渇きを満たす
月井 忠
一話完結
いらっしゃいませ。
――――
この店では、あなた様の望む「危険」を売っております。
――――
そうです「危険」です。
――――
いえいえ、皆さん喜んで買っていきますよ?
中には何度もこの店を訪れて「危険」を買っていく、常連の方もいらっしゃいます。
――――
フフフッ。
それは買ってからのお楽しみです。
予めどんな「危険」が訪れるか知っていたのでは、楽しみが半減してしまいますよ?
ですが、せっかくなので今までの「危険」をご紹介しましょう。
とあるお客様は、ラーメン店の前で行列に並んでいたそうです。
その時、仕事場から電話がかかってきました。
長引きそうだったので一度列から外れて、話に集中することにしました。
その時、暴走車が突っ込んできて、列にいた何人かが巻き込まれたそうです。
つまり、そのお客様が電話を取らなかったら、あるいはそのまま列に並んだまま話をしていたら……。
また、とあるお客様は、電車通勤の際、いつも乗っている先頭車両ではなく、一つ手前の車両に乗ったそうです。
なんでも、少しだけ電車が早く駅に入ってきたので、先頭車両まで移動することができず、一つ手前の車両に乗ったということです。
しばらくして、先頭車両の方から叫び声が聞こえてきました。
どうやら、男が一人暴れているようです。
男は刃物を持って、辺りの人を次々に切りつけていました。
つまり、お客様がいつもどおりの車両に乗っていたら……。
――――
そうですか?
これからでしたのに……。
紹介にあったように、お買いいただくのはあくまで「危険」です。
あなた様の命が奪われたり、怪我を負うことはありません。
あくまで危機的な状況をその目で目撃し、あと一歩のところで自分がそうなっていたかもしれないという体験をするだけです。
――――
そうでしょうか?
人間は、サバンナで肉食獣に追いかけ回されていた頃に比べ、危険とは縁遠い世界に生きています。
捕食されるリスク、餓死するリスク、病気や怪我によるリスクは最小限に抑えられています。
そうした世界は、人間にとってぬるま湯と同じです。
しかし、今更野生に戻ることはできません。
そのため、この店で「危険」を買って、安全な文明社会に生きつつ、生きることの意味を再確認するのです。
あなた様も、この世界に物足りなさを感じているのではないですか?
そうした欲求を持っていないと、この店には入れないのですよ。
フフフッ。
どうやら、納得していただけたようですね。
――――
では、こちらのタロットカードから一枚をお選びください。
これらのカードには、それぞれ一つの「危険」が封じられています。
カードをお持ちいただければ、いつかあなた様に危険で刺激的な体験が訪れることでしょう。
――――
いえ、カードはあくまで依り代です。
カードの絵柄は一切関係ありませんので好きなものを選んでください。
――――
そちらでよろしいですね?
それと、先程あなた様には危害は加わらないと言いましたが、このカードの中には本当の危機に遭遇し、命すら落とす可能性を秘めたカードが含まれています。
――――
いえいえ。
先程、言ったじゃないですか。
何が起こるか知っていては面白くないと。
つまり、必ず助かると知っていては「危険」とは呼べないのです。
そのため、何枚かは本物の「危険」であり、何枚かは傍観者でいられる「危険」なのです。
――――
もちろん、買わないということでも構いません。
ですが良いのですか?
このまま買わずに元の現実に戻れば、また味気ない日常が待っていますよ?
こちらのカードを持っているだけで、日常が非日常となるのです。
そんな刺激的な日々を送ってみたくないですか?
――――
フフフッ。
ありがとうございます。
――――
お値段の方はお客様自身でお決めください。
このカードが起こす「危険」はあくまで、あなた様にとって主観的な体験です。
その価値はお客様自身でしかお決めできないものなのです。
――――
安心してください。
お支払いいただく値段によって効果が変わるということはございません。
――――
はい。
頂戴いたします。
どうか刺激的な「危険」が訪れますように。
おや、そんなところにも。
気づきませんで失礼しました。
どうですか、あなた様も?
刺激に満ちた「危険」を封じた、このカード。
お買いになりますか?
渇きを満たす 月井 忠 @TKTDS
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます