受付に行くと、セミロングの女性が僕に向かって大きく手を振っていた。

「ダーリーンっ!」

 女性の大きな声に、その場にいた人のほとんどが、彼女か僕のどちらかを見た。

「ちょ、ちょっと」

 僕は周囲に頭を下げながら、彼女に近づいた。

 彼女の名前はリナ。僕が一時期、塾講師として振る舞っていた時に知り合った女子高生だ。塾講師としてアルバイトをしたのではない。実は、僕の副業は探偵で、塾で働く女性講師について調査を頼まれたことがあった。依頼主からの熱いリクエストにより、僕は、講師として、その塾に潜入し、調査をしたのだ。その時、授業を担当した生徒の一人が、リナだ。その後、リナは僕に懐いてくるようになった。僕はリナに恋愛感情を持っていない。彼女はそのことを理解している。だから、僕たちは、彼氏彼女の関係ではない。アイドルとファンの関係に似ているのではないかと、僕は思っている。

「ダーリン、なんで恥ずかしがるの? それとも、嬉しいの?」

 キラキラした瞳で僕を見るリナ。僕は彼女をまともに見ることができなかった。

「で、今日は? 何しに来たの?」

 僕は受付から離れた場所へリナを誘導しながら尋ねた。受付の人が、ニヤニヤしながら僕たちを見ていることに気が付いたからだ。

「何って……。今日は、バレンタインデーだよ」

 リナは真面目な表情で言った。

「だから、ダーリンに会いに来たの」

 リナはオシャレなバッグから箱を取り出した。

「そういえば、今日、学校は?」

 僕は彼女が制服を着ていないことに、気が付いた。

「あったよ、学校。聞いてよ、ダーリン。今日、校内テストだったの」

 リナの学校では、去年、校長先生が変わり、校内でのチョコレートのやり取りが禁止されたらしい。

「女子しかいない学校なんだし、バレンタインなんて、パーティーみたいなものなのに」

 そう言ってリナは頬を膨らませた。

「今日、学校にチョコレートを持ち込ませないために、校内テストにしたって噂。いつもより早く帰れたから、そこだけは校長に感謝してる。だって、制服でここに来たら、ダーリン、会社の人にロリコン好きって言われちゃうもんね?」

「おっ、おいっ!」

 いたずらっぽく笑いながら、リナは僕に箱を差し出した。

「チョコレートは嫌いだって、まいさんから聞いた。だから、クッキーにしたの」

 リナから受け取った箱は、少し重みを感じた。

「へ、へえ……」

 チョコレートでないことに、嬉しさと寂しさが同時に、僕の心に押し寄せた。

「何のクッキーか、当ててみて?」

 リナが真っ直ぐに僕を見た。

「どうせ、チョコレート味のクッキーでしょ」

 彼女の驚く顔を想像しながら、僕は答えた。

「違うよ」

 ニコリとリナが笑った。

「ベジタブルクッキー」

 リナの口から発せられた言葉に、僕は動揺を隠せなかった。

「野菜の……クッキー?」

「そう。まいさんから、ダーリンが野菜を食べないって話を聞いたの。野菜ジュースも飲まないんでしょ? クッキーにしたら、食べてくれるんじゃないかなあって」

 屈託なく笑うリナに、クッキーを返すのが申し訳なく感じた。

 

 部屋に戻ると、タドコロさんが僕に向かって「早かったですね」と言った。

 僕が手にしていた箱をめざとく見つけたのは、S女史だった。

「手作りチョコレート、もらったんだ?」

 野菜のクッキーですよ、と言いかけて、僕はふと思った。

 確か、昨日、S女史は、僕のパフォーマンスが良くなかったら、チョコレートを没収すると言っていた。

 今、ここで、大義理チョコに挑戦すれば……。僕の話なんて面白くないんだから、間違いなく、この野菜クッキーは没収される。そしたら、僕はクッキーを食べなくて済む。リナには、クッキーは、上司に取られたと言えば良い。

「今、大義理チョコ、チャレンジしても、いいですか?」

 僕の言葉に、S女史は目を大きく開き、先輩は歓喜の声をあげた。

「ハリーさん、お手本を見せてください!」

 タドコロさんは、目を輝かせた。

 僕は、タドコロさんと先輩が向かい合うように座っているテーブルに、リナからもらった箱をゆっくりと置いた。

「さ、先ほど、僕は、リナさん……から、野菜、クッキーを、頂きました」

 僕は言い終えると、3人を見た。

「リナさんって、いうんですね、彼女さん」

 タドコロさんが穏やかな表情で言った。

「いや、彼女っていう……ポジションではなくて」

 僕がタドコロさんに話すと、S女史が遮った。

「リナさん、まだ、高校生だから、交際をオープンにできないんです。リナさんのご両親から、ちゃんと許可を取って、お付き合いしているんですけどね」

「ちょ、ちょっと! 変なこと、言わないでください!」

 僕は慌てて、S女史の発言を止めたが、タドコロさんは笑顔で僕を見つめた。

「……で、ハリー、続きは?」

 先輩の声に、僕の顔の筋肉が固まった。

「まさか、リナさんから野菜クッキーもらいました、で終わるつもり?」

 S女史の声が、僕の感情をチクチクと刺した。S女史が言葉を続けた。

「じゃ、クッキー、食べてみよっか」

「……え? ぼ、僕がですかっ!」

 


 

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