第14章 ばーちゃんたち

 漁協長が軽トラックで段々畑の中の道を走っている。港の山を登った次の山に作ってある段々畑なので、海は見えない。ふと見ると、キヨシと友人二人が木に何かを巻いてパンチを打ち込んでいる。漁協長、トラックを止めて近づいていく。


「よー、がんばってんなー」


 キヨシと友人二人は、なんとなく警戒しながら「あ、どーも」と挨拶した。漁協長は軽トラの荷台に積んでる未完を3つ掴んで3人に渡す。


「ほれ。食え。ちょっと早いけど、今年もうまくできそうだ」


 3人、黙って受け取った。漁協長、ことさら笑顔を作って言う。


「キヨシも大変だなー。ヘンな試合決まっちゃって、、、」


 キヨシが「いやー」と言ってはにかんだ。漁協長、キヨシの様子を観察しながら言う。


「ま、男が女に負けるわけにはいかねーわな」


 キヨシが微笑した。漁協長、キヨシの様子を観察しながら尋ねる。


「だいじょぶそうか?」


 友人二人が説明する。


「さっきジム見てきたけど、たいしたことなかったっすよ」


 キヨシが不服そうに言う。


「負けるわけねーんだから、偵察なんて必要ないのに」


 漁協長が破顔する。


「そら、そーだ。負けるわけねーよな」


 キヨシが同意する。


「そら、そーすよ」


 漁協長が真面目な顔になって言う。


「でも、ルミはいい左フック持ってるらしいぞ。見たか?」


 と友人二人に尋ねる。友人二人は少し驚いて言う。


「あれ。オレたち行った時はやってなかったな、、、」


 漁協長、考えてるような顔をして言う。


「そーら、隠してんだよー。あっちも必死だからなー」


 キヨシが納得したように言う。


「そっかー。左フックかー」


 キヨシは友人と左フックのシミュレーションを始めた。漁協長は笑顔でうなづく。


「ま、がんばってくれよ。男の威信がかかってっからな」



 軽トラックが漁港に入っていく。漁協長、ジムのそばに車を止めて、ジムに入っていく。「おーす」と声をかけると、ジム内で練習している奥さまたちから「ちーす」という声があがる。コーチが寄ってくる。


「どうしたんですか?」


 漁協長が、笑顔であたりを見回しながら言う。


「今日、男二人見学してた?」


 コーチが応える。


「えぇ。いましたね」


 漁協長が、やっぱり笑顔であたりを見回しながら言う。


「そいつらに会ったんだよ。みかん畑で。キヨシが一緒に練習してた」


 二人で、並べてあるイスに座る。コーチが興味深そうに尋ねる。


「どうでした?」


 漁協長、苦笑して首を振る。


「ま、たいしたことねーな。あいつは、昔っから、ほんと口ばっかりで中身ないんだ。ルミのパンチの方が全然迫力あるわ。でも、ま、念のためにさ、打ち合わせ通り左フックのことも吹き込んどいたから」


 コーチ、笑う。


「ありがとうございます」


 漁協長立ち上がる。


「じゃ、それだけ知らせようと思って。あんまり女の園にいるとかーちゃんに怒られるから」


 漁協長が「おつかれー」とジム内に声をかけて出て行く。練習している奥さまたちから「ちーす」と声があがった。



「スナックゆうこ」の看板に灯りが入っている。ユー子がカウンターで酒を作っている。谷間は出していない。


「はい」


 カウンターに3つグラスを置いた。キヨシと友人二人がカウンターに座って、パンチを出したりしている。ユー子、心配そうに尋ねる。


「あんた、だいじょぶなのー?誰か専門家に見てもらった方がいいんじゃないのー?」


 キヨシがグラスから一口飲んで、半笑いで手を横に振る。


「そーんな。楽勝だよ。女相手なんて」


 ユー子も半笑いになる。


「まーねー。そーだよねー。相手は女だもんねー」


 ユー子、カウンターにボトルを出しながら中を見る。


「あ。もうなくなるよ。前祝いにボトル入れる?」


 キヨシが言う。


「前祝い、いいね。入れよう」


 ユー子、ボトルの残りをキヨシのグラスに入れて「いえーい」と両手をあげる。キヨシも友人二人も「いえーい」と両手をあげる。みんなでハイタッチを始める。



 朝に手石漁港から太平洋を見ると、水平線が黄金色に染まる。朝焼けを見ながら、ルミとマリが漁港のそばをランニングしている。マリが言う。


「今日も朝焼けキレーだねー」


 ルミも同意する。


「なんか神々しいよねー。毎日見ても飽きないよ」


 酔っ払いが騒ぐ声が聞こえた。漁港の向こうを、酔っ払った3人組がヨタヨタと歩いている。


 ルミが立ち止まって、3人組を凝視する。


 マリ、ちょっと先まで行ってルミが止まっているのに気づいた。後ろ足でもどってきて、ルミが凝視している方向を見る。


「あ、キヨシさんだ」


 キヨシと友人二人は、よっぱらってふざけあってる。ルミはそれを見ていたが、パッと切り替えて走り出した。マリも急いで走りだした。



 昼前、ジムのまえに「南伊豆町手石ケアサービス」と側面に描かれたミニバンが泊まった。運転席からミッコが降りてくる。助手席からルミが降りてきて、後ろの左側のドアに回って開けると、おばあちゃんたちが6人次々に降りてきて、ジムに入っていく。


 リングの前にばあちゃんたちを集めて、ミッコが言った。


「はーい。ここが「手石漁港女子ボクシングジム」でーす。みなさんの「手石漁港婦人部」からも資金援助いただきましたー」


 ばーちゃんの一人がまわりを見回して言う。


「誰もいないよ」


 ミッコが答える。


「練習は午後からなの」


 別のばーちゃんがサンドバッグを叩いてみる。


「あたいもできるの?」


 ミッコ、笑顔になる。


「できるよ。いい運動になるじゃない。週何回か希望者送迎するから、やってみれば?」


 ばーちゃん、リングを見ながら言う。


「やってみよっかなー。プロ目指しちゃおっかなー」


 ルミが笑いながらツッコむ。


「プロテストは32歳まででーす」


 ばーちゃんたち、驚いて、次に笑う。



 漁港の駐車場に漁協長の軽トラが入ってきた。車を降りると、ジムの方から嬌声が聞こえる。「まだ練習時間じゃないのに」とジムの窓から中をのぞいてみた。ルミがコーチしながら、ばーちゃん達がボクシングみたいなことをしている。漁協長はビッグスマイルになった。ばーちゃんの一人が漁協長が窓から見ていることに気づいた。


「おー、イチロー、なーに笑ってんだ。お前もやれ」


 漁協長がビッグスマイルで答える。


「ダメだよー。ここは女子ボクシングジムだからよー」


 ばーちゃんが言う。


「ぢゃ、見るな」


 漁協長、笑いながらジムの中に入り、座っているミッコの横に座った。


「ミッコおばちゃん、いい企画だね」


 ミッコは得意そうに言う。


「だろ?そして、お前の応援でもあるがな」


 漁協長、少し驚く。


「そうなの?」


 ミッコが言う。


「男どもに評判悪いんだろ?このジム」


 漁協長、苦笑い。


「うーん。まー」


 ミッコが苦々しげに言う。


「しょーがねーなー。宴会にはコンパニオン何人も呼んで漁協の金使うくせに、、、」


 ばーちゃんたちがキャッキャと嬌声をあげながら練習している。ミッコは厳しい顔で言う。


「だから、女ども全員、ばーちゃん達まで味方につけるんだ。わかったね」


 漁協長、子どものように答える。


「はーい」


 ミッコ、うなづいて、思いがけず少し大きな声を出す。


「そいで、再来年の町長選だ!」


 漁協長、うろたえる。


「お、おばちゃん、声がデカいよ」


 ミッコ、うなづいて、冷静になるようにつとめる。


「お、思いがけず、気が高ぶったわ。あんたの死んだかーちゃんに頼まれたこと思い出して」


 漁協長が苦笑する。


「「よろしく頼む」って言っただけだろ?」


 ミッコ、床を見ながら言う。


「ま、そうだけど、言葉としては、そうだけどもね。でも、あんたのかーちゃんとあたしの長い長い日々からの「よろしく頼む」なのよ。わかる?あんたのかーちゃんは、中学校に入ってからあたしに頼み事なんかしたことなかったのに、最後にそう言ったのよ。あんたのことだけを、あたしに頼んで息を引き取ったのよ」


 ミッコ、少し涙声になる。漁協長、何百回も聞いた話なので、少しあきれる。ミッコ、気を静めて言う。


「だからさ、ここまできたら町長っしょ。それ以上は望まないよ。あんたが町長にまでなったら、あっちに行った時、あんたのかーちゃんに顔向けできるよ。そのためにもジム成功させないと、、、」


 一人のばーちゃんが近づいてきて、話しかけた。


「おい、イチロー、ルミは勝てるか?」


 漁協長、腕を組んで考える。


「うーん。どーかなー。がんばって練習してるけどなー」


 ばーちゃん、真剣な顔でつぶやく。


「勝ってほしいなー」



 14時頃、コーチがいつものように歩いてジムに向かっていると、「南伊豆町手石ケアサービス」と側面に描かれたミニバンがジムの前に止まっていた。「見たことない車が止まってんな」と思いながらコーチがジムに入って「おいーす」と言うと、あちこちから「うぃーす」と声があがり、ふと見るとばーちゃんが3人イスに座っていた。ばーちゃんたちは、コーチを目を合わせて黙礼した。コーチも黙礼した。コーチは急いでマリを探した。いた。小走りでシャドーをやっているマリに近づいて、尋ねる。


「マリちゃん、マリちゃん、ちょっと、ちょっと。あの方たちどなた?どなた?」


 マリ、シャドーをやめてばーちゃんたちを見る。


「大雑把に言うと、漁協婦人会のお偉いさん。ミッコちゃんとこの老人ホームに住んでるの」


 コーチはマリを見る。


「じゃ、ミッコさんが連れてきたの?の?」


 マリもコーチを見る。


「なによ。なんでおびえてんの?そう。午前中みんなでジムの見学来て帰ったら、あの3人が「ジム行きたい。ルミの練習が見たい」って言い出したから、また連れてきたんだって。ルミちゃんが」


 マリがばーちゃんたちを見る。コーチにも見るようにうながす。マリが説明する。


「左からハツさん、タツさん、ミツさん。みんな89歳の同級生。子どもの頃からの友だちなんだって」



 リングの上で、ルミのパンチをコーチが受けている。ドスン、ドスンといい音で右ストレート、左フックが入っている。ゴングが鳴る。コーチは、小さい声で「いいよ、すごくいい」とルミを褒めて、リングを出てイスに座って休んだ。ふたつイスをあけて、ばーちゃん3人が座っている。3人がコーチを見ている。ハツが声をあげた。


「コーチ?」


 コーチ、ビックリする。ハツが尋ねる。


「ルミは勝てるら?」


 コーチ、ちょっと困る。


「うーん。それは、やってみないとわかんないですね」


 タツが尋ねる。


「勝てないのに、男と戦わせるんか?」


 コーチ、しょーがないなー、という顔をする。


「おばあちゃんね、スポーツってのは、勝つ負けるは重要じゃないんだよ。目標に向かって、必死に努力することが重要なんだよ。それがその人を成長させるんだ、、、」


 ばーちゃん3人、返事もせずにじーっとコーチを見てる。


 じーっと見てる。


 じーっと見てる。


 思いがけない反応にコーチはドギマギする。ゴングが鳴ったので、ドギマギから逃げるように、近くで練習している奥さまに「よーしミットやろう」と言って近づいていった。ばーちゃん3人、コーチを目で追う。ハツが話し出す。


「あいつは、いい都会モンだな」


 タツがうなづく。


「そーだなー。たまーに、あーゆー、ちゃんとしたヤツがくんな」


 ミツが笑いながらハツに言う。


「あんたが昔追っかけてた立教の学生も、いい都会モンだったな」


 ハツ、笑う。


「あぁ、あいつは良かった。アレもよかったしな」


 3人でゲラゲラ笑う。ミツが問いかける。


「ありゃ、いつの話ら?」


 ハツが答える。


「オリンピックの頃ら?」


 タツが言う。


「いやいや、もっと前ら?朝鮮で戦争が始まったあたりじゃなかった?「こんな時にノンキだなー」って思ったもの(笑)」


 ハツが驚く。


「ありゃ。もうそんな前ら?」


 ミツが笑う。


「ひどい昔だねー」


 ばーちゃん3人がゲラゲラ笑った。

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