第23章 ダウン

 日が暮れかけて、夕陽が漁港を照らし始めると、リングの周りに用意された席にだんだん人が座り始めた。最前列に母レーコとトモ子と漁協長が座っている。その横にミッコとばーちゃん3人が座っている。ばーちゃん達がみんな裕次郎の写真のTシャツと「お前にゃオレがついている」と書いたハチマキをしめている。その真後ろの二列目にユー子が一人で座っている。


 日が暮れようとしている。


 照明器に灯りが入った。


 漁協の若い事務員がマイクを持ってリングに入ってきた。場内がざわつく。事務員は、手に持ったメモを見ながら、たどたどしく喋りだす。


「え、長らくお、お待たせしました。え、こ、これより本日のイベント、ボクシング夫婦対決3回戦を開催いたしまーす」


 照明が2つ、漁港の入口の方を指した。漁協の建物の右と左に光があたる。


 まず、漁協の建物の右からキヨシと友人二人が出てきて手をあげた。音楽がかかる。ハードメタルでうるさい。キヨシと友人二人はノリノリでリングまで歩いていく。歓声があがる。


 今日は控え室になっているプレハブの中でジッと座ってるルミ。その前に立ったままのマリとコーチ。ハードメタルの入場曲を聴いて、マリがつぶやく。


「なんか、本格的ねー」


 コーチはうなづいた。


 曲が石原裕次郎の「オレは待ってるぜ」に変わった。原曲だ。ルミが顔を上げて目を輝かせた。


「裕ちゃんだ。やっぱ、大っきい音で聞いてもうまいなー。いやー、お尻にキノコ生えてきそうだから、早く入場しよー」


 石原裕次郎の「オレは待ってるぜ」に乗って、ルミ、マリ、コーチが漁協の建物の左側から出てきて、花道をリングに向かう。ばーちゃん3人が立ち上がって「オレは待ってるぜ」を唱和しながら、ルミに手をふっている。


 ルミがリングにあがって両手をあげた。歓声があがる。ルミが笑顔でコーチに言う。


「気持ちいいね」


 ふと相手陣営を見ると、コーナに寄りかかって、キヨシがルミを睨んでいる。ルミが笑う。


「ふふ。弱いくせにイキがってる。カッコわる」


 コーチがたしなめる。


「自信持ちすぎはよくないぞ。慎重に行けよ」


 ルミは「フン」とあしらって言う。


「だいじょぶだよ。あんなの。日本ランカーの上岡選手に比べれば」


 レウリーが両者がリング中央に呼んだ。リング中央で両陣営がにらみあう。なかなか本格的で、ほんとの試合みたいだ。レフリーがなにか注意を与えている。


 ルミとコーチがコーナーに帰ってくる。コーチはルミの目を見て言う。


「一発狙っちゃだめだぞ。流れだぞ。流れの中で決めるんだ。リラックスして動けよ」


 ルミが力強く答える。


「はいっ」


 ゴングが鳴る。


 ルミが勢いよく2、3歩前に出る。


 キヨシはコーナーで動かない。


 コーナーポストの下から見ているコーチとマリ「?」となる。


 ルミがもう2、3歩前に出る。


 キヨシはコーナーで動かない。


 ルミが左ジャブを入れてみると、キヨシが大きく横に逃げる。マリがそれを追うと、キヨシはもっと逃げて、二人でちょっと追かけっこみたいになった。


 場内が笑いに包まれる。自治会長はリングを指さしながら、横にいる友人に嘆く。


「なーにやっとんだ。あいつは?」


 キヨシ、コーナーに追い詰められる。ルミはそれを見ている。コーチの声がする。


「慎重に行けよー、慎重に行けよー」


 ルミが左ジャブを出す。あたる。


 ルミが左ジャブをもう一回出す。あたる。


 ルミがワンツーを出す。それにサダオが右のパンチを合わせてきたが、あたらなかった。


 コーチがつぶやくように言う。


「あいつ、カウンター狙ってんなー」


 マリが驚く。


「えー?女相手に負けるわけがないから、対策なんか何もないんじゃないのー?」


 コーチがリング内を見ながら唸る。


「うーん。さすがに対策練ったんだろーなー」


 会場に笑いが起こる。またキヨシが横に逃げ始めた。



 ルミがコーナーのイスに座っている。マリがペットボトルから水を飲ませている。マリの正面に立って、コーチが言う。


「相手はカウンター狙ってるぞ。気をつけてけよ。リラックスして、一発狙うなよ」


 マリは対角のキヨシを見た。ハーハー肩で息をしている。


「たぶん、あいつスタミナ持たないんで、こっから思い切って行っていいすか?あと2ランドしかないし」


 コーチ、振り返って対角を見る。


「うーん。ま、行ってみっか。負けることはないだろ」


 ゴングが鳴る。


 ルミがリング中央に出て行くが、キヨシは近づいてこない。ルミを中心にして、大きく回っている。ルミが近づいていくと、少し距離を取る。


「キヨシー、何やってんだー、真面目にやれー」


「キヨシー、ちゃんと戦えー、オレは5千円も出してんだぞー」


 会場からヤジが飛ぶ。


 ルミ、一つもパンチを打たず、ジリジリとキヨシをコーナーに追い詰めた。そこで左ジャブを放つ。あたる。もう一つ左ジャブを放つ。あたる。


 しかし、キヨシはガードを固めて手を出してこない。


 ルミはガードを下げて後ろに下がる。両手で「打ってこい」というジェスチャーをして挑発する。会場からどよめきが起こり、大きな喝采が起こった。


 カッコつけ男は、人に「カッコ悪い」と思われたと感じると、それを取り消すように一段とカッコをつけはじめる。カッコよくもないのに。だから、キヨシは急に右ストレートを打ち込んできた。ルミが軽く避けると、キヨシはリング中央まであたふたしながら行き過ぎた。


 ルミが猛然とラッシュを始めた。


 左ジャブ、左ジャブ、右ストレート、左ジャブ。みんな当たるが、キヨシが下がりながらなので、決定打にならない。


 マリがコーチの上着の裾を握って言った。


「あたってる、あたってる」


 コーチは少し不安そうな顔。


「ガードが下がってんなー」


 ルミはラッシュを続けてキヨシをさっきと逆にコーナーに追い込んだ。色んなパンチを打ったのに決定打にならないので、珍しく右フックを打とうと左腕で勢いをつけた。つまり、左のガードが下がった。そこへ、キヨシの右ストレートがカウンターで決まった。


 ルミはコロンと横にころがった。


 会場から大きな歓声があがる。


 マリ、コーチの腕を両手で持って困惑している。


 コーチはリングを両手で叩きながら、大声でルミに呼びかけた。


「ルミー、ルミー、」


 レフリーがカウントを取っている。


「3、4、、、」


 キヨシは自分のコーナーで両手をあげている。


 コーチはリングを両手で叩きながら、ルミを呼び続けている。


「ルミー、ルミー、」


 マリも声を上げている。


「ルミちゃーん、ルミちゃーん、」


 ルミはぼんやりとしているが、コーチとマリの声がするので、そちらを向く。マリとコーチがリングを叩いて大声を出していた。


「ルミちゃーん、ルミちゃーん、」


「ルミー、ルミー、だいじょぶだー。落ち着けー。落ち着いて、ゆっくり立てー」


 ルミがレフリーを見ると、カウントを数えていた。自分は倒れたんだと気づき、急いで立ちあがってファイティングポーズを取った。


 会場から大歓声があがる。


 母レーコもトモ子も漁協長もユー子も、ミッコもばーちゃん3人も、立ち上がって、必死に大きな声を出している。


 レフリーがルミの表情を確認して、少し前に歩いてみるように指示する。ルミはファイティングポーズを取って、ちゃんと歩いた。


 レフリーが再開を指示した。


 キヨシがヘンな格好でパンチを出しながら、たたみかけてきた。リングサイドでコーチが叫ぶ。


「あと15秒だー。ガードしろー、ガードでしのげー。頭振れー、頭振れー、スウェーも使えー」


 ルミは、頭を振って冷静にガードに徹した。こうなるとキヨシの手には負えない。ほとんどパンチがあたらず、ゴングが鳴った。

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