第17章 プリン

 夜の手石。母レーコの家に灯りがついている。普通の家。リビングの机に母レーコとマリとクミとコーチが座って食事をしている。コーチが話している。


「だから、もしかしたらマリちゃん、伊東に通ってもらうかも」


 マリが困り顔で言う。


「あたしはいいけど、伊東は無料じゃないんでしょ?」


 コーチも困った顔になる。


「そりゃ、無料じゃないだろーなー」


 母レーコも困った顔になる。


「電車代もかかるしねー。伊豆急高いから」


 みんな、モグモグ話し出す。コーチが気づいたように言う。


「オレが車で送迎してあげよか?」


 母レーコ、すぐに言う。


「やめてよ。そしたら誰が手石で教えんのよ。だいじょぶよ。そーなったら電車代とジム代くらい出すから。マリに才能があるもんなんて初めてだから。しょーがないよ。かーさん、がんばる」


 マリが喜ぶ。


「えー!出してくれるの?」


 母レーコ、作り笑顔でマリに言う。


「自分でも出しなさいよ」


 マリ、何も言わずにゴハンをほおばる。コーチがそれを見て喜ぶ。


「ガン無視だ」


 みんな、モグモグ食事をする。コーチがすまなそうに声をあげる。


「あのー?」


 母レーコがコーチを見る。


「はい?おかわり?」


 コーチが言う。


「いや、そーじゃなく、聞きにくいこと聞いていいですか?」


 母レーコ、ゴハンを口に運ぶながら言う。


「はい。どーぞ。コーチなら許す」


 コーチが尋ねる。


「この前、ミッコさんちで夕食いただいた時、彼女すごい酔っ払っちゃって、そしたらミッコさん「あんたの嫁は嫌いだ。レーコと一緒になればよかったのに」って言ったんすよ」


 母レーコ、オカズを見ながら言う。


「はい、はい」


 コーチが尋ねる。


「一緒になりそうな時あったんですか?」


 母レーコ、目を細めてコーチを見て、言う。


「あなた、ほんとに聞きにくいこと聞くのね」


 コーチ、作り笑いで母レーコを見る。


「小説家なもんで、すいません」


 母レーコ、ゴハンを口に運びながら、言う。


「うーん、お互いに、なんつーか、行かなきゃいけないとこがあったのよ。若い頃って、そーゆーのあるじゃない?」


 コーチ、茶碗を置いて真剣に聞いてる。


「えぇ、えぇ、わかります。人生色々ですよねー」


 母レーコ、笑う。


「色々よー。マリなんかさ、高校にも行かないで働くって言うから、「あんた、なんかやりたいことないの?」って聞いたら「ない」って言うのよ。ぢゃ、高校くらい行けばいいのに「勉強好きじゃないし、かーちゃんも大変だから働く」って言うのよ」


 コーチがマリを見て言う。


「いい子なのか、そーじゃないのか、、、」


 マリが笑う。


「えへへへ」


 母レーコが続ける。


「いい子だけどもさー、もーちょっと何かさー、高らかなものっていうかさー、そーゆーモン欲しいじゃない?」


 コーチが言う。


「【少年よ大志を抱け】みたいなもの?」


 母レーコ、すごく同意する。


「そーそー、そーゆーの、そーゆーの」


 コーチが尋ねる。


「いいお嫁さんになるとかを望んでるわけじゃないんだ?」


 母レーコ、目が少し鋭くなる。


「あたりまえでしょ。いま西暦何年よ。女もココロザシを抱くのよ。そーゆー女を選ぶのがいい男ってもんよ」


 マリが声をかける。


「くー。かーちゃん、かっちょいー」


 母レーコ、マッスルポーズで応える。



 食事が終わり、マリとクミが食器を洗っている。


 リビングの机では、母レーコとコーチがお茶を飲んでいる。


 コーチの前にプリン。母レーコ、プリンを見ながら話し出す。


「でもさ、ボクシング始めて、よくなったよ。マリね」


 コーチ、プリンを食べようとスプーンを手にしたが、母レーコの話題に付き合う。


「そうすか?」


 母レーコ、プリンを見ながら続ける。


「うん。本気になって。本気になることって、なかなか見つけられないじゃない?だから、本気になれることを見つけられたのは、素晴らしいことよ。コーチ、ありがと」


 母レーコ、プリンに一礼する。コーチ、笑う。


「母レーコさん、さっきからプリンをガン見してるよね?」


 母レーコ、プリンから視線をコーチに移して、言う。


「見てないよ」


 コーチ、笑いながら尋ねる。


「食べたいんでしょ?」


 母レーコ、お茶碗を持って遠くを見る。


「食べたくないよ」


 コーチ、笑いながら言う。


「食べていいよ」


 母レーコ、お茶碗を持って遠くを見ながら言う。


「食べないよ」


 コーチ、笑いながら言う。


「食べたいでしょ?」


 母レーコ、お茶碗を持って遠くを見ながら言う。


「食べたくないよ」


 コーチ、一段と笑う。


「あ、また見た」


 母レーコ、お茶碗を持って遠くを見ながら言う。


「見てないよ」

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