第24章 TKO

 コーチ、リングに急いで入ってルミを抱える。


「だいじょぶか?だいじょぶか?どっか痛いか?」


 ルミ、少し笑いながら答える。


「だいじょぶだよ。ラッキーパンチだから」


 マリが出したイスにルミが座る。マリは水を飲ませる。コーチはアドバイスをする。


「ダメだ。ルミ、ラッシュの時、左のガードが下がっちゃってる」


 ルミが苦笑する。


「そっかー。もうすぐ勝てる、あいつに恩返しができると思ったら、なんか、、、」


 コーチは身振りを交えて説明する。


「女子に多いんだよ。強いパンチ打つ時にさ、反動つけようとするのか、力込めるためなのか、逆側の腕で反動つけるようにしてガードが下がっちゃうんだ。こう、、、」


 左腕を横に振って右のパンチを打つような仕草をする。たしかに、左のガードが下がって、ガードとして機能していない。


「だから、倒そうと思ったダメなんだ。シャドーやってるような気で、リラックスして打ってかないと」


 ルミが力強くうなづいた。


「はい。すいません」


 ゴングが鳴った。両者が立ち上がった。


 前回の攻勢に気を良くしたキヨシが勢いよく向かってきて、左ジャブ、右ストレートを出してくる。ルミは驚いて後退した。コーナーを背にした。キヨシのセコンドが盛り上がる。


「いいぞ、いいぞー、追い込め、追い込め」


 キヨシが、さらに攻勢をかけようと進んでくるところに、ルミは「かみのひだり」の右ストレートを出した。ちょうどカウンターのような形になって、キヨシの鼻のあたりを真芯で捉えた。キヨシはその場に、前のめりにダウンした。


「おぉぉぉぉーっ!」


 会場に歓声があがる。


 レフリーがカウントを始めたが、動かないキヨシを見て、両手を振った。レフリーストップによるTKO(テクニカル・ノックアウト)だ。ルミが勝った。


「おぉぉぉぉーっ!」


 さらに会場に歓声があがる。


 コーチとマリ、リングに入ってルミの肩にタオルをかける。マリが話しかける。


「うまかったなー。ルミちゃん、強いわー」


 ルミが照れる。


「テヘ」


 コーチは倒れているキヨシを見ている。キヨシが上半身を起こしたのを確認して、ルミの方に振り返る。


「ナイス右。ナイスKOだったよ」


 ルミが照れる。


「テヘ」


 サダオが友人の肩を借りてリングを降りる。会場からパラパラと拍手が起きる。


 入れ替わりに、漁協の若い事務員がマイクを持ってリングに入ってきて、話始める。


「え、す、素晴らしい戦いでござ、ござりました。え、このような素晴らしい選手がいるのは、手石漁港女子ボクシングジムでござります。練習生を募集しておりますので、「強くなりたい」「自分を鍛えたい」とお考えの女性のみなさん、どうぞ無料体験に来てください。年齢制限はありません。それから、スポンサーも募集しておりますので、このような女性たちを後援したいという篤志家の皆様も、ぜひ無料体験におこしください」


 サダオが友人の肩を借りて控え室に向かっている姿をみていたルミ、急にマイクを奪って呼びかける。


「キヨシ、おい、キヨシ」


 歓声がやむ。キヨシが立ち止まってリングを振り返る。ルミが力一杯叫ぶ。


「お前、女なめんなー!」


 観客から大歓声。ルミはマイクを投げ捨てて両手をあげて観客にアピール。観客が総立ちになる。


 大歓声の中、ルミがリングを降りると、ミッコとばーちゃん3人が立っている。ばーちゃん3人はルミを取り囲んで、3人それぞれの両手で、ルミの腕をつかんだ。


「ルミ、痛くねーか?痛くねーか?」


「ルミ、よーがんばった。すーっとしたぞ」


「ルミ、ようやった。ようやった」


 ルミ、ばーちゃん達一人一人にハグする。ミッコがばーちゃん達を引き離す。


 ルミは誇らしげに両手をあげて、控え室に戻っていく。



 控え室で、ルミがイスに座っている。その前にコーチがひざまづいて、バンデージをほどいている。マリはその後ろで、ほといたバンテージをまとめている。ルミが急に話し始めた。


「あたし、子どもの頃から一人だったから、、、」


 コーチとマリがルミに顔を向ける。ルミが続ける。


「また一人になるのが怖いんだ。だから、ヘンな男でも、寄ってくるやつと一緒にいるようになっちゃうの。へへへ」


 ルミは自虐的に笑った。コーチとルミは何を言っていいのかわからなかったので、作り笑いで応答して、バンデージをほどく作業を再開した。少し間を置いて、ルミがいった。


「コーチはさ、裕ちゃんだって思ってたんだ。信頼できる人だって。初めて会った時から、、、」


 コーチ、不思議そうに尋ねる。


「なんで?」


 ルミが自分のコブシを見ながら言う。


「だって、初めて会った時、質問した時、そこの花壇のとこで、立ち上がって答えてくれたじゃない?」


 コーチ、バンデージをほどきながら言う。


「そうだっけ?」


 ルミが、それを見ながら言う。


「そうだよ。渡哲也さんが、新人の時、日活の撮影所で挨拶に回ってたんだって。そん時、裕ちゃんだけが、立ち上がって挨拶返してくれたんだって。渡さんはど新人で、裕ちゃんはもう大スターだったのに、、、コーチも偉い賞とってるのに、あたしなんかに立ち上がって答えてくれたんだ。「あぁ、この人は裕ちゃんだ」って感激しちゃった」


 コーチ、照れる。


「へへへ」


 ルミがコーチを見て言う。


「でも、なんか、ユー子ちゃんの谷間ばっかり見てるからだいじょぶなのかなーって思った時もあったけど(笑)、やっぱり裕ちゃんだった。。。コーチ、ありがとね、、、」


 コーチ、不意をつかれたので照れる。


「や、やめろよ」


 ルミ、バンデージを見る。


「あたしさ、ダウンした時さ、呼びかけてくれたじゃない?おっきい声でリング叩きながら、、、」


 コーチ、照れる。


「あ、あぁ、ちょっと興奮しちゃったよ」


 ルミが続ける。


「あたし、あれで気がついて。コーナー見たらコーチとマリが一生懸命呼びかけてくれてて、、、」


 コーチ、照れる。ルミも照れながら、つとめて明るく言う。


「そ、そりゃ、あたり前っしょ」


 ルミが何となく引きつった笑顔でコーチとマリを交互に見た。そして、下を向いた。


「あぁ、アタシにも仲間がいる。あそこのコーナーに、あたしの事を、ほんとうに心配してくれてる仲間がいる、、って思って、、、うれしくて、うれしくて、、、」


 ルミがポロポロと涙を流した。それを見て、明るく振る舞っていたマリもポロポロと涙を流した。


「やめてよ。もー、ルミちゃん、勝ったのにぃー」


 コーチ、真上を向いたまま立ち上がった。真上を向いたまま、少し震えた、少し高い声で言う。


「ト、トイレ行ってくる、、、」


 明らかに不自然に上を向いて、コーチが控え室から外に出て行く。


 控え室の外には、ミッコとばーちゃん3人が心配そうに控えている。そこで上を向いたコーチが出てきたので、質問を始める。


「ルミ、どうだ?」


「ルミ、ケガしてないか?」


「意識、ちゃんとあるか?」


 その質問にすべて答えず、コーチは上を向いたまま「クカッ、クカッ」と妙な声をあげて、トイレに向かって歩いていった。トイレに行くコーチを見ながら、ばーちゃん達がやりとりする。


「泣いてんのか?」


「泣いてるみてーだな」


「中でルミ死んだのか?」


 ミッコがばーちゃん達に教える。


「コーチは繊細なんだよー。だーから直木賞取れたのよー」


 ばーちゃん達は感心する。


「はー。なるほどなー」



 コーチがトイレで顔を洗って控え室にもどってくると、ミッコとばーちゃん達がいる。ばーちゃん達が口々に言う。


「よかったよ。コーチ」


「ほんとだ。よかった。スッキリした」


「あたしんとこのヤドロクもロクなもんじゃなくてねー、酒飲んじゃ暴れてたよ」


「ほんとだよねー。昔は多かったよねー。あたしんとこもだよ」


「ほんとだ。ぶんなぐってやりたかったけど、あの頃コーチがいればねー」


「ほーんと、スッキリした。ルミはよくやったな」


「ほんとだねー」


 少し間があったので、ばーちゃん達の話は終わったんだと思い、コーチは相づちを打った。


「ほんとだねー。ルミちゃん、強かったねー」


 ハツばーちゃんが尋ねる。


「ルミはプロになれっかい?」


 コーチが自信を持って言う。


「なれるよ。問題ないね」


 ミツばーちゃんが言う。


「よし。わかった。アタシたちで1200万円寄付する。一人400万円ずつだ」


 コーチは、少し頭がボンヤリした。


「へ?」


 ミッコもヘンな声で言った。


「へ?」


 おでんを頼んだのにチクワブが入ってなかった時みたいな、クリームあんみつを頼んだのにアイスクリームがのってなかった時みたいな、そんなボンヤリした時間が少し流れた。それを見て笑いながらタツばーちゃんが言う。


「なんだよ。ルミがプロになるのに、どっかに加盟すんのに1千万円必要なんだろ?」


 コーチがぼんやり答える。


「そ、そうだけど、、、」


 ミッコが我に返る。逆にばーちゃん達に尋ねる。


「みんな。いいの?そんなことに使って。息子や娘は反対すんじゃない?」


「いいんだ、いいんだ。あいつらにはもう必要なものはやったから。いー大人なんだし」


 ミツばーちゃんも同意する。


「そーだ、そーだ。もう先も短いんだ。たまには自分の好きなことに使うんだ」


 タツばーちゃんも同意する。


「アタシたちはな、ルミがプロになるとこ見たいんだ。ルミが手石でプロになって、がんばって練習して、歯を食いしばって試合してるとこ見たいんだ。だから3人で1200万円寄付する。でも、試合の時は、アタシたちを必ず連れてってくれよ」


 コーチ、試合の疲れで頭が回らない。ボーッとしながら答える。


「そ、それは、もう、毎回連れてくけど、か、必ず連れてくけど、いいの?ミッコさん、いいの?」


 と、ミッコの方が見る。ミッコは笑顔で言う。


「いーよ、いーよ。いー話じゃない?ばーちゃん達の夢を載せてさ、このばーちゃん達カネ持ってっから。昔はこのあたりにも魚がいーっぱい来たからさ。でも使い道なかったからさ、よかったじゃん。ね?あっちに行ったら、じーちゃん達にみやげ話ができるよ」


 3人のばーちゃんがビッグスマイルで答える。


 控え室の中では、マリが嗚咽しながらルミのバンデージを巻いている。ルミは、座って床を見て、静かにポロポロと涙をこぼしている。

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