第6章 漁協長

「えぇ!?16人ー!?」


 コーチは、自分の家の駐車場でビックリしている。背後でクミとマリがシャドーボクシングをしている。

 コーチはイスに座った母レーコにバンデージを巻いている。コーチの横にはトモ子が立っている。母レーコは微笑しながら、困ったように言う。


「いやー、なんかさ、このトモ子がね、「他にも希望者いるか聞いてみる」なんつってね、コーチ、都会の人にはわかんないだろうけど、漁村はみんな仲良くしないといけないのよ。みんなにも一応お伺いたてないと」


 コーチは母レーコのバンデージを巻きながら困った顔になる。


「でもさー、16人て、オレ、素人コーチだよ?だいたい、ここで16人も練習できないでしょ?」


 笑顔のトモ子が、よくできる営業員のように口を挟む。


「いやいやいや、コーチ、コーチィ、漁協に協力してもらうから。いまの漁協長は、昔っからレーコのシモベだから」


 母レーコ、はにかむ。


「そんなことないよぉー」


 トモ子が話しを続ける。


「それに、アタシ達が順番で夕食作っから。コーチ、毎日違うメニューを食べられるよ。夕食に困らなくなるよ」


 コーチ、バンデージを巻く手を止める。感じいったように顔をあげて、二人を交互に見る。


「それ、魅力」


 母レーコとトモ子が微笑む。コーチが続ける。


「ご飯炊くボタン押したけど、炊飯器に水入れてなくて、さぁ食べようと炊飯器あけたらご飯炊けてなくて、ただ米があったまってただけってことありますよね?」


 母レーコとトモ子、口を揃える。


「ありません」


 コーチ不満そう。


「ない?」


 母レーコとトモ子、うなづきながら口を揃える。


「ない」

「ない」


 コーチ不満そう。


「私にはあります。だから、あなた方のご提案は魅力的。とーっても魅力的」


 母レーコとトモ子、悪そうにニヤッと笑った。



 1階が母レーコ達の作業場になっている建物の2階が漁協の事務所だ。事務所の中は簡素な作りだが、三方から南伊豆の海が見えて、とても落ち着く。そこには古いが造作の良いソファーが置いてあって、母レーコとトモ子とコーチが座っている。そこへ男が近づいてくる。


「どーも、どーも、どーも。お話は伺ってます。なんか、奥さまたちがご迷惑おかけしてるようで、すいませんね」


 日に焼けた、ひげ剃り後の青い、若いんだかトシ取ってんだか、よくわからない筋肉質そうな男が、笑顔でコーチに名刺を渡しながら向かいの席に座った。


「どーせ、トモ子が「漁協長はレーコに惚れてるから、何でも言うこときくんだ」とか言ったんだら?」


 と漁協長はトモ子を見た。トモ子はキョトンとしている。


「言った」


 漁協長が笑う。


「ぶははははは」


 母レーコとトモ子も笑う。


「はははは」

「はははは」


 コーチは笑っていいのかどうか、よくわからないので、難しい顔をしてみた。

 事務員の若い女性がお茶を持ってきて4つ置いた。4人とも一口飲んだ。漁協長が茶碗を置いた途端に声を上げる。


「わかりました。ボクシングジム作りましょう」


 コーチはお茶碗を持ったまま、心からビックリした。


「えぇぇえ!そんなに簡単にぃ!」


 漁協長が微笑んでいる。


「だって、ほら、奥さまたちのタメになるでしょ?ここら辺、ほら、何にもないし。町にも補助金出すよう言ってみますよ」


 母レーコとトモ子が悪そうに微笑しながら言った。


「さーすがー。さーすが、イチローくん」


 漁協長、まんざらでもないように、照れくさそうに、


「オオヤケの場で名前で呼ぶならー」


 母レーコとトモ子が悪そうに微笑している。


「そうだそうだ。さーすが漁協長」


「よっ、漁協長」


 漁協長、マッスルポーズで受け止める。ちょっと照れくさそうにコーチの方を向く。


「じゃ、さっそくジムの候補地お見せしますら。ご意見ください」


 コーチが茶碗を持ったまま、さらにビックリ。


「えぇぇ!もう候補地もあるんですか!?」



 漁協の建物のすぐ横に平屋のプレハブが建っている。漁協長が引き戸をあけてプレハブに入っていくと、色んな古いモノが置いてあって、特有の古い匂いがする。漁協長が説明する。


「ここね、昔、魚がもっといっぱいとれた頃に作業場として作ったんだけど、最近、魚減っちゃってさ、何十年か前から物置になってんだけど、ここ片付ければジムできるら?どう?」


 コーチ、中を見回す。


「リングのサイズが6m×6mくらいですから、どうですかね?入りそうですね」


 漁協長が答える。


「入るかなぁ。あとで計っとくわ」


 トモ子が楽しそう。


「眺めのいいジムになりそうねー」


 コーチ、同意。


「そうですねー。日本一眺めのいいジムになるかも」


 漁協長、手を打つ。


「いいね。いいら、それ。「日本一眺めのいいジム」。それで静岡新聞載せよう」


 母レーコ、笑う。


「なーにー、町長選の実績作り?」


 漁協長、笑う。


「まーな。ニュースバリューあるら?」


 コーチが尋ねる。


「町長選?」


 トモ子が解説する。


「次、狙ってんのよ。みんなで応援しなきゃ」


 漁協長、作り笑い。


「コーチ、もう漁協長派だぜ」


 コーチ、ビックリする。


「えぇぇ!?」


 コーチ以外の3人が悪そうに笑った。



 母レーコ、トモ子、コーチ、漁協長が漁協の事務所に戻って座った。すぐに事務員がお茶をもってきて、4つ置いた。4人ともお茶を一口飲んだ。漁協長が茶碗を置いた途端声を出す。


「で、コーチ、必要なものをさ、書き出して送ってよ。メールでいいから。メアド、名刺に書いてあっから。オレたち何が必要かわかんないからさ。なるべく何とかすっから、、、」


 コーチが困り顔。


「そうですねー、16人もいるとなると」


 漁協長がビックリしてトモ子を見る。


「え?もう16人も集まったら?」


 トモ子が少し自慢げ。


「そうだよ。直木賞作家で元プロボクサーのいい男が無料で教えてくれる、って言ったら、すぐ集まっちゃった」


 漁協長が首をかしげる。トモ子に尋ねる。


「直木賞ってなんら?」


 トモ子、自信ありげに笑顔。


「さぁ?」


 母レーコが口を挟む。


「エラい人しかとれない、エラい賞よ」


 コーチが苦笑。みんなお茶を飲んだ。漁協長が茶碗を置いた途端声をあげる。


「そーかよー。男共に解放しようと思ったけど、そんなにいたらダメら?」


 トモ子が勢いよく言う。


「ダメだよー。みんな友だち呼んで、もっと増えるだろうし、男たちのヤ〜らしい目あるとやりにくいしさ、、、」


 漁協長が納得する。


「なんだらー。そーかよー。そしたら、女子ボクシングジムだな。「南伊豆町手石漁港女子ボクシングジム」にすっか?静岡新聞に載っける時は?」


 母レーコがほほえんだ。それを見て、漁協長はちょっとうれしそう。コーチもほめる。


「いいですね。がんばってる女子が集まってる感じで」


 漁協長、締まった顔で言う。


「よし。じゃ、急いで準備すっから」


 母レーコとトモ子がはやしたてる。


「漁協長、ステキー」


「ステキー」


 漁協長、マッスルポーズで受け止める。コーチは「この人、ほんとにだいじょぶなのかな?」と思った。

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