第13章 作戦〜かみのひだり
ジムの外に、キヨシの友人二人が立って中をうかがっている。ジムの中ではルミがサンドバッグに向かって右ストレートを打っている。サンドバッグを挟んだ反対側にコーチが立って、小声で指示している。
「もっと弱く、もっと弱く」
サンドバッグは「パスっ、パスっ」という情けない音を出している。
ゴングが鳴る。コーチとルミがイスに座ると、マリが目の前に立って言った。
「帰ったよ」
コーチが言う。
「よし。偵察員もいなくなったところで、ルミちゃん、本気でやってみよう」
ルミがサンドバッグに向かって右ストレートを打つ。コーチがルミの反対側になって、サンドバッグを押さえている。さきほどとは違い「ドス、ドス」と鈍い音が響き、コーチの体に衝撃がある。
ゴングが鳴ってコーチがイスに座ると、ルミとマリがその横に座る。
「おし、おし、おし。いいぞ。右ストレート良くなってきた。ランニングと縄跳びが効いてんな。よし。では、ついに、ついに特別作戦を授けよう。名付けてぇ〜、、、」
ルミとマリが真剣に聞いている。コーチは不満そうに言う。
「なんだよ。「名付けてぇ」って言ったら、「な、名付けて?」って復唱してゴクッてならないとー、、、」
ルミとマリ、しょーがねーなー、という顔で言う。
「え?はーい」
コーチが再び言う。
「名付けてぇ〜」
ルミとマリはしょーがないから付き合う。
「な、名付けて?(ゴクっ)」
コーチが高らかに言う。
「「かみのひだり」作戦!」
ルミとマリの眉間にシワが寄った。
ジムの端っこで、コーチとルミとマリがノートパソコンの画面を見ている。画面にはYOUTUBEの山中慎介選手KO集が流れている。コーチが少し興奮気味に言う。
「ほら、すごいだろ?これあ山中選手の「かみのひだり」だぞ。「左ストレートが来る」ってわかってても、くらっちゃうんだよ。相手は世界ランカーだぜ?トップボクサーだぜ?強いんだぜ?」
ルミとマリが食い入るように見ている。コーチが少し興奮気味に言う。
「山中選手はアッパーもボディーもほとんど打たないで、ワンツーだけで世界戦で30回ダウンを奪ったんだぜ」
ルミとマリが画面を見ながら、心を込めないで言う。
「へー」
「すごーい」
山中慎介選手KO集が終わって、3人とも画面から目を離す。マリがコーチに向かって尋ねる。
「でもさ、こんなスゴいチャンピオンの真似できるの?」
コーチが微笑する。
「いい質問です。これがね、できるの。キーワードは「距離感」」
ルミとマリが声を揃えて言う。
「きょりかん?」
リングに3人が立っている。コーチとマリがファイティングポーズで向かい合っている。ルミは、コーチの後ろに立っている。コーチがルミに言う。
「この位の距離で打ち合うじゃん?相手も「この位の距離ならパンチ出してくんな」って思ってるわけじゃん?」
ルミが「はい」とうなづく。コーチ、後ろにいるルミを見て言う。
「この距離を外すのね。もう一歩下がってみようか」
コーチ、一歩下がってファイティングポーズをとる。マリに尋ねる。
「ここだとどう?」
マリが答える。
「うーん、ちょっとパンチ来る感じはないね。休みに入ったのかな?みたいな」
コーチが笑顔で言う。
「でしょ?でも山中選手はこの位の位置からストレート出すのよ」
ルミとマリが「えー」っと驚く。コーチが言う。
「こうやって、、、」
コーチ、マリに向かって軽く右ストレートを入れてみる。
「これだったら簡単に体重乗せられるしさ、いい案でしょ?」
ルミとマリが「へー」と納得する。ルミが真面目な顔で言う。
「コーチ、正直言うと、直木賞とったっていうけど、あたしそれ知らないし、ジムじゃユー子ちゃんの谷間ばっかり見てて、「この人、ほんとにだいじょぶなのかな?」って思ってたけど、やっぱりちゃんとした人なんですね」
コーチ、驚く。
「えぇぇ?オレ、そんなに谷間ばっかり見てる?」
ルミとマリ、真顔で言う。
「見てる」
「すげー見てる」
マリがダメを押す。
「だーから「ダメだよ」って言ってるでしょ?」
コーチ、残念そう。
「我慢してんだけどなー。でも、好きなモノしょーがないんだよなー」
マリが明るい笑顔で言う。
「でも、これでみんなコーチのこと見直すよ。「かみのひだり」作戦、すげーっす」
コーチ、首を左右に振る。
「ダメだよ。みんなに話しちゃ」
ルミとマリ「えっ?」と、ちょっと驚く。コーチが続ける。
「どっから話が漏れるかわかんないからさ。こっちが色々やってるように、あっちもやってるだろうからさ。これはマル秘作戦」
ルミとマリ、深くうなづく。コーチが続ける。
「キモはね、前に行くステップで体重と一緒にストレート打てることね。コントロールよく。だから、ランニングと縄跳びやって、体幹をいっそう鍛えといて。でも、前も言ったけど、ランニングはやりすぎちゃダメだよ。持久力の筋肉が発達しすぎちゃうから。瞬発力の方が重要」
ルミ、深くうなづく。
「あとはコントロールだな。パンチのコントロール。相手のガードの空いてるとこ抜いてパンチを急所に打ち込まないといけないから。サンドバッグに的つけて、それに打ち込もう。的は毎日動かして」
ルミ、深くうなづく。マリが手をあげる。
「質問!」
コーチが笑いながら言う。
「はい。マリちゃん」
マリが尋ねる。
「「かみのひだり」がはずれたらどーするの?体勢整えるまでに反撃されない?」
コーチがマリを指さす。
「いい質問。その場合は、相手に寄りかかっちゃうっていうか、抱きついちゃうっていうか、つまりクリンチに行くんだって」
ルミとマリ「なるほどー」という顔をして、瞳に尊敬が浮かび始めた。コーチ、それを察して言う。
「いやいやいや、作戦だけで勝てることなんてないぞ。作戦を実行する技術を身につけるんだぞ。油断しちゃダメだ。なにごともそうだけど、油断しないで、毎日コツコツ練習しないと。でも、週5日ね。週2日は必ず休んで。休むのも練習のうちだぞ」
ルミとマリが二人揃って、力強く「ういーす」と言った。
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