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定時を過ぎた。
今年の大義理チョコは終了した。
S女史は「ライブがあるので」と言って、先に部屋を出た。
「毎年、バレンタインデーにライブやるって、本当に恋人がいないんですね、あの人」
僕は、後片付けをする先輩を手伝いながら言った。後片付けのほとんどは、定時前に二人が終わらせてくれたので、僕が手伝ったのは、簡単な清掃とゴミの袋を縛るだけなのだが。
「恋人がいるかどうかはわからないけど、バレンタインデーにライブしてるS女史は、かっこいいと思う」
先輩は僕にゴミ箱を渡した。
「あ、あの。まいさん?」
僕はゴミ箱を受け取ると、すぐに先輩に話しかけた。
「さっきの、タドコロさんの話……なんですけど」
「え、何?」
先輩は不思議そうな顔で僕を見た。
「タドコロさんが言ってた……忘れられない女性って、まいさんのこと、ですよね?」
「ハリー、何、言ってるの?」
僕の言葉に先輩は目を丸くして驚いた。
「違うんですか? だとしたら、タドコロさん、あんな話して、まいさんの反応を窺ってたってことですね。そんな女性のこと、私が忘れさせてあげるって、まいさんが言うのを待ってたんですよ。まいさん、今からでも遅くありません。素直な気持ち、伝えましょう、タドコロさんに!」
僕の推理を聞き終えた先輩は、大きく息を吐いた。
「あのねえ、ハリー。私、タドコロさんに会ったの、五年前だから」
「五年前にに会ったのを、わざと、十年ぐらい前って設定にしたんですよ」
「タドコロさんは、元カレの知り合いなの!」
「……え?」
言葉に詰まった僕に、先輩はキッパリと言った。
「タドコロさんとは親しくさせてもらってるけど、ハリーが思っているような関係じゃないから」
先輩は、僕からゴミ箱を奪うと、小さな声で何か言いながら、コピー機の方に向かった。
僕は、頭の中で、タドコロさんが部屋に入って来てからのことを再現した。
確かに、タドコロさんは、忘れられない女性の話を先輩の前で披露した。話しながら先輩を見るタドコロさんの目は、真剣だった。先輩だって、真剣な表情で聞いていた。だから、2人は付き合っている、そうじゃないとしても、お互いに惹かれあっている、と思っていたのだか……。
いや、待てよ。先輩は天然だから、タドコロさんの想いに気付いていないだけかもしれない。先輩は、タドコロさんのことを同じ職場の人と思っていても、タドコロさんはそれ以上の感情を持っている。先輩は、そこに気づいていないのか!
「ハリー、開けてみなよ。私たちからのプレゼント」
考え事をしている僕に、先輩が声をかけた。
「家に帰ってから見ますよ」
僕は、先輩とタドコロさんとの仲を推理していることを先輩に悟られまいと、少々、ぶっきらぼうに答えた。
「そんなこと言わずに、開けてみなって」
先輩に促され、僕は自分のデスクの引き出しから、二人からもらった大義理チョコの箱を取り出した。
「あ……。え?」
箱を開けて驚く僕を見て、先輩はニヤリと笑った。
「ハリー、去年の夏、思い出の品について、社内報に投稿したでしょ?」
「あ、はい。そう……ですけど」
僕は箱の中をまじまじと見ながら、先輩の質問に答えた。
「イギリス留学時代に飲んだウイスキーの味が忘れられないって、話だったでしょ?」
先輩の問いに、僕はゆっくりと頷いた。
「S女史がさ、去年のクリスマス、イギリスに出張に行くスギヤマさんに、そのウイスキーを買って来てほしいって、頼んだんだよ」
予想していない人物の名前が上がったこともあり、僕は慌てて先輩を見た。
「まあ、最後まで話を聞きなさいって。スギヤマさん、忙しかったようで、ハリーの思い出のウイスキー、探せなかったんだって。その替わりに、出張先の人から紹介してもらった人気のあるウイスキーを買ってきてくれたの」
先輩の話を聞き、改めて、箱の中を見た。
イギリスの国旗が入ったラベルの小さな瓶が高級そうな緩衝材に包まれ、キラキラと輝いていた。
「このウイスキー、イギリスの友人がSNSに上げていて……気になっていたんですよ。日本で販売されていないから、イギリスに行かないと飲めないなあって、思ってました」
僕は先輩に頭を下げた。
「お礼なら、スギヤマさんに言って。S女史がウイスキーの代金払うってスギヤマさんに言ったら、スギヤマさん、ハリーの思い出のウイスキーを買えなかったからって、お金を受け取ろうとしなかったんだよ」
先輩の言葉を聞きながら、僕はウイスキーを眺めた。
「スギヤマさんから、私たち二人からのバレンタインプレゼントにしてほしいって言われたから、そうしたけど」
先輩はそう言うと、急に真面目な顔になった。先輩は言葉を続けた。
「ハリー、ホワイトデーには、スギヤマさんにプレゼントあげた方がいいと思う」
絶句した僕の顔を見ると、先輩は楽しそうに笑った。
「それは冗談だけど。スギヤマさんには、ちゃんとお礼を言ってね。あと、S女史にも」
先輩の口からS女史というワードが出た瞬間、僕は眉間にしわを寄せた。
先輩は、「あのねえ」と言った後、ため息をついた。そして、ゆっくりと息を吸った。
「S女史は、ハリーに嫌われていること、わかってる。それでも、今日みたいに、他の部署の人に、ハリーは優秀なんですよって言ってるの。特にスギヤマさんにはね」
嘘だ。そのセリフを僕は飲み込んだ。そんなはずはない。あの人が、そんなことするはずが、ない。
「どうして、S女史がそんなことするか、知ってる?」
先輩が落ち着いた声で尋ねてきた。
「ぼっ……、僕のこと、好きだから、ですか?」
先輩は上を見るように少し顔を上げると、唸った。
「ハリーのこと、仲間として、好きだと思うよ。恋愛感情は……ないと思う」
先輩は小さく笑った後、真剣な表情になった。
「2課が無くなるの」
「……え?」
「1課と統合するって話が出たんだけど、統合に反対している人が多くて、2課そのものを無くす方向で話が進んでいるみたい」
僕は何も言えず、先輩を見ているだけだった。先輩は話を続けた。
「S女史は、2課が無くなるという正式な発表が出る前に、私とハリーを1課に入れようとしてるの。私は、どこの部署でも頑張れますって、S女史に言ってあるけど、S女史は、二人には1課で頑張ってほしいって。……時間を作っては、スギヤマさんや、総務に相談に行ってるんだよ」
「……」
「だから、さ」
「まいさんっ!」
「……ん、何?」
「あの人……は、どうなるんですか?」
「備品管理の部署への異動をを希望してるって言った。2課としての成果を出せなかったから、希望が通らないかもって。支社の転勤も覚悟してるみたい。S女史、自分は辞令に従うだけだって、笑ってた」
先輩の話を聞き終え、僕はもう一度、ウイスキーを見た。先ほどより、輝きが少し悲しく感じた。息を長く吐きながら、僕は、ゆっくりとウイスキーの箱を閉めた。
「いつまでも捻くれてないで、人の優しさには、素直にならないとね。ハリー」
先輩は、僕の肩を優しく叩いた。
「そうですね。Sから始まる人には、ですね」
僕は、照れ臭さを隠すために、わざとS女史の名前を口にしなかった。
先輩は、自分の席に戻ると、引き出しからカバンを取り出した。
「そう。素直になりなよ、スギヤマさんに。ね」
カバンを肩にかけると、先輩は颯爽と部屋を出て言ってしまった。
「……えっ! なっ、なんで、そうなるんですか! まいさんっ!」
僕は慌てて、椅子の側に置いてあったカバンを掴んだ。箱をゆっくりとカバンに納めると、先輩の後を追うように、走って部屋を出た。
自称探偵ハリー 特別編 たえこ @marimo-suchiko
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