。けっきょくこういう番地もないようなところで一人で暮らすしかなかったのだ」

「しかし、生活費はどうしているのですか?」

「ホームレスの多くは空き缶や段ボールなどを集めて、それでわずかな収入を得ているようだが、おれは建築現場で雑用をやっている。気の向いた時だけだが。いわゆる日雇いというやつさ。一日働けば、一週間は余裕で食っていける。もちろん贅沢はできないが、ここなら電気代も水道代もかからないし、今の季節なら、イチジクだけで腹が膨れるよ」

 ここまでは別に怖い話ではないが、この後、男はこんなことをしゃべった。

「おれは人形を作るのが趣味なんだ。それも等身大の、ちょっと見ると本物の人間と変わらないものをね。だから人形に着せる服も古着の既製品だ。後ろに立っている人形の服も、じつは死んだ相棒の服なんだよ」

「だからですかね、まるで本物の人間のように見えますね」

「だろう。おれは昔、蝋人形を作る会社でアルバイトをしたことがあって、そこで蠟人形作りの知識を得たのだが、もともとおれは手先が器用で、こんなものは朝飯前なのよ」

「じゃあ、ひょっとするとこれは亡くなった相方さんの風貌ですかね?」

「その通りだよ。おれは相棒と妙に馬が合った。相棒もおれと同じような境遇で、独り身で身寄りがなかった。それで家賃を節約するために一緒に暮らすようになったのだが、クスリさえやらなければ、奴は死ぬことはなかった。天涯孤独だった奴のことを想ってやれるのはおれだけだった。それで奴にそっくりな蝋人形を作って、ここに置いたのさ。ここにいればいつもおれと一緒だからな」

 このとき私は、男の相棒が身寄りのない独り者だったというのが気になった。相棒は亡くなった後、誰が遺体を引き取ったのか。男はすぐにアパートを出たと言うし。

 改めて後ろに立っている蝋人形を見ると、雨風に晒されて痛んではいるが、肉体労働者風のがっしりとした骨格をしていた。とてもマネキン人形などのひ弱さがない。

 私は急に怖くなって、その場を去った。だが、帰り際、男がニヤッとしたので、これはひょっとすると、男の作り話ではないかと考えた。ホラー作家を自称している私としては、腰を据えて聞くべきだったのだ。

 まあ時間はいくらでもあるわけで、今度行った時は、私はもっと踏み込んだ話を男から聞くつもりである。

 ということで、今回はここまでとなります。


 

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イチジク定食 有笛亭 @yuutekitei

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