第3話 同期とピンチ

「ただいま。もう9時か、遅くなったな」


ビニール袋を提げた喜助が玄関を開ける。

部屋は電気がついており、出迎えはないが、ローテーブルには読書に耽ける悪魔少女ミロクがいた。


「げっ……ミロク、お前今日一日ずっと本読んでたのか?」


「お主から昨日習った『インターネット』が便利でな。分からぬ言葉を調べられるようになったがゆえ、これらを読む楽しさが増しおった」


ミロクは机の上に置かれたノートパソコンを差してそう言った。

案外新技術の飲み込みが早い。

床に積まれている本は全て魔物に関するもの。

この世界に魔物が出現するようになって2年が経とうとしているが、その間に様々な書物が出版されてきた。

その全てに大学図書館のラベルが貼られている。


「へぇ。そんなに面白いのか。ならまた明日何冊か借りてくるよ」


「我ら魔物に対する推理は見ていて面白い。当たっておるものもある。いやむしろ、我も知らなかったものすらある」


「魔物本人が知らないこと?」


「うむ。この世界のカラクリ技術──『科学』といったか、そのおかげじゃろうな。魔法や魔力に関しては全く解明できておらんようじゃが、魔物の体内構造に関しては随分と理解が深い。……まぁ、それでは元の世界に帰る魔法には繋がらんがの」


「欲しいのはこの事態の元凶でもある、世界間転移の魔法に関する情報だもんな」


喜助はそう言ってビニール袋を机に置いた。


「んで、お望み通りハンバーガーのセットを買ってきてやったぞ。腹減っただろ、机片付けて食おう」



****************



「ふむ、美味いの。これは良い。テレビで見て気になっておったんじゃ」


「たった一週間で随分この世界に染まったな。インターネットも使えてるみたいだし」


「我は魔法使いじゃ。物事の理屈の飲み込みは早い」


「そういうもんか」


二人は座椅子に座ってハンバーガーセットを嗜む。

ミロクの口周りにソースが着いているのを横目に見るが、放っておいた。


「しかしあの龍が来て以来、魔物の出現がピタリと止んだの」


「確かに。いや、あんな頻繁に魔物が現れる方がおかしかったんだけどな」


「あちらで人間が消滅魔法を発明してからというもの、かなりの魔物がそれに葬られてきたはずじゃが……。全てが全てこの世界に来ておるわけではないのかもしれぬな」


ミロクはそう言いながらハンバーガー片手にテレビのチャンネルを漁る。

角と羽と尻尾さえなければもうただの現代女子中学生だ。


「なんじゃ、この番組は」


ミロクがリモコンを操作する手を止める。

平日夜放送のアニメだった。


「なんて言うんだろうな。絵を動かして作った物語って感じかな」


「……お主が部屋中に飾っておるインテリアはコレか」


「ご名答。……にしてもインテリアって」


壁という壁に貼られたタペストリー、棚上に所狭しと並んだフィギュアにアクスタ。

典型的な一人暮らしオタク部屋と化しているが、ミロクは初めてそれらの意味を知ることとなる。


「我の世界にもおったわ。好みの演者の肖像画を部屋に飾る変態が。もっと写実的であったがの」


「そのうちお前も分かるようになるって」


「冗談じゃろ」


ミロクはそう言って立ち上がり、脱衣場の方へ歩いていった。

見ると、バーガーもポテトもジュースも空っぽだ。


「相変わらず食うの速いな……。ってミロク、ご馳走様を忘れてるぞ!」


「何度も言うておろう。そんなことまで我がこの世界に合わせる必要はないはずじゃ」


「郷に入っては郷に従え、って言葉があるだろ」


「それこそこの世界の言葉じゃろうに。我は風呂に入るぞ」


脱衣場の扉が閉められ、しばらくしてシャワーの音が聞こえてきた。


「……まぁ、これでも出会った時に比べればだいぶ友好的になったか。それこそ、この手帳にもあれから何も書いてないしな」


ポケットから取りだしたのは、ミロクの行動を制限できるあの手帳。

記載は3つで止まっている。


「『頂きますとご馳走様を言わなければならない』って追加しといてやろうかな」


そんな冗談を呟いていた、その時だった。

インターホンが鳴る。


「……宅配便か?」


しかし画面を見ると、ロビーに立っているのは一人の女性。

カメラに向かって笑顔で手を振っている。


「あの、どちら様ですか?」


喜助がマイク越しに問いかけると、返答が来た。


『岐部くんだよね、私、ほら、山本〜。ちょっと助けて〜』


「……」


喜助は無言でロビーの扉を開けた。

しばらくして部屋のチャイムが鳴り、扉を開ける。

水色のショートヘアが片目を隠した女性の笑顔が現れた。

どこかとろけていて、頬は赤い。


「いやぁ久しぶり〜。覚えてる?ほら、私一年の時ゼミが一緒だった山本なんだけど〜」


「思い出したから通したんだけど……え、酔ってる?」


同じ大学の同じ学部で、去年ゼミが同じだった山本律花。

この目立つ髪色と、『りっか』ではなく『りつか』と読む珍しさから覚えていた。


「やはは、今日誕生日でさ〜二十歳になったってんで友達と飲みに行ってて!んで〜こんなんなっちゃった!」


「……で、なんでウチに?」


「友達と別れてから電車で帰ろうとしたんだけど〜なんかこの駅見覚えあるなと思って降りちゃって、あ〜岐部くんの最寄り駅だ〜って気づいて、記憶を頼りにここまで来ちゃって〜」


「ゼミの打ち上げここでやったからか……。めちゃダルい酔い方してるし……」


正直帰ってもらいたい。

このテンションの女性の相手をしたくないし、何よりこの後ダウンして嘔吐を始めるのが目に見えている。

一度しか来たことないこの家まで辿り着けているわけで、少し心配ではあるが家に帰ってもらおう。


「ま、まぁ終電がなくなる前に早く家に帰った方が────」


「え!岐部くんの部屋すっご〜い!前よりグッズ増えたんじゃな〜い!?」


「あ、ちょ」


律花は喜助の脇下をくぐり抜け、靴を放り、ズカズカと部屋に上がり込んでいく。

喜助は心底嫌そうな顔を隠しもせず後を追う。


「あー!美味しそうなの食べてるいいなー!ちょっと貰うね」


「俺のポテトが……」


喜助は為す術なく落胆し、ため息を着く。

そのタイミングでシャワーの音が止まり、浴室の扉が開く音がした。

ミロクがシャワーを終えたらしい。


「……ん?ミロクが……シャワーを終えた……?」


「んー、手に油着いちゃった。洗面所あったよね、借りるね〜」


律花がそう言って脱衣場に行こうと歩き出した瞬間、ありえない速度で喜助が割って入り扉を守った。


「てッ……手を洗うならキッチンがいいかな……!」


「でも一緒に顔も洗いたいなって〜。あ、ほら。ハンカチ持ってるからいいでしょ?」


「いやッ……ほら顔洗うとメイクとか……!」


「私メイクしてない派〜」


「ウッソだろ……!?」


自信のあった断り文句を絶たれた挙句、喜助にとって追い打ちとなる言葉が聞こえてきた。


「なんじゃキスケよ、誰かおるのか?」


「え〜?洗面所に誰かいるの?女の子!?」


ミロクの声に律花が気づいてしまった。

最悪の事態だ。

ここでミロクを見られてしまえば最後、魔物を匿ったことを警察なりに通報されてしまう。

それだけは避けたい。


「えー!岐部くんアニメオタクだから彼女要らないとか言ってたのにー!」


「な、何のこと?だ、誰もいないって」


「嘘だ〜。絶対今誰かいたよ〜」


脱衣場の扉を開けようと強引に迫る律花。

絶対にここを通してはならないが、女性を力づくで押し退けられるほど紳士を捨ててはいない。

しばらく攻防が続き、喜助は机に置いた手帳を見つけた。


「っ……!そうだ!は、入っていいんだけどさ、そこの天井にタオル掛けてあるじゃんか、あれ使っていいから!取ってきなよ!ハンカチじゃ吹ききれないでしょ!」


喜助は天井に吊るしてあるハンバーガーにかかったフェイスタオルを指さす。

そして脱衣場に行ってもいいよという意志を示すために両手を上げ、扉の前から少し動いた。


「……」


律花はキョトンとしたが、しばらくして、硬い笑みを浮かべる喜助にニンマリと笑みを返した。


「わかった。ありがと。じゃタオル貰うね〜」


そう言ってタオルを取りに行こうと喜助に背を向ける。

その瞬間、喜助は飛びつくように机の上の手帳を取り、ペン立てにあったシャーペンで何かを殴り書きした。


「……っ!」


「失礼しまーす」


喜助が書き終えたと同時に、律花によって脱衣場の扉が開けられた。

立ち込めていた湯気が漏れてくる。

しかし、そこにミロクの姿はなかった。


「ほんとだ、誰もいないや」


「ほ、ほら。言ったでしょ」


「ん〜気の所為だったかなぁ。私相当酔ってるみたい」


「うん、それは間違いないと思うぞ」


律花はバシャバシャと袖を濡らしながら顔を洗い、持ち行ったタオルで顔を拭いた。


「はーサッパリした〜!タオル、洗濯機に入れちゃうね〜」


「お、おう」


律花はタオルを洗面所に放り入れ、リビングに出てきたと同時に目の前のベッドに倒れ込んだ。


「あー……ちょっと休憩させて……初めてのお酒でさぁ……ちょーっと酔っちゃってさ……」


冷や汗を流して固まる喜助を前に、段々と声が小さくなっていく。

そして遂には寝息を立て始めた。


「…………はぁ」


喜助はドッと襲う疲労にため息をついた。

そしてペン立てから今度は消しゴムを取り、手帳に殴り書いた制約を消していく。

そこには【今すぐせんたくきに入り、すわってだまって、うごくな】と書かれていた。

ミロクが制約を破るために手帳を破ろうとしていたのを見るに、恐らく文言そのものを消してしまってもその効果は消えるはずだ。

脱衣場に入り、洗濯機の中をのぞく。


顔面に濡れたタオルを被されたミロクが座っていた。


「いやぁ、危なかった……。もう制約は消したから動けるし喋れるぞ。あ、でも小さな声でな……」


そう言って喜助が顔にかかったタオルを取ると、今にも人を殺しそうな冷たい目をしたミロクと目が合った。


「ぃ……!」


声にならない声。


そして次の瞬間、喜助の襟元が掴まれ、洗濯機の中に引きずり込まれた。


「いってェ!ちょ、待って話を聞いてくれ!殴るなって!てか何で殴れるんだよ!!制約は!?!?」


「……制約は【人を傷つけることを禁止】しておったが、我は今お主を人と認識しておらぬ」


「そんな屁理屈な!!」

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デモンズマスター(仮) 腹巻チキン @harachiki1919

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