第6章 上高地の大将

 2週間が経った。

 上高地にはすっかり夏が来て、強い陽射しがあたっている。でも、気温は22度。これが高原の醍醐味、夏は天国。


 上高地バスセンターの食堂で、バスガイドのマイコと運転手のジローが昼食を食べている。


 急に、カツカレーを持ったアズサがジローの隣に座る。マイコが驚く。


「あ、アズサちゃん!久しぶりー!仕事どう?慣れた?」


 アズサがスプーンをかかげる。


「楽勝です。すぐ慣れました。でも、アルバイトが15人に増えたんだけど、話が合わなくって、、、」


 マイコが心配そう。


「あら。それは大変。どんな話するの?」


 アズサが力なく笑う。


「もー、うわさ話やら、男女の話ばっかりで、つまんないの」


 ジローがビックリする。


「えっ?学生って、そーゆー話するんじゃないの?」


 アズサがビックリし返す。


「そーなの?だって、せっかく、こんな美しいとこに来てるんだから、もうちょっと別のこと話せばいいのに」


 マイコが尋ねる。


「仕事はなれたの?楽勝なの?」


 アズサ、うなづく。


「楽勝です。毎日、色んな人に会えて楽しいです」


 ジローが尋ねる。


「外国の人、多いの?」


 アズサ、うなづく。


「毎日いらっしゃいますね」


 マイコが尋ねる。


「タカシくん、元気?」


 アズサが目を細くして、じっとマイコを見る。ジッと見られて、マイコがちょっとドギマギする。


「な、なによ」


 アズサは細い目でニヤッと笑う。


「今日で確信に変わりましたよ。ジローさん」


 ジロー、急に話しかけられてとまどう。


「え?なにが?」


 アズサ、細い目にしてニヤニヤしながら、


「マイコさん、タカシさんに好意を抱いてますね?」


 マイコ、目を泳がせてドギマギする。


「ち、ちがうわよ。ちがうわよ。なによ、急にヘンなこと言って」


 ジローも目を細めてニヤニヤしだす。アズサとジローが並んで目を細めてニヤニヤしてマイコを見ている。マイコはドギマギして、お茶を飲む。すると急にマイコの隣にタカシが座った。


「やぁ、みなさん」


 みんなビックリしてタカシを見る。マイコは少し顔を赤らめる。それをアズサとジローが目を細めてニヤニヤして見る。アズサがわざとらしく高い声で言う。


「あぁぁ、タカシすわーん、いまタカシすわーんの話してたぬぉー」


 タカシは興味なさそうに「へー」とつぶやく。

 アズサは少しいぢけて鼻の下を伸ばす。

 マイコは少し頬が赤い。

 タカシはそーゆーことに全然気づかず、アズサに向かって言う。


「アズサくん、バイト続きそうだから、シゲルさん紹介するよ」


 アズサ、ちょっとビックリ。


「続きそうだから?」


 マイコがうなづく。


「そうだよねー。みんな続かないよねー。あれ、何で?2週間もたつと半分くらいになっちゃう時あるよねー」


 アズサ、ちょっとビックリ。


「えー!そうなのー?」


 ジローが笑いながら


「特にアズサちゃんみたいな可愛い子ちゃんはす~ぐいなくなっちゃう」


 マイコもタカシもうなづいて笑う。アズサは、なぜかちょっと憤慨する。


「あたしは最後までいますよー」


 タカシがうなづく。


「だからさ、シゲルさん紹介するよ」


 マイコが口を挟む。


「上高地の大将よ。昭和の初めから上高地にいる人。帝国ホテルができた時、管理人になったらしい。それに、千人以上遭難者を救助しているの」


 アズサが感嘆する。


「へー。エライ人なのねー」


 タカシが続ける。


「シゲルさんは外交官試験受けようと思って、その勉強するために静かな上高地に来たんだって。最初は」


 マイコとジローがビックリする。


「へー、そーなの?」


「知らなかった」


 タカシが続ける。


「だから、英語のできるアルバイトに興味津々なんだけど、すぐいなくなっちゃうようなヤツはイヤだから、続けそうだったら紹介してくれって」


 タカシが立ち上がる。


「さぁ、行こう。いま、シゲルさん歩いてるの見えたから」


 アズサが拒む。


「えぇー!カレーまだ一口も食べてないのよ。カツカレーだよー」


 タカシがせかす。


「カレーはいつだって食べられるじゃない」


 ジローが小さく吹く。小さな声でアズサに言う。


「これだろ?これこそ上高地らしい話ぢゃないか。カツカレーはオレが食っといてやっから」


 アズサ、顔をクシュっとしてジローに抗議するが、タカシにせかされて仕方なく立ち上がる。テーブルの上のカツカレーを見ながら、名残惜しそうに去って行く。



 梓川沿いの帝国ホテルに向かう道を、タカシとアズサが黙々と歩いている。アズサがチラチラタカシを見る。


「タカシさんは、ほんとに喋んないですねー」


 タカシが喋り始める。


「あ、あぁ、ごめんね。うーん、と、大正池は大正時代に焼岳が噴火してできたんだぜ」


 アズサ、苦笑。


「知ってますよ。なんですか?その話題」


 タカシがアズサを見る。


「え?世間話って、こーゆー話じゃないの?」


 アズサ、さらに苦笑。


「世間話だったんですか?ヒドいですね」


 タカシが好意を持った笑顔を見せる。


「ははは。ヒドかったかな?世間話苦手なんだよ」


 アズサ、真顔で言う。


「しょーがない人ですね。アタシが教えてあげますよ。そーだなー、タカシさんが一生懸命になってることを話してみてください」


 タカシが尋ねる。


「上高地で?」


 アズサが答える。


「いえ。人生で」


 タカシが「うーん」と考え込む。考え込みながら歩いている。そのまま十分くらい歩いていると帝国ホテルが見えてきた。タカシが驚く。


「あっ、帝国ホテルに着いちゃった」


 アズサが苦笑。


「え、えぇー!十分くらい黙って歩いてましたけど、、、」


 タカシが照れ笑い。


「帝国ホテル着いちゃったから、世間話は置いといて、あれ上高地帝国ホテルね。帝国ホテルの裏側っていうか、正面玄関の反対側」


 アズサがうなづく。タカシが続ける。


「で、そこの小道を入っていくとシゲルさんの小屋があるんだ」



 小屋の前に二人が立ってる。入口に「木村小屋」という看板がかかっている。タカシが引き戸を開けて中に声をかける。


「こんちはー」


 中からシゲルの声がする。


「おー」


 タカシが声をかける。


「お茶女の才媛を連れてきましたー」


 中からシゲルの声がする。一音上がっている。


「おー」


 タカシが小屋の中に入っていき、アズサが続く。部屋の中は雑然としている。本もたくさんある。部屋の真ん中に、髭をはやしたシゲルが座っている。シゲルは、目を丸くしてアズサを見ている。


「なんだー、タカシくーん、こんなむさ苦しいとこに連れてくるようなお嬢さんじゃないなー」


 シゲルが笑いながら立ち上がる。


「帝国ホテル行こう。オレはちょっとした顔なんだぜ」



 ほんとだった。上高地帝国ホテルにシゲルが入っていくと、通り過ぎる従業員がみんな重々しくシゲルに頭を下げる。


 そのままドカドカと喫茶店に入っていって、店長らしき人に何かささやいて、窓際の席にドカッと座った。


 アズサとタカシはソロっと座ってキョロキョロあたりを見る。


 すると、うやうやしくウェイトレスが近づいてきて、アズサとタカシの前にケーキとコーヒーのセットが置かれる。シゲルの前にはコーヒーだけが置かれる。


「ボク、ケーキいらないですよ。シゲルさん」


 タカシが言うと、シゲルはさっそくコーヒーを飲んでいる。


「女の子一人だけじゃケーキ食べにくいだろ?一緒に食べろよ」


 シゲルはアズサを見てウィンクする。


「悪いやつじゃないんだけど、気が利かないんだよなー。ひとっつも。いつもボーッとしているし」


 アズサが笑う。


「ほんとですよねー。さっき世間話の仕方をレクチャーしてあげたんです。これから少しずつ良くなると思うんで、長い目で見てあげてください」


 シゲルが目を見開いて、大きな声で笑う。


「ふ、ふ、ふふぁふぁふぁふぁ。タカシくん、いい娘が来たなぁ。こりゃぁ、いい娘だ」



 アズサとタカシが梓川沿いの道をバスセンター方向に歩いている。


「シゲルさん、君のこと、すごく気に入ったんだなぁ」


 アズサがビックリする。


「そうなの?」


「うん。「いつでも来なさい。帝国ホテルでケーキ食べさせてあげる」なーんて言われたの君だけだぜ。あそこのケーキ高いんだぜ。おいしいけど、すごーく高いの。だって、帝国ホテルだから」


 アズサがなんだかよくわかんないように「ふーん」と言う。二人は無言で歩く。梓川の水が棲んでいる。


「ボクのやってること、普通の人には難しくてわかんないらしいんだ」


 穂高岳を見ていたアズサが少し驚く。


「なにが?」


 タカシがアズサを見る。


「え?世間話だけど、、、」


 アズサがタカシを見る。


「あ、あぁ」


 タカシが穂高岳を見る。


「だから、なんかわかりやすい例題ないかと思って考えてたんだけど、思いつかない」


 アズサが少しあきれる。


「あなた、真面目なのねぇ」


 タカシが横目でアズサを見る。


「そーなの?それは皮肉?」


 アズサが真面目に答える。


「皮肉じゃないよ。でもさ、世間話っていうのは、もうちょっと気軽なものなの」


 タカシが晴れ晴れとした顔で言う。


「うん。だから苦手なんだ」

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