第15章 幸せについて

 漁港の前の、コーチが住んでいる別荘地とは並行してある坂道を登っていくと、一番上に手石ケアサービスの建物があり、その横に大きく立派な家が建っている。その家に夜の灯りがついていて、食卓にミッコ、ルミ、マリ、コーチが座っている。今夜のコーチの食事当番はミッコで、ルミはあの日以来、ミッコの家に居候して働いている。ミッコが料理をしながら言う。


「あのばーちゃんたち3人もね、暴力ふるわれてたんだって。ダンナに。でも、時代が時代だから、周りに言っても警察に言っても、とりあってもらえなかっんだって。だから、ルミのこと他人事だと思えないんだって、、、」


 ミッコがオカズを出した。ルミがごはんをよそって、みんにわたした。みんな、それぞれに「いただきます」と言うと、ミッコが続けた。


「それに、男どもがうるさいのよ。「なんで女どものジムに漁協が金出すんだ」とか言って、「イチローは母レーコに惚れてるからだろ!」なんて陰口言って。だからさ、イチローのためにも婦人会味方につけないと、、、」


 マリがゴハンを食べながら笑う。


「ミッコちゃんは、いつでも漁協長の味方だからね」


 ミッコが憤然と言う。


「当たり前じゃない。たった一人の身内なんだもん。妹がさ、40歳で亡くなっちゃったんだけどさ、弱ってるベッドの上から一生懸命頼むのよ。「イチローを頼むね」「イチローを頼むね」って、何度も何度も頼むのよ。中学に入った頃から、あたしに頼み事なんかしたことなかった妹が、一生懸命頼むのよ」


 ミッコ、涙ぐむ。なにか涙をふくものがないか見回すと、ルミがテーブルの上を拭いたフキンを渡そうとする。ミッコは「バカ」と小さく叱る。マリはこの話を何百回も聞いて飽きているので、別の方向に話を進めようとする。


「ミッコちゃんは、漁協長を町長にしたいんだって」


 コーチ、驚く。もう何回もミッコの家で夕食を食べているのに、初めて聞く話だ。


「え?そうなんすか?それはミッコさんが薦めてる話なんだ。漁協長も言ってたけど、なんか他人事でしたね」


 ミッコが結局フキンで目頭を押さえながらうなづく。


「そうなのよ。あいつ、イマイチ熱が入ってないんだ。でもさ、あいつを町長までしたらさ、妹にいい手向けじゃない」


 コーチ、明るい声で言う。


「そりゃ、いいかも。あの人、アイデアマンだし、実行力あるし、古くさくなくて賢いし」


 ミッコ、ボーッとコーチを見る。


「あら。コーチ。気に入ったわ。前から気にいってたけど、さらに気に行ったわ。飲む?いいお酒飲む?」


 コーチ、すまなそうに言う。


「飲めないんですよ。すいません。このやりとり、5回目くらいですけど」


 マリが手をあげる。


「あたし飲む」


 ルミも手をあげる。


「あたしも飲む」


 コーチ、驚く。


「えー!プロを目指していながら、飲むの?」


 マリが真面目に言う。


「ミッコちゃんとこのお酒は高いいいヤツだから、だいじょぶだよ」


 ミッコが言う。


「いーぢゃない。たまには。息抜きも必要でしょー」


 コーチ、仕方なく同意する。


「しょーがないなー。ミッコさんがそう言うなら。キミたち、せめて週2回くらいにしろよ。それ以上は飲むなよ」


 マリとルミが声を合わせた。


「はーい」


「はーい」



 ミッコの家の前に漁協長がやってきた。玄関を開けて「オース」と声をかけてズカズカあがっていく。リビングに入ると、コーチの膝の上にミッコが座って飲んでいる。向かいの席では、マリとルミが楽しそうにケラケラ笑いながら指相撲をやっている。コーチが、すがるような目で漁協長を見る。


「あー、よかったー。やっと来てくれたー」


 漁協長、苦笑する。


「コーチ、悪いね、ほら、ミッコおばちゃん、コーチは帰って仕事あんだから、、、」


 コーチの膝の上でミッコがぐずる。


「えー、なんだよー、もっと話させろよー。チューしよう。チュー」


 漁協長、ミッコを抱きかかえる。


「ダメダメ。ほらほら。じゃ、オレんち行って飲むか?」


 ミッコがイヤイヤする。


「ヤ。あんたの嫁キライ」


 漁協長、苦笑する。


「なんだよー。仲良くやれよー」


 ミッコが尋ねる。


「なんで母レーコと一緒になんなかったんだよー」


 一瞬、みんな凍り付く。アセった漁協長が、みんなの様子をうかがうように言う。


「まーた、そーゆーこと言ってー。マリの前でそーゆーこと言うなよー」



 漁協長、ミッコとルミをソファに座らせる。二人でケラケラ笑っている。そのスキに、漁協長はコーチとマリを玄関にせきたてていく。リビングから「コーチー、コーチィ」と二人の声が聞こえる。漁協長がすまなそうにコーチに言う。


「悪いね。たまに悪酔いすんだよ」


 コーチ、心配そうに言う。


「いやいや、全然かまわないんですが、だいじょーぶですか?」


 漁協長、笑いながら言う。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ。馴れてっから。ルミもいるし。今のうちに帰っちゃって」


 リビングから「コーチー、コーチィ」と呼ぶミッコとルミの声が聞こえる。



 夜の手石の小さな住宅街の坂道を、コーチとマリが下っている。月が明るい。マリが言う。


「ミッコちゃんも、若い頃、横浜出てって、男に散々ダマされて帰ってきたんだって」


 コーチが感心する。


「へー。なんとなく都会的だもんなー」


 マリが続ける。


「それから男に目もくれずお土産屋さんやって、コンビニやって、老人ホームやってお金貯め込んでるらしいけど、それだけじゃ満ち足りないのかねぇ?」


 コーチが、何となく同意する。


「そーなのかねぇ?」


 マリが言う。


「人の幸せって、なんだろうねー」


 コーチ、何となく答える。


「うーん。何だろうなぁ」


 マリ、半笑いで言う。


「なによー。ちょっとは名前の通った小説家なんだから、もっと気の利いたこと言ってよー。迷える十代に道を指し示すようなさー」


 コーチ、ドギマギして言う。


「えぇー?牧師じゃないんだからさー、そんなこと、よく考えないと、、、」


 マリがビッグスマイルになり、急にコーチと腕を組んだ。コーチがさらにドギマギした。


「な、なんだよ、、、」


 マリ、幸せそうに言う。


「いいの。このまま家まで送って、、、」


 夜の漁港を二人が横切る。何となくぎこちない。月が明るい。

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