第2話 暁烏博士

 門扉がわずかに開いている。かつては真っ白な白亜の外観だったのかもしれないが、今やその姿を見るすべはない。古ぼけた門扉の先に四階建てのJMEA(Japan Magma chamber Exploration Association)の建屋が見える。私は数か月前に取りつけた暁烏博士への取材のために、都内にあるJMEAの本部を訪れた。建屋の入口には今にも眠りそうな警備員がこちらを薄眼でぼんやりと眺めている。私は警備員に軽く会釈すると、エレベーターで最上階にある暁烏博士の居室に向かった。初めての暁烏博士への取材であり、やや緊張していることが自分でもわかった。建屋内の廊下には岩石サンプルや様々な分析機器、数台の光学顕微鏡、実体顕微鏡が雑然と置いてある。一番奥にある暁烏博士の居室は固くドアが閉められていた。廊下には学生の姿や他の教員の姿は見えず、しんとしている。意を決し、「失礼します」と一声かけ、軽くノックすると、部屋の中から、「どうぞ」というしゃがれた声が聞こえた。緊張しながらドアのノブに手をかけ研究室に入ると、ドアに背を向けてパソコンの複数モニターに向かっている男性の後ろ姿が見えた。それが私の取材相手である暁烏博士だった。古びたオーク材のデスクの存在感に威圧されるような形で私は声を失った。緊張しながらも部屋を一瞥すると博士が座る猫足の木製椅子はオートクチュールなのだろうかとぼんやりと思った。研究室の中央には来客用の二人掛けの革張りのソファとローテーブルが置かれている。

「そこのソファへどうぞ。」

初めて聞いた暁烏博士の声は想像していたよりも張りがあり、若々しく感じた。私は忙しい合間を縫って取材を引き受け入れてくれたことに謝意を伝え、小さな手土産の洋菓子を渡した。手土産を受け取る時、立ち上がった博士の背はすらりと高く、年老いた人間特有のみすぼらしさのようなものは微塵も感じさせず、「これは心遣いありがとう」といった博士の立ち振る舞いにほれぼれとする何かを感じた。私は先ほど勧められたように、ソファに腰を下ろし、研究室内をもう一度、ぐるりと一瞥した。

研究室の壁という壁はすべて本棚で覆われており、地球科学の専門書やA4サイズの論文のコピーがところ狭ましと積み上げられていた。また、博士の木製のデスクの横には別の作業台があり、その上にはカメラが接続した巨大な光学顕微鏡が置かれ、床には私の背を超える程の高さまで標本箱が積まれ、今にも崩れそうだった。

地震で標本箱が倒れ、サンプルの落石により高い確率で怪我を負うだろうという思いが脳裏をかすめたが、準備してきた質問を暁烏博士へぶつけることにした。

「私は千葉新聞科学部の記者です。これまでに博士が公表された論文をすべて読んできました。今回、弊社新聞にてマグマ溜り研究所の特集を組むことになり、取材に伺った次第です。現在地球で抱えている化石燃料の枯渇、地球表層環境のドラスティックな変化の真っただ中にて、数十年前から現在の地球が直面している状況を想定し、その解決策としてマグマ溜りの有用性に言及していたのは流石の一言としか言いようがないことです。現在まさに地球深部マグマを人類が有用利用することがほとんど現実的なところまで来ており、マグマ溜りの有人掘削計画は計画段階をとうに過ぎ、実行の第一歩を踏み出したところだと認識しています。その第一人者として、さらにはマグマへ潜ったパイオニアとして、博士の経験や今後のマグマ溜り研究所の展望について取材させて頂きたいと思います。本日はよろしくお願いいたします。」

私は導入として考えていた口上を述べた。自分でもうまく話せたのではないかと数秒程、悦に入っていたかもしれないが、博士には関係無いようだった。

「一番知りたいことはなに?」博士が不機嫌そうにそうつぶやいた。出鼻をくじかれた感は否めないが、私は用意してきた質問を続けた。

「マグマ溜り研究所が設置された背景から第一回の有人掘削計画までの経験談、そして今後のマグマ溜りの有用活用の展望を教えて頂けないでしょうか。」

博士は地球が描かれたマグカップからコーヒーをちびりと口にし、じろりと私の顔を睨んだ。身長は私よりも二十㎝は高いだろう。スキンヘッドの頭で、眉の薄い巨漢の博士にじろりと睨まれ、私は自分の手のひらがじっとりと湿り、脇に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。

「地球が直面している状況はもちろん理解しているだろうね。」

「ええ。もちろん。」

私がそう答えると、博士はそれならよろしいと言い、状況を簡単に解説し、実際の有人掘削を行うまでの過程を説明した。その作業は主に掘削に適した火山の選定とそのための火山の物質的および構造的なデータ収集作業だった。物質的にはマグマの化学組成、粘性、含水量、密度等のデータ収集であり、構造的データ収集は火山の地下深部における分布構造、マグマ溜りの形状を精緻な地震波探査、宇宙線探査などでマグマ溜りの内部構造の断面図を作成収集することだった。これらのデータ収集は噴火のタイムスケールや仮に大噴火を起こした場合の規模を推測することが目的だった。それは初耳だった。突発的に大噴火を起こす可能性のある火山に人間が潜り、そんな場所に全世界の需要を満足するための大規模発電設備を作るわけにはいかない。設置の途中で大噴火が起きてしまえば目も当てられないと。暁烏博士の説明はわかりやすく、時にユーモアに富んだものであった。私は説明するに足る記者として認識してもらえたのかもしれないと一安心した。

暁烏博士は数十年前からJMEAに所属し、マグマが地球表層の環境へ与える影響について研究していた。博士は一貫してマグマ溜りを地球物理学、地震学、火山学、材料科学など複数の側面から調査していた。博士の研究範囲はとても広く、野外での調査から岩石分析、スーパーコンピューターによるモデリング計算まで行い、いわばマグマ溜りを多面的に捉えるために手段は選ばないという立場を取っていた。言うは易く行うは難しという言葉があるが、博士はその行動力、知識量、頭脳明晰さを振りかざして、剛腕を奮った。また博士は理論と観察の両方から取り組み自ら実践し、マグマ溜りの物質変化シミュレーションの数値計算に精通しながらも、真実は岩石の組織に宿っているという哲学をかたくなに固持する稀有な研究者だと、私の目にはそう映った。理論と実践、どちらかに傾倒してしまうのが人間の常だが、その二つの絶妙なバランス感覚を備えた類まれなる人物であるというのが私の事前調査により持った印象だった。ほとんど単独で研究を続け、ほとんどの論文を単著で公表してきた博士にとって転機となったのは(あくまで私の個人的な印象であるが)、十年前に政府主導のプロジェクトとして、マグマ溜りの活用が考案されたことだと言えるだろう。JMEAと防衛庁、経済産業省および民間の掘削会社、大学が連携し、計画は進められた。莫大な科学研究費がこの分野へ予算として計上されたのは誰もが知ることである。暁烏博士はこのプロジェクトに一研究者として参加し、次第に主要メンバーとして頭角を現し、現在の地位であるプロジェクトリーダーになった。

「暁烏博士は五十代という若さでこの国家プロジェクトのリーダーとなり、今やマグマ溜り研究の第一人者としてご活躍されています。ご自身のおかれているこの立場についてどう思っていますか。」

私はおべんちゃらを込めて博士に質問したが、博士の反応は至って謙虚なものであった。

「私は理学側の人間で、火山山頂でやぐらを組みあげたのは機械屋で、やぐらを設計したのは設備屋の方々だ。私のような理学畑の人間は自然現象の事実から物語をくみ上げることは得意だが、実際のブツを作ることができるのは工学畑の方々なんだ。私達がやっていることは事実の調査と積み重ね、それと素過程の理論から一番最もらしい物語をくみ上げるだけなんだ。事実から真実らしい何かを導くことが地球科学者の仕事だ。」

不機嫌そうに博士はそう言った。博士をほめた私は損をした気持ちになった。なにやら博士はまだぼそぼそと話しつづけている。案外謙虚な人間なのかもしれないと私はそう思った。

「私達がマグマ溜りの選定を始めたのが十年前、そして火山を選定している間に、工学系の方々が山頂に設置するやぐらとMCLSの設計をした。火山の選定が完了したのが五年前だ。その後さらに五年かけて山頂に有人掘削のための設備が設置された。」

「MCLSというのは有人掘削船(Magma Chamber Laboratory Ship)のことですね。」

想定していたよりも博士は饒舌な人間だった。話出すと立て板に水のように滔々と話し出した。研究者という人種に他人を気遣う人などいないと私は思っていた。ただ自らの意思で自分のテリトリーに入れた他者に対しては親切で饒舌なのだということをあらためて認識した。博士はもちろんそうだとばかりに、大きくかぶりを振った。

「選定した火山は富士山だ。噴火の頻度は低く、地下に大規模なマグマ溜りが存在することが明らかになっている。」

博士はデスクの背後の本棚から冊子を一部取り出し、私へ手渡した。冊子には山頂に設置した完成後の設備の説明のパンフレットだと博士は言った。冊子をぱらぱらとめくり眺めていると、冊子には赤色の砂と巨石が入り混じった山頂の写真が写っている。冊子を見ていくと、富士山の山頂には直径百mを超える巨大な火口があり、火口の縁にある剣ヶ峰がそのピークとなっており、剣ヶ峰にはかつて宇宙観測に使用されていたレーダードームの跡が残っているということが書いてあった。今回はこの広大な火口の中に五十m程度の高さのやぐらを組んだとのことだった。ここまでの高所でやぐらを組んだり、設備を組み立てたりするのは並大抵の労力ではないだろうと私は思った。やぐらの中心部には有人掘削船とほぼ同じ直径のケーシングが埋められていて、そのケーシングに沿ってやぐらの頂上の巨大な滑車と結ぶ付いた有人掘削船の写真が見開きでその冊子に掲載されていた。ケーシングの周りには複数の送水ポンプとベントナイト水という掘削に用いる用水をためておくためのが設置され、これらはボーリング時に地下へ泥水を送水し、冷却するためのものであるとのことだった。さらにページを繰っていくと、火口内で働く作業者の人々が映り込んだページがあり、人間との比較により設備の巨大さが際立って、現実味のない写真となっていた。これらの設備の背景には悠然と御尊存である久須志荏神社の社が写り込んでいる。富士山山頂にある巨大な設備群だけでも奇妙なものだが、そこに千年以上の年月に渡りこの聖域を守ってきた社がそれらの風景を俯瞰して守っているようにも見え、それは不思議な光景であった。単なる印刷された写真だとしてもその異様さは私にも伝わった。

「富士のドリリングサイトにいったことはあるか」

冊子の写真に目を奪われていた私に対して博士はそう質問してきた。

「いいえ。富士のドリリングサイトの現地に行ったこともなければ、これまで写真を見たこともありませんでした。写真を見たのもこの冊子が初めてです。」

「そうか。まあ初めて見たのだったら驚くだろう。山頂にあれほどの設備が設置されているのだから。大学生の頃初めて富士山に登頂した時山頂に山小屋があり、山小屋でラーメンを売っていた時と、さらに山小屋の脇に数台の自動販売機が設置してあった時の驚きもかなりのものだったがね。自動販売機は少なくとも三台はあった。あれは本当に驚いたよ。あまり時間がないから無駄口を叩いている余裕はないな。そろそろMCLPの搭乗時の話をしたほうがいいだろうか。このままだと富士山頂の異様さについての話で終わってしまいそうだから。」

「ご配慮ありがとうございます。まったく以てその通りです。ぜひとも有人掘削計画の話をお願いします。」

第一回目のMCLPの実掘削が行われたのは今から一年前で暁烏博士はその搭乗者の一人だった。第一回目の搭乗者は合計五人。そのうち地球科学者の搭乗者は暁烏博士と暁烏博士の下で研究をしていた大学院生の女性、それと工学系からは機械設備の研究者が二名とボーリング会社のエンジニアが一名参加していただけだった。大学院生の女性は容姿端麗なその様から、美しい若手研究者として世間からも認知されており、ちょっとした有名人だった。これは私が博士との打ち合わせまでに、自力で調べてきた情報だった。搭乗期間は掘削開始から数えるとちょうど三か月。掘削期間中、地下のボーリングケージの中に長期間で滞在する。地下深部に閉じ込められるという恐怖心は国際宇宙ステーションにおける船外活動のそれと比較しても余りあるものであろうと想像できる。国際宇宙ステーションでの船外活動が裸で自らの姿を地球に晒しているような気持ちになるのであれば、MCLP での体験は小さなダンボール箱の中で首をすぼめた状態で三か月過ごしているような状況に匹敵するのではないかと思った。どちらも体験したことはない私のそれは単なる想像でしかないのだが。

「MCLSにマジックハンドのような岩石サンプリング機工を付けたのは私の強い要望によるものだ。In situでマグマ溜りからのサンプリングはどうしても必要な作業だった。マグマ溜りの有効利用のための先行調査が今回の実掘削の目的ではあるが、マグマ溜りからのIn situのサンプル採取は私の長年の夢であった。それが今回の実掘削で副次的にでも達成できた。こんなことは十年前には考えられなかったことだ。」さらに、博士はこう続けた。

「MCLSが五つのモジュールから構成されているのは知っているだろう。1st-mod, 2nd-modはドリリングモジュールとなっている。この1st-mod先端のドリルは石油掘削などで使用する機器と同じ仕組みになっている。ただ、サイズは馬鹿でかいものだがな。ドリルの内部にはコアビットがあり、ボーリングの場合はここに掘削したボーリングのロットが充填されていくわけだが、今回も同じでコアサンプルが採取されていくわけだが、掘った後のコアピット内をMCLSが進んでいくというわけさ。直径八メートルのコアとその周りにある八メートルの厚みのコアピットが囲んでいる。そういう設備が1st-modだ。ただ、マグマ溜り近くの高温部になればそのコアピットもほとんど要をなさなくなってくる。3rd, 4th ,5th-modは居住モジュール、そして6th-modは1st-mod,2nd-modと同じく、掘削のためのモジュールで、特に地表へ戻っていく際に使用するものだ。3rd-modは完全な居住空間であり、直径八mほどの巨大な空間に三か月間、五人で生活をしていた。3rd-modには五人の共有スペースが円筒状のモジュールの中心部分にあり、それが五つに分割され、七二度の角度分が個人スペースだった。その外側が約一m厚の耐熱壁となっている。この耐熱壁に私達の安否はすべて担われているわけだ。素材は基本的には窯に使われている耐熱レンガと同じだがそれよりも材料性能が優れているものと考えてもらって構わない。」

「MCLSの設計図面や詳細な構造は一般的には公表されていないものですね。とても興味深いものです。大変ありがたいものです。今回お聞きしたことは記事にしてもよいものでしょうか。」恐る恐る聞いた私には博士の回答は明確だった。

「もちろんだ。これらは取るに足らない情報だ。好きなように記事に使ってくれ。4th-modには研究のための分析装置、岩石切断機、研磨機、光学顕微鏡などが地球科学側の装置があるが、大半を占めているのは補修機器や予備部品などの掘削にかかわる重要な資材だよ。これらはすべて地下深くまで掘削して、安全に地上まで戻ってくるためのものだ。ミッションの成功が何よりも重要だから理にかなっている。搭乗者が死んでしまっては何の意味もない。それは単なる自殺行為になってしまうから。そんなバカげたこと、それは私の望むことではない。ちなみにサンプリング用のマジックハンドは5th-modに設置してある。掘削の負荷がかからない場所だからな。私にとって一番重要な設備かもしれない。」

そう言って博士は一度カップのコーヒーを飲み、そろそろ終了の時間だろうと言い、博士は立ち上がった。私は謝辞を伝えると研究室から撤退した。大一番のメインイベントは六十分時間切れ引き分けである。



       

            *

「失礼します。市川博士はいますか。」

研究室をノックすると同時に私は研究室を覗き込んだ。

目当ての市川博士は入ってすぐの机の上に置かれた顕微鏡を眺めていたが、私が入るとすぐに顔を上げてこちらを向き、こう話しかけてきた。

「博士には無事に会えましたか。」

「ありがとう。興味深い話を聞けたよ。君のおかげだ。」

「それはよかった。」

それは数秒のことで、市川は私の方に向けた顔をすぐに顕微鏡のレンズに戻していた。市川は昔からこんなかわいげのない様子だったが、迷惑をかけてはいけないと思い、私は静かに研究室のドアを閉めた。

市川もJMEAの研究者であり、暁烏博士の部下であり、私の大学の後輩でもあった。それに専攻、研究分野まで同じ直属の後輩だった。ただ私と市川で異なるのは市川は私よりも格段頭が切れ、冷静でかつ努力家だったことである。努力家か天才なのかという事実を私は知ることはできないが、ただ市川が猛烈な勢いで岩石を採取し、粉砕、分析し、猛烈な勢いで論文を読み、そして成果を公表したのは客観的な事実だった。ただその努力をおくびにも出さぬ様子から冷徹という印象を周囲の同級生や先輩達には与えていたかもしれない。ただ私は市川のことを毛嫌いすることはなかった。似た研究をテーマとしていため、あの当時親近感のようなものを持っていたのかもしれない。遠い昔の古の思い出である。

弱小新聞社の記者である私が今世の耳目を集めているマグマ溜り研究所の最高責任者に取材できたのもJMEAの第一線で研究している市川の口添えのおかげだった。数年ぶりの連絡だったが市川は返信メールをよこしてくれた。ただそのメールはいかにも市川らしい簡潔で事務的なものだった。ただとても懐かしかった。大学時代にタイムスリップしたかのような懐かしさ。好奇心にまみれていたあの頃はただ勉強すること、研究できることがただ嬉しかった。山に登り、無心に岩石を叩く。採取した岩石を大学へ持ち帰り、切断、研磨、そして光学顕微鏡で観察。標本箱には次第に岩石や薄片が蓄積していった。収集したサンプルを眺めるのが好きで手に入れた岩石はすべて美しかった。あの頃の私はただ情熱という原動力だけで動いていた気がする。後輩でありながら、淡々と岩石を切断し、観察し、分析する市川は凛として見えた。

卒業論文の執筆に追われ、深夜遅くまで大学に残ってPCの画面に向かっていた時、ふと岩石切断場に置いてきてしまった薄片を取りに地下まで下りて行ったとき、静かな岩石切断場に黄色の裸電球が光っているのが見えた。それは市川だった。作業用の白衣は研磨粉で黒く汚れていたが、市川は巨大なダイヤモンドカッターの前に耳栓をつけて立ち、白く細い手で緑色の橄欖岩を握りしめ、切断し始めていた。キーンという騒音がなり、私は耳を押さえたが、市川は私が薄片を取りに岩石切断場に下りてきたことに気が付いていない。無心で固い橄欖岩に向かい合っていた。私は薄片を回収するタイミングを逃し、市川が切断を終えるまで岩石切断場に入ることはできなかった。数分してダイヤモンドカッターの回転数が減り、音が小さくなったので岩石切断場に入ると、ちょうど市川が岩石から手を離したところだった。岩石をカッターの刃から離すときの、シュンという小さな音が聞こえる程、岩石切断場は静かになった。私はグラインダーの横に置いてあった私の薄片を手に取った。市川は長い髪を後ろに縛っていたがその首筋にまで黒い研磨粉が付着していた。市川は切ったばかりの切断面をじっと見ていて、私には気が付かなかったのか、私の方を見ることはなかった。地下の静かな誰もいない岩石切断場で市川の精神は研ぎ澄まされているのだろうと地上に上がってきた私はそう思った。

あの頃と何も変わらない市川の様子を見るにつけ、私はこのJMEAの廊下で一人過去の一場面をしみじみと感じていた。母校の大学構内で市川と最後に言葉を交わしたのはいつだったろうか。もう思い出すことはできない。そんな市川と数年ぶりの再開をJMEAで交わすことになろうとは想像していなかった。

学内での成績や研究実績でどうにも敵わないことはわかっていたが、若気の至りというか無知の無鉄砲とでもいうか私は恥ずかしげもなく、大学院へと進学した。その次の年、市川は堂々たる評価を得て大学院へと進学した。

 そんなことをふと思い出して再び研究室のドアをノックし声をかけた。それは昔からの馴染の後輩の部屋を訪れた気取り屋の先輩のふりをして。私の行動も大概なのだ。

「何度もごめん。最後に一つだけ教えてくれないか。第一回目のMCLPでは合計五人が掘削船に搭乗していたが、その中に大学院生の女性が搭乗していたのだけれど、その女性に取材することは可能だろうか。」

今度はドアの方を振り返ることなく、市川はPC画面を睨みつけたまま、隣の研究室にいるはずだから直接話を聞いてみたらどうですか、と冷たく私をあしらった。私は無言で頭を下げ、市川の研究室のドアを閉じた。

隣室の研究室をのぞいてみると室内はがらんとしていて、お目当ての女性搭乗者の姿も見つけられなかった。ああ、そうか。まだ午前中だったのだと私は一人で納得した。学生時代は午後から大学に来て、朝まで顕微鏡をのぞいたり、薄片を作成していることが多かった。午前中に大学にいたとしても、それはデスクの下の寝袋で寝ていたのである。ほんの十数年前には私にも寝食を惜しんで夢中になれるものがあったのだと懐かしむとともに、再度出直すことにした。

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