第12章 ダンナと試合?
手石漁港は、海の近くの山の麓に作られたような形なので、一部の住民の家は坂に沿って作られている。ある家から、身ぎれいなチンピラみたいな格好の男が出てきた。家の中に向かって礼をしている。チンピラがふと坂の上を見ると、ルミが立っていた。チンピラが言う。
「ルミ」
捨てられた子犬のような顔をして近づこうとすると、母レーコとトモ子が出てきてルミの左右に立つ。トモ子が言う。
「近づくな、このクズ」
トモ子横で、マリがスマホを構えて動画を撮っている。チンピラは立ち止まって母レーコとトモ子をにらんだ。トモ子が続ける。
「にらんだってダメだよ。キヨシ。このクズ。お前、ほーんと、昔っからクズだなー。だからルミは、これからお前のような者がいない所で暮らす。帰ってきてほしければ、ボクシングの試合をしろ。お前が勝てばルミは家に帰る」
キヨシ、ぎこちなく微笑しながらルミに向かって手を伸ばす。
「何言ってんだよ。ルミ、家に帰ろう」
母レーコがその手を払った。
「触るな。まともな人間のフリして。このバカ」
キヨシが「なんだとテメー」と言いながら、母レーコにつかみかかろうとした。ルミが右ストレートを出してキヨシの顔寸前で止めた。母レーコとトモ子がビックリして声をあげた。
「あっ」
「あっ」
ルミが、ケンカにボクシングを使いそうになったのを謝るように、母レーコとトモ子を交互に見て言う。
「だって、すごい顔で向かってくるんだもん」
ふと見ると、キヨシが固まっている。ルミとトモ子と母レーコとマリ、少し後ろにそそくさと移動する。またルミを真ん中にして仁王立ちした。マリは動画を撮っている。トモ子が話し出す。
「どうだ。キヨシ。試合するか?試合しないと、ルミはもう帰ってこないぞ」
キヨシ、少し固まっていたが、急に言う。
「や、や、やってやるよ」
そう言い残すと、きびすを返して去っていった。
ルミたちのすぐ後ろの角から、コーチと漁協長が見ている。コーチが面白そうに言った。
「みんな、役者ですねー」
漁協長は難しい顔で、確認するように言った。
「いま、試合決まったよね?」
コーチが笑いながら言う。
「えぇ。決まりましたね」
漁協長も破顔した。
「楽しくなりそうだね」
コーチと漁協長が笑い合った。
「いひひひひひ」
「うひひひひひ」
YOUTUBEの動画で、キヨシが「やってやるよ」と言っている。画面に煽り文句が出てくる。
【ダンナは浮気したのか?】
【妻のパンチは炸裂するのか?】
【10月10日 手石漁港特設会場 入場料(ジムへの寄付)800円 特設リングサイド5000円(飲み物付き)】
キヨシと友人二人がパソコンから目を離す。友人が苦笑しながら言う。
「おまえ、思いっきりくらいそうじゃん。てか、もはやくらってんじゃん」
キヨシが言い訳をする。
「だってさ、急だったからさ、なんか死角にもなってたし」
もう一人の友人が言う。
「ひとっつも対応できてないじゃん」
キヨシが言い訳をする。
「いや、だってよ、見えないとこから出てきたんだよ。あのオバさん二人がパンチ隠してたんだよ。普通に試合だったら当たるわけねーよ。女に負けるわけねーじゃん」
友人が笑う。
「まーなー。普通、負けねーわなー。じゃ、ま、景気づけに飲みに行くか?」
漁協近くにある「スナックゆうこ」の看板に灯りが入っている。キヨシと友人二人がカウンターに座って、おしぼりで手を拭いていると、ユー子がお通しを持ってきた。谷間は出ていない。
「すごいじゃん。あんた。すごく話題になってるよ。試合」
キヨシが笑う。
「エヘヘヘ。そう?」
ユー子が尋ねる。
「あんた、なんかスポーツやってたっけ?」
キヨシが言う。
「やってないよ」
ユー子、ちょっとビックリする。
「それでだいじょぶなのー?ボクシングできるの?」
キヨシ、何気なく言う。
「ボクシングはできないけど、女に負けるわけねーっしょ」
友人二人がうなづく。
「そらそうだ」
ユー子もビッグスマイルで追従する。
「そうだよねー。いいねー、その自信。何飲む?景気づけにボトル入れる?」
キヨシが言う。
「いいねー。景気づけ。入れよう、入れよう。サントリーの高い方ね」
友人二人がはやし立てる。
「ヒュー、キヨシ、かっこいー」
ユー子もはやしたてる。
「ヒュー、ヒュー」
キヨシ、両手をあげて応える。
翌日、ジムでコーチがみんなの練習を見ながら座っていると、ゴングが鳴って横にユー子が座った。谷間のよく見えるトレーニングウェアを着ている。
「昨日、キヨシがお店に来たよ」
コーチ、興味深そうに、でもユー子の方は向かず、不自然に正面を見ながら言う。
「へー。彼はユー子さんのお客さんなんだ。どうでした?」
ユー子がヤな顔をしながら言う。
「バカだったわ。話すほどに。相変わらず」
コーチが「ははは」と笑う。ユー子が続ける。
「スポーツやったことないんだって。でも、女相手には負けないんだって」
コーチがニヤける。
「いいね。そのオゴり。そのまま当日まで行ってくれると助かるんだけどなー」
ユー子、楽しそうに言う。
「じゃ、色んなこと吹き込んどくよ。打ち合わせ通り。左フックのことも」
コーチがやはりユー子の方は向かず、不自然に正面を見ながら言う。
「お願いします。みんなでがんばりましょう」
ユー子が微笑する。
「うん。みんなでがんばろう」
少し間がある。ユー子がポツリと言う。
「ほんとはね、ボトル入れてくれるお客さんにそんなことしちゃいけないんだけど、、、」
ゴングが鳴った。ユー子が練習を再開しようと立ち上がった。コーチの正面に立って中腰風になって胸の谷間を見せつけながら、甘い声で言う。
「コーチのためだしさ、、、漁港の女たちのためだしさ、、、」
あまりに谷間を見せつけてくるので、コーチはついに谷間を見てしまう。そして、食い入るように見入る。ユー子の言葉に微笑で反応しようとしたが、ユー子の顔にではなく、谷間に微笑みかけてしまった。ユー子は「してやったり」という笑顔になった。
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