「ぼっ、僕ですか?」

 突然、自分の名前を出された僕は、どうS女史に切り返して良いかわからず、戸惑った。

「タドコロさん、実は、ハリー、探偵なんですよ」

 S女史が笑いながら、タドコロさんに話し始めた。

「推理小説に登場するような探偵ではなくて、調査専門の探偵。今年の大義理チョコは、探偵ハリーが皆さんのことを調査し、何をプレゼントしたら喜ばれるかを私たちに提案してくれたんですよ」

 S女史は、僕が各部署の社員やスタッフから聞き取り調査を行ったことや、退勤後や休日にプレゼントを探し回ったことを、タドコロさんに説明した。

「そうだったんですね」

 タドコロさんは感心した様子で僕を見た。

「課長が、一日20個しか販売されない越前屋の大福をもらったって、喜んでました。大義理チョコにチャレンジして良かったって」

「越前屋の大福が好きというのは、総務のナスさんからの情報です」

 タドコロさんの言葉が嬉しくて、思わず、僕は話し出してしまった。

「越前屋に大福を買いに行ったのも、僕です」

 僕は右手を軽く胸に当てて、タドコロさんを見た。タドコロさんは、そんな僕に尊敬の眼差しを送りながら言った。

「課長、義理チョコだと思っていたから、好きな大福をもらえたことが本当に嬉しかったみたいです。……それで、私に『何かもらえるかもしれないから、大義理チョコで話をしてこい』って……業務命令が出されたってわけです」

 タドコロさんは苦笑いした。

「タドコロさん、毎年、たくさんの女性から本命チョコをもらっているから、義理チョコには興味がないと思ってました」

 S女史が話し出すと、先輩は静かに席を立った。

「僕なんかと違って、タドコロさん、モテますからね」

 僕は、ゆっくりと席から離れ、部屋の隅に移動する先輩を目で追いながら、タドコロさんに言った。

「そんなことないですよ」

 タドコロさんは顔を左右に軽く動かした。

「一番好きな女性から、義理チョコすら、もらえないんですから」

 そう言って、タドコロさんは、先輩の席に目を向けた。その目は、少し悲しそうだった。

 やっぱり、タドコロさんは、先輩が好きなんだ。でも、なんで、先輩の前で、今でも忘れられない女性の話をしたんだろう?

 もしかして、タドコロさんの今でも忘れられない女性って、先輩のことなんじゃ……!

「タドコロさん、今日は、素敵なお話をありがとうございます」

 気がつくと、先輩がタドコロさんに手のひらサイズの板チョコを渡していた。

「えっ、チョコレート?」

 そう驚きながら板チョコを受け取るタドコロさんに、僕は言った。

「それ、まいさんからです」

 先輩は僕を睨むと、慌てたようにタドコロさんに話した。

「そ、そうじゃなくて……。このチョコレートは、ボスのアイディアなんです」

 先輩は、会社の人の前ではS女史のことを「ボス」と呼ぶ。

 板チョコを手にしたタドコロさんは、「え」と小さな声を発した。

「タドコロさん、昨年の内定式で、学生さんに、そのチョコレートが好きだって、お話されてましたよね?」

 S女史は、にこやかな表情でタドコロさんに話した。

「……覚えていて、くれてたんですね」

 タドコロさんは照れた表情で、S女史に言った。

「はい。実は私も、そのチョコレート、大好きなんです。タドコロさんも同じチョコが好きだとわかって、ちょっと嬉しくなりました。仲間ができたみたいで」

 笑顔で話すS女史を見たタドコロさんは、チョコレートに目を向けた。そして、口元を緩めた。

「そのチョコレート、ただのチョコレートじゃないんです」

 先輩がタドコロさんに話しかけた。

「うちの近くに、ちょっと怪しい神社があるんですけど。そこで御祈祷されたものを持つと、願い事が叶うんです。それで、神社の方にお願いして、そのチョコレート、ご祈祷していただいたんです」

 タドコロさんは、何度も瞬きをしながら、先輩の話を聞いていた。

 先輩は、両手でタドコロさんが持っている板チョコを指し示した。

「神社の方が言うには、その御祈祷されたチョコレートを、誰にも見られずに全部、食べられたら、願いが叶うそうです」

「ほ、本当ですか!」

 タドコロさんの声が弾んだ。先輩が頷いた。

「ポンコツの探偵にお願いするより、そのチョコレートを食べた方が、会いたい人に会えます」

 先輩の話を聞き終えると、タドコロさんの表情が一気に明るくなった。

「ちょっと待ってください! まいさん、ポンコツって、僕のことですか?」

 僕は軽く手を挙げ、先輩に抗議した。

 S女史が大きな声で笑った。

「今日は、ここに来て……本当に、良かったです!」

 タドコロさんは、板チョコを大事そうに背広の内ポケットに入れた。そして、板チョコが入っている部分を上から軽く撫でると、僕たちに丁寧に頭を下げた。

 タドコロさんが部屋を出てから数秒後、女性社員の声が複数聞こえた。

「タドコロさーん、今夜、ご予定、ありますかぁ?」

 女性社員の声を聞きながら、S女史は「モテる人は大変ですね」と先輩に言った。

 

 

 

 

 

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