第20章 自治会長

 漁港のはずれでコーチとマリとクミが釣り竿を持って糸をたらして、ボーッとしている。じーちゃんが漁港の方からやってくる。


「よー、コーチー」


 親しげに声をかけてくるので、コーチは思いきり愛想笑いで答える。口の端で横にいるマリに尋ねる。


「誰?」


 マリが小さな声で答える。


「自治会長。この前のコンビニのバカのじいさん」


 自治会長がコーチの横に農民座りで座った。


「釣れる?」


 コーチが海を見て答える。


「まーまーです」


 自治会長はコーチを見据えて言う。


「コーチよー、女どもがボクシングやるのはいーんだけどよー、あんまり町に揉めごと起こさねーでくんねーかなー」


 コーチ、海を見ながら言う。


「具体的には?」


 自治会長がコーチを見て言う。


「女が男にケンカふっかけるとかさ、、、」


 コーチ、ふつふつと腹が立つが、海を見て落ち着きながら言う。


「マリちゃんが卑猥で無礼なこと言われて、相手に軽いビンタするとか?」


 自治会長、海を見て言う。


「まー、そんなような、、、」


 コーチ、どんどん腹が立ってきたが、つとめて海を見て落ち着いて言う。


「つまり、女は男に何を言われても黙って聞いてろ、と?」


 自治会長、海を見て言う。


「うーん、まー、、、」


 コーチ、努めて冷静に、でもキッパリと言う。


「お断りします」


「な?」


 自治会長、怒ったような顔でコーチをジッと見る。コーチはノンキな顔で海を見て釣りをしている。マリはニヤニヤ笑っている。あんまり自治会長が見ているので、コーチは我慢できなくなる。自治会長を見据えて言う。


「なに見てんだ。この差別主義者。あっち行け。ぶっとばすぞ」


 マリが笑いながらビックリする。


 自治会長はちょっとおびえた顔で勢いよく立ち上がって数歩あとずさりし、反転して去って行く。去り際、少し離れたところで「ぺっ」とツバを吐いた。マリ、笑う。


「言うねー」


 コーチ、ノンビリ生みを見ながら言う。


「あーゆー、訳知り顔で下らないこと言うじーさんが大嫌いなんだ。何のために長生きしてんだ」


 風もなくのどかで、漁港の釣りには最高の日だが、コーチは何も釣れなかった。



 スナック「ゆうこ」の看板に灯りが入っている。カウンターで、自治会長が、他の2人に息巻いている。


「ふざけやがって、あいつ、、、」


 一人が同意する。


「そーだそーだ。なーんか最近、うちにかーちゃんも面倒くさいこと言い始めたぞ」


 ユー子がカウンターの向こうで水割りを作っている。谷間は出していない。ピッチリとした服。3人に水割りを渡す。


「どーしたのー?ダイジくーん」


 自治会長、ユー子を見てイヤらしい笑顔を浮かべる。


「ユー子ちゃーん、今夜も可愛いねー」


 ユー子、愛想笑いで答える。それを見て自治会長が言う。


「その笑顔がいーなー。心からの笑顔。それを見に、つい寄っちゃうんだよねぇ」


 トンチンカンなこと言ってらー、と思いながら、ユー子が一礼する。自治会長が尋ねる。


「ユー子ちゃん、ボクシング行ってるの?」


 ユー子が答える。


「うん。行ってるよ。ちょっと引き締まったでしょ?ほら、、、」


 ユー子がクビレを両手でなぞる。セクシーだ。あきらかにセクシーだ。じーさんたちが強く見つめる。自治会長、クビレを見つめながら尋ねる。


「ボクシング楽しい?」


 何を意図して質問しているのかわからないので、ユー子はとぼけてみた。


「うーん、、、」


 自治会長がたたみかける。


「あのコーチってのはどう?ヤなやつ?」


 あぁ、この人はジムの悪口が言いたいんだなと見切り、乗ってみた。


「うーん、まー、直木賞をハナにかけてるっていうかー、、、」


 ピッタリきたらしい。自治会長の目が輝いた。


「そーだろー?そーだと思ったんだ。あんなやつ追い出せばいいんだ」


 別のじーさんが提案する。


「年末の総会でジムやめさせればどう?」


 自治会長が喜色を浮かべる。


「おー、それいいな。それいい。それで行こう。それで調整しよう。男どもに声かければ、何とかできるべ?」


 スナック「ゆうこ」のドアを開けてキヨシが入ってきた。自治会長が喜ぶ。


「おー、キヨシー、こっち来い、こっち来い。いや、テーブル行こう、テーブル」


 自治会長はキヨシの肩を抱きながら、みんなでテーブルに移動する。


 テーブルに座って、自治会長が話しかける。


「どーだ、キヨシ。練習うまく行ってるか?ルミに勝てそうか?」


 キヨシがせせら笑う。


「ダイジさん、なーに言ってんの。女に負けるわけねーっしょ」


 自治会長、破顔する。


「そうだよな。そうだ、そうだ。よし。今日はオレのオゴリだ。好きなだけ飲め。ユー子ちゃーん、オレのボトル出してー」


 ユー子がカウンターから声を上げる。


「ダイジくーん、ボトルなくなるよー。新しいの入れてー」


 自治会長がユー子に言う。


「おーし。入れっぞー。ユー子ちゃん、サントリーの高い方入れっぞー」


 ユー子、カウンターの向こうで喜ぶ。


「わーい。さーすが自治会長!」


 キヨシや他のじーさんも喜ぶ。


「自治会長ー!」


「自治会長ー!」


 盛り上がりが始まった。



 手石漁港の朝焼けは、ほぼ見渡す限りの水平線に太陽が昇り始め、光の帯が左右に広がっていく。まるで希望を見るようだ、と、ルミはいつも思っている。


 朝焼けの手石漁港を、ルミとマリがランニングしている。


 ルミが何かを見て、急に立ち止まる。マリ、少し走ってからルミが止まったことに気づき、後ろ走りで戻ってきて、ルミの見ている方を一緒に見る。漁協のあちら側、少し遠くで、キヨシと自治会長とじーさんが酔っ払って、嬌声をあげながら、フラフラ悪いている。それをルミは見ていた。マリが言う。


「キヨシさんじゃん。まーた飲んでるよ」


 ルミはジッと見ているが、急に口を開く。


「ボクシング始めて思ったんだけど、、、」


 少し遠くで、キヨシと自治会長たちが大声で歌い始めた。ルミが続ける。


「あいつら、つまんねー人生送ってんなー」


 マリが言う。


「くぅー。ルミちゃん、かっちょいいー!」


 ルミ、マリに横顔をわざと向ける。


「よせやぃ。照れるぜ」


 裕次郎みたいな口調でつぶやき、ルミはまた走り始めた。マリもそれについていく。

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