第8章 ルミ
トモ子に連れられて、コーチと漁協長がジムに入ってきて、一番上座に座った。
トモ子がリングに入って、マイクで喋る始める。
「えー、どうもどうも、ごきげんよう。本日はお日柄もよく、皆さん、よくぞお運びくださいました」
窓の外にも入口の外にも人だかりができていて、その中にいる酔っ払った男がヤジを飛ばした。
「結婚式じゃねーぞー」
トモ子がヤジを飛ばした男を見る。
「うっせータケシ、ボケー(笑)」
ジム内に笑いが起こる。トモ子がジム内に目をやる。
「あ、すいません。はしたない言葉づかいで」
ジム内、笑い。トモ子が続ける。
「えー、まずね、町長や漁協長からご挨拶をいただくところではありますが、お二方に打診したところ「オレはいいよ」とね。どうしたんですかね?スピーチ大好きのお二人が、いつ、どこで謙遜を身につけたのか、そーゆー奥ゆかしいことをおっしゃっておりますのでね、まずね、このジムを作るキッカケを作ってくれた、そしてこのジムで教えてくれるコーチをね、紹介しますね。どうぞ〜」
ジム内から大きな拍手。コーチは何となくイヤそうに立ち上がって、リングに入って、マイクの前に立った。
「いやー、こーゆーの苦手なんですが、何か挨拶しろ、ということなので、一言申し上げます」
ジム内から大きな拍手。コーチ、漁協長の方を向いて言う。
「漁協長、こんな立派なジムをありがとうございます。皆さん、これスゴいよ。オレが行ってたジムより立派だよ」
ジム内笑い。コーチが続ける。
「じゃ、これからボクシングを学ぶ皆さんに申し上げますね。ボクシングは、ルールに沿って行われる「スポーツ」です。スポーツは、自分を高めるために行うものです。ケンカに使ったり、弱いモノいじめに使ってはいけません。
このジムで学んだボクシングをケンカに使ったり、弱いモノいじめに使ったりした人がいたら、その人は破門です。
ま、奥さまが多いのでそーゆー人もいないとは思いますが、もしいたら、その人はその入口からこのジムの中に入れなくなります。わかりましたか?」
ジム内から「はーい」という声。コーチが続ける。
「じゃ、私の話は終わります。皆さん、がんばりましょう」
ジム内から拍手。その中で、ルミが手を挙げている。
「コーチ、コーチ、質問があります」
リングしたに降りようとしていたコーチはマイクのところに戻った。
「はい、はい、何でしょう?」
ルミが立ち上がった。
「わたしでもプロになれますか?」
思いがけない質問に、コーチは少し考える。
「えぇと、それは人それぞれなんですが、、、」
コーチは目を鋭くしてジッとルミを見つめた。上から下までジックリ見ている。ボーイッシュで80年代のロックンローラーみたいな服装で、「映画『恋したくて』のメアリー・スチュアート・マスターソンみたいだな」と思った。でも、よく見ると、彼女の来ているTシャツの絵柄は石原裕次郎だった。
「なにかスポーツしてましたか?」
ルミが答える。
「はい。中学校ではテニスと中距離を」
コーチが尋ねる。
「成績はどの程度?」
ルミが答える。
「静岡の県大会に何度か、、、」
コーチの表情がやわらぐ。
「なんだ。なれますよ。女性はもともと運動する筋肉が足りないことが多いんですが、あなたならだいじょぶでしょ。33歳以下ですねよ?」
「はい」
「じゃ、真面目にコツコツ練習すれば、だいじょぶです。なんか、前に母レーコさんにも同じこと聞かれたんですが、ここら辺の女性はアレですか?みんな強くなりたいんですか?」
ジム内、笑い。コーチが続ける。
「いいですね。そーゆー前向きな女性大好きです。えーと、何事もそうですが、「強くなりたい」「プロボクサーになりたい」と心から願って、毎日努力すれば、そうなれます。
ほんとですよ。簡単でしょ?
でも、願うだけじゃダメだし、努力するだけでもダメね。願って、努力するの。
あなた、質問してくれたあなた、それを証明して手石漁港女子ボクシングジムのプロ第一号になってください」
ジム内「おーっ」っと盛り上がる。
コーチがプレハブから外に出てきた。手に紙コップを持っている。ダメージを受けたように近くにある花壇のコンクリートに座り込んだ。
プレハブの中では宴会が始まっていて、大きな声や笑い声がする。
コーチは紙コップの中身を飲もうとして、顔をしかめた。水だと思ったら、日本酒だった。立ち上がってジムの入口に行き、中を見回してマリを探した。幸いマリは入口の近くの端っこに座っていた。マリに近づいて、肩をたたいて、顔を近づけて言った。
「あのさ、水ない?」
マリは顔をゆがめた。
「はぁぁ?みずー?」
コーチはジムのそばの花壇のコンクリートでグッタリしている。マリが紙コップを持ってきて渡す。コーチ受け取ると一気に飲む。マリは苦笑しながら尋ねた。
「なんでそんなにグッタリしてるの?」
「(グッタリしながら)なぜだろう?人にたくさん会ったからかな。普段、キミたち以外と会わないから」
「そんなの、ビールでも引っかけて調子よくやっちゃえばいいのに」
コーチが厳しい表情になる。
「ボクサーが酒なんか飲むわけないだろ」
マリ、ビックリする。すごくビックリする。
「えぇぇぇぇ〜!!」
すぐ振り返ってジムの方に走っていった。
コーチ、キョトンとしている。
海猫が鳴いているので、そちらの方を眺めていると、マリがみんなを連れて小走りに戻ってきた。漁協長も母レーコもトモ子も小走りでついてきている。漁協長が真剣な顔で尋ねた。
「コーチ、ボクサーって酒飲めないの?」
「当たり前です」
漁協長が困惑した顔で尋ねる。
「一滴も?」
コーチがうなづく。母レーコが悲しそうな顔で言う。
「アタシたち、お酒飲めないと死んじゃうんだけど、、、」
コーチ、苦笑して母レーコを見る。
「いや、プロよ。プロボクサーとかプロを目指す人の話」
どよめきが起こった。みんな、ゆっくりジムの中に戻り始める。漁協長、笑いながら言う。
「なんだ。プロの話か。じゃ、コーチ、あっちに一席用意してあっから、一杯いこう」
コーチ、驚く。
「えっ?オレ、あんま飲めないんすよ。だいたい、練習は?」
漁協長がしたり顔で言う。
「え?今日はジム開きでしょ?練習はジム開きしてからだら?お祝いなんだから、飲まないと」
コーチ、不安そうな顔で母レーコ見て言う。
「え??レーコさん、レーコさん、今日は練習ないの?」
母レーコは赤ら顔で言う。
「え?ないでしょ?お祝いでしょ?コーチも飲まないとダメだよ。一人でもお酒飲まない人がいると、不吉なことが起こるってここら辺じゃ言われてんだよ」
コーチ、絶望した顔で母レーコを見ている。
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