第11章 エルデシュのいる日々

 翌朝。

 上高地バスセンターに最初のバスが着いて、どんどん人が降りてくる。次のバスも、その次のバスも到着する。


 小梨平キャンプ場の方からタカシが歩いてきて河童橋の方に向かうと、向こうのベンチにエルデシュとアニューカが座っている。


「先生、アニューカ、おはようございます。よく眠れましたか?」


 エルデシュが答える。


「よく眠れたよ。ありがとう。ここは静かでいいとこだな」


 タカシが一礼して河童橋を渡り始めると、向こうからアズサが渡ってくる。


「やぁ」


 アズサが微笑する。


「おはよー。あのね、あのね、アルバイト長が色々調整してくれたおかげで、アタシはエルデシュ先生とアニューカと毎日朝食のおともするのー」


 タカシが微笑する。


「大変だなぁ。がんばってね。アルバイト長はきっと感謝してるよ」


 アズサが顔をクシュッとして抗議する。



 バスセンターに、アズサが村営ホテルのノボリを持って立っている。バスのクラクションが鳴って、ジローが運転しているバスが目の前に止まる。ドアが開くと、車内からジローが手を振っている。アズサも振り返す。おもむろにマイコが出てきて、お客さんがどんどん降りてくる。お客さんが降り終わると、アズサが車内に話しかける。


「おはよー。ジローさーん、この前、エルデシュ先生の件、ありがとうございましたー」


 運転席からジローが手を振る。


「やめろよー。結局ダメだったじゃないか。」


 お客さんを見送ったマイコがアズサに近づいてくる。


「どう?先生とアニューカは?リラックスしてる?」


 アズサが答える。


「うん。楽しそうだよ」


 マイコが鋭い目で言う。


「今度さ、先生とアニューカとお昼食べようよ。あたしの英語が通じるか試してみたい」


 アズサが同意する。


「それは楽しそう。やろうやろう。タカシさんにも言っときますよ」


 マイコが首を振る。


「タカシ君はいいよ。なんか気になって集中できない」


 アズサが目を細めて悪そうな顔でマイコを見る。それを見てマイコは急いでバス車内に入ってドアを閉める。振り向くと、ジローが目を細めて悪そうな顔でマイコを見ている。



 アズサが十数人の米国人の団体を連れて河童橋の手前を小梨平方向に歩いて行く。川の横のベンチでエルデシュとアニューカが座ってボーッとしているのが見える。



 明神池まで1時間かけて歩き、米国人の団体と一緒に1時間昼食を取り、また1時間かけて河童橋の手前までアズサが米国人の団体を連れて帰ってくると、川の横のベンチでエルデシュが3時間前と同じような格好で座っている。アズサがビックリしてエルデシュに駆けよる。


「先生、先生、どうかしたの?だいじょぶ?」


 エルデシュがよどんだ瞳でアズサを見る。


「なんだよ。アズサ、邪魔しないでくれよ」



 夜になった。

 村営ホテルのたくさんの窓に明かりがついている。

 従業員用食堂で笑い声が起こる。

 鍋を囲んで、アズサ、タカシ、エルデシュ、アニューカが座っている。エルデシュが苦笑する。


「アズサが急に話しかけるから、証明の1/4くらい飛んじゃったよ」


 タカシとアニューカがケラケラ笑う。アズサがすまなそう。


「ごめんなさーい。知らなかったからさー、てっきり気絶でもしてるのかと思って、、、」


 アズサ以外のみんながケラケラ笑う。


「そいえば、タカシさんもヘンなとこにたたずんでることがあるけど、あれも証明考えてるの?」


 エルデシュが興味深そうに尋ねる。


「例えば、どこ?」


 アズサが思い出しながら、


「お風呂のチェックしようと思って入っていったらボーッと立ってたり、出勤しようと思って寮の玄関に行こうとしたら、ヘンなとこにヘンな方向見て立ってたり、、、」


 エルデシュとアニューカがケラケラ笑う。アズサも笑う。


「上高地の風景に心打たれてるのかと思ったんだけど、、、」


 タカシが苦笑する。


「そりゃ、上高地は美しいけどね、数学はもっと美しいよ」


 エルデシュが強くうなづく。


「うん。それは確かにそうだ」


 アニューカもうなづいている。アズサが尋ねる。


「アニューカもそう思うの?」


 タカシが言う。


「だって、アニューカは数学の先生だったんだもん」


 アズサがビックリ。


「えー!この中で数学のことわかってないのはあたしだけだったのー!」


 タカシとエルデシュとアニューカがケラケラ笑う。

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