第22章 試合前

 10月の空に、昼間なのに花火があがった。「秋の大祭り」開催の合図だ。


 手石漁港には屋根付岸壁にリングが設置されている。回りに300席ほどのイスが置いてある。照明も4機用意してある。


 イスの後ろに立って漁協長がリングを見つめている。母レーコとトモ子が近づいてきて、横に立つ。トモ子が言う。


「フンパツしたのねー。照明まであるらー!」


 漁協長、照れ笑い。


「男共に評判悪いしさ。スポンサー候補にいいとこ見せないといけないしさ。それに、有料席が割と売れたからさ、ある程度ちゃんとしないと」


 母レーコが笑顔になる。


「ルミ、勝たないとねー」


 漁協長が同意する。


「そうだよ。勝たないと」


 向こうで関係者が呼んでいるので、漁協長は去って行った。母レーコとトモ子はリングを見続けている。トモ子が踏ん切るように言う。


「ぢゃ、やっか!」


 母レーコが気合いを入れて同意する。


「おーし!」


 トモ子の車の後ろをあけて、クーラーボックスを取り出す。母レーコが受け取って抱える。硬い表情で漁協1階の作業所前で止まる。二人とも深呼吸をして、おおげさな作り笑顔になって、トモ子を先頭に作業所に入っていく。


「おーす。調子どうー?」


 中にはビックリした顔のキヨシや自治会長たちがいた。自治会長がビックリしながら言う。


「な、なんだ?お前ら、何しに来たんだ?」


 トモ子が特大の作り笑顔で答える。


「何しにきたって、激励じゃなーい。スポーツマンシップじゃなーい。はい、差し入れ〜」


 母レーコがクーラーボックスをあげて缶ビールを取り出して掲げる。


「みんなの分もあるよー」


 自治会長、さらにビックリしながら言う。


「なんだよ。おい。試合前に飲ませるのか?」


 母レーコが特大の作り笑顔で答える。


「だってぇー、「女相手なら楽勝だ」って、キヨシも自治会長もいつも言ってたじゃないーい」


 キヨシ、微笑する。


「そりゃ、楽勝だ」


 トモ子が聞きとがめる。


「そしたら、ビールぐらい飲むでしょー?はい。カンパイしよ〜」


 ハートマークが出てきそうな勢いで缶ビールを手渡そうとする。自治会長が声を荒げる。


「やめろ、やめろ、キヨシ、飲むな、飲むな」


 母レーコが高い声で言う。


「なーにー、いつもエラそうに言ってたのはウソだったのー?」


 キヨシが素早く母レーコを見て言う。


「ウソじゃねーよ」


 母レーコが尋ねる。


「楽勝なんでしょ?」


 キヨシが言う。


「楽勝だよ」


 トモ子、すかさず缶ビールを渡す。


「はい。じゃ、カンパーイ!」


 自治会長、キヨシが持った缶ビールを取り上げる。


「やめろ、やめろ、キヨシ、飲むんじゃない。飲むんじゃない」


 自治会長、友人たちに言う。


「おい、みんな、こいつらをつまみ出せ」


 母レーコとトモ子、つまみ出される。つまみ出されながら、トモ子が大声で言う。


「けっ、このほら吹きー。お前みたいな格好つけてるだけで中身のないやつが勝てるわけないだろー。ルミの左フック見て驚くなよー。ボケー」


 母レーコもかぶせる。


「ボケー」



 クーラーボックスを抱えて冷静な顔をした母レーコとトモ子が、普段はジムになってるプレハブに入ってきた。中ではルミがイスに座っている。コーチが肩をもみ、マリが足をもんでいる。ルミのTシャツには裕次郎の顔がプリントされていて、「オレは待ってるぜ」と大書してある。トモ子が悔しがる。


「惜しかったよー。もうちょっとでキヨシにビール飲ませられたのに、、、」


 母レーコが笑う。


「惜しかったねー。自治会長がいなきゃなー。あいつ、格好つけだからイケそうだったのになー」


 コーチとマリが「はははは」と笑う。ルミは笑わず、一点を見つけている。コーチがそれに気づき、みんなに声をかける。


「ま、ま、ま、ちょっと外で話しましょう」


 ジムのプレハブの回りにイスとテーブルが並べてある。お祭りに来た人が、屋台で買ったものをたべている。そのテーブルの一つに座って、マリ、母レーコ、トモ子、コーチが缶ジュースを飲んでいる。コーチが言う。


「試合前はねー、キンチョーすんだ。あんまり喋りたくなくなるの」


 みんな納得する。母レーコが言う。


「そうだろーねー」


 みんな缶ジュースを飲む。マリ、コーチの正面に座っている。


「あれ?」


 みんながマリを見る。マリが笑いながら言う。


「コーチ、コーヒー飲みながら目をつぶって、飲んだ後もつぶってる」


 母レーコとトモ子が驚く。トモ子が言う。


「コーチ、その缶コーヒーも一度飲んでみて」


 コーチが缶コーヒーを飲む。目をつぶってる。飲んだあと、缶コーヒーを置くまで目をつぶってる。母レーコとトモ子が笑う。


「はははは。ほんとだ。つぶってる。」


「なになになに?キンチョーしてんの?」


 コーチ、困り顔で言う。


「うーん、キンチョーしてんのかなー」


 母レーコ、笑いながら言う。


「なんでコーチがキンチョーすんのよ?」


 コーチ、驚く。


「するでしょ?あたりまえでしょ?あんた達もキンチョーしなさいよ」


 トモ子が笑う。


「まーまー、外野がキンチョーしたって、しょーがないんだから」


 コーチが嘆く。


「やだなー。もー。あんたたちは大雑把で」


 母レーコが笑う。


「そーだよねー。だから、アタシたち直木賞取れないんだよねー」


 マリ、母レーコ、トモ子がケラケラ笑った。コーチは苦笑しながら缶コーヒーを飲んだ。やっぱり目をつぶっている。3人がそれをみて、やっぱりケラケラ笑った。

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