第8章 エルデシュとアニューカの部屋
村営ホテルの食堂に、エルディシュとそのおかーさんアニューカが座っている。そこへイギリス人団体の案内を終えたアズサが入ってくる。
「あれ。タカシさんは?」
エルデシュが無表情に答える。
「ボクらの部屋を探しに行ったみたいだ」
アズサがビックリする。
「えぇー、予約取ってないのー?」
エルディシュがうなづく。アズサが少し怒気を含む。
「ダメじゃなーい。こんな山の中で食べるものも泊まるとこもなかったら死んじゃうよー。下りのバスは4時には終わっちゃうんだからー。山をナメちゃダメよ-」
エルデシュとアニューカがシュンとする。
「すまない。こんなとこだって知らなかったんだ」
アズサがため息をつく。
「ま、しょーがないわね。はるばる外国からいらっしゃったんだもんね」
アズサはお茶を入れて、エルデシュとアニューカの前に置く。ヨーカンも置く。
「はい。日本茶ね。熱いから気をつけて。それはヨーカンね。日本のケーキ。甘いの。疲れてる時にいいのよ」
エルデシュとアニューカがヨーカンを食べてニッコリする。アズサもニッコリし返す。
「どうしてこんなとこまでタカシさんを尋ねてきたの?」
エルデシュがモグモグしながら言う。
「説教があって中国に行ってね、日本の古い友人に会ったんだ。そしたらタカシュの話になって、数学をやめて山の中で死んでるらしいっていうから、ビックリして飛んできたんだ。アニューカも一度日本を見たいって言うし、、、」
アズサが、とてもビックリした顔。
「あの、質問したいことが、たくさんできたんだけど、まずね、中国って、あの中国?気軽に入国できない共産主義中国?中華人民共和国?」
エルデシュがうなづく。アズサがビックリした顔のまま。
「そこで説教ってなに?講義したってこと?」
エルデシュがうなづく。アズサがビックリした顔のまま。
「あなた、ずいぶんエライ人なの?」
エルデシュが照れて苦笑する。
「エラくはないよ。数学が好きなだけだよ」
アズサが不思議そうに尋ねる。
「あなたはタカシさんの先生?」
エルデシュが一口お茶を飲む。
「先生じゃないよ。研究仲間っていうか、その道の先輩ってとこだろ」
エルデシュが急に立ち上がって、手を横に広げた。アズサはビックリしてビクッとする。でもアニューカは動じず、ヨーカンを美味しそうに食べている。エルデシュが手を広げたまま言う。
「わかった。きみはタカシのボスなんだろ?それでぼくとタカシュの関係を知りたいんだね?」
アズサが困ったように答える。
「いえ、上司じゃないけど」
エルデシュが座る。
「タカシュに始めて会ったのは、ブダペストだよ。ぼくの母国のハンガリーの」
アズサがまたビックリした顔になる。
「へー。ハンガリーの方なの?」
「ハンガリーでね、毎年数学のコンテストがあったんだよ。そこにタカシュがいたんだ。ボクは審査委員長だった」
エルデシュがそう言ってお茶を一口飲む。アズサが尋ねる。
「へー。で、どうだったんですか?」
エルデシュがお茶を飲みながらアズサをにらむ。
「なにが?」
「タカシさんのコンテストの成績」
アズサが言うと、なぜかエルデシュは少しビックリしてお茶を置く。
「え?知らないの?」
「え?なんで知ってるの?」
エルデシュが少しアズサを見る。アニューカが美味しそうにヨーカンを食べている。
「きみはタカシュのボスじゃないの?」
アズサが苦笑する。
「ボスじゃないわよ。あたしが部下」
エルデシュがニヤッと笑う。
「そうか。知らないのか。彼は天才だよ。ボクと本も出したし」
アズサが息をのむ。目を見開いて、口を3回パクパクする。やっと息を吐く。
「だー、息を吐くのを忘れるくらいビックリしたー」
後ろで誰かの入ってくる音がしてアズサが振り向くと、タカシだった。
「あぁ、タカシさん、どーでした?部屋ありました?」
タカシ、アズサを手招きして、二人で廊下に出る。
「いやぁ、困ったよー。主任がさ、「そんな、誰だかわかんない人たちを泊めるわけにはいかない」って言うんだよー」
アズサ、こともなげに言う。
「うん、まー、主任の立場ならねー。村営ホテルを切り盛りしてるって言っても、そもそもはお役人なわけだから、イレギュラーなことはしないでしょーねー。そもそもって言えば、あのおじさまはどなた?」
タカシが困った顔のまま答える。
「数論の世界的権威」
アズサがビックリした顔でエルデシュを見る。エルデシュは二人をジッと見ていて、アズサに見られたので小さく手を振る。アズサも、ビックリした顔で小さく手を振り返す。
「世界的権威に見えないわねー」
タカシが明らかに困っている。
「どーしよー。こーゆー問題、全然解けないんだよー」
アズサ、少し楽しそうに「ふふふ」と含み笑い。タカシがすねたように睨んでいる。アズサが楽しそうに言う。
「ふふふ。あたしが一肌脱いじゃおうかなぁー」
タカシが手を合わせて拝む。
「頼む。頼む。きみ、世渡り上手だから、お願い」
アズサが苦笑する。
「やめてよ。夢見る乙女をつかまえて「世渡り上手」って」
タカシが手を合わせたまま、
「ごめん。でも頼む。なんでも言うこと聞くから」
アズサ、ニヤニヤする。
「じゃ、さ、夏の間にカツカレー10杯食べさせて」
タカシが手を合わせたまま、気軽に答える。
「いいよ」
アズサ、ガッツポーズ。
従業員食堂にアズサが一人で座ってお茶を飲んでいる。柱時計が9つ鳴る。従業員が5人ほど食堂に入ってくる。その後ろからタカシが小走りに入ってきて、アズサの前に座る。
「アズサくん、アズサくん、どうなった?無事に運んだ?」
アズサはお茶を飲みながら、慇懃に答える。
「ここの寮に押し込んだわよ。今夜はカツカレーの夢を見るわ」
タカシは安堵してイスの背にもたれる。アズサがお茶を3回すすると、急にタカシが言う。
「あ。電話だって。おとーさんから」
アズサ、すぐに立ち上げる。
「それを最初に言いなさいよー」
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