第3章 マリとクミ
次の月曜日、彼が気持ちよくサンドバッグを打ってると、庭の方の茂みがガサガサ言った。彼はビックリして少し後ずさった。
「なにか武器を取りにいった方がいいだろうか?」
と悩みながら、
「なんか、この前もこんなことあったな」
と思いつつ庭の方を見ていると、ヒョッコリと先日の小さな女の子と10代らしき女の子が現れた。10代の女の子は奇妙というか、イケてるサイケデリックな格好で、1970年代の水森亜土みたいだ。髪の毛は緑色だ。
彼は小さい女の子に挨拶をした。
「おっす。またボクシングやるかい?」
女の子二人は、直立不動になって一礼した。宝塚の生徒みたいな礼儀正しさだ。10代らしき女の子が挨拶を始める。
「おじさん、こいつ、あたしの妹なんです。先日はありがとうございました」
彼は、若くてサイケデリックな格好なのに、やけに丁寧な女の子にちょっとドギマギしながら、
「あぁ、どうもどうも」
なんて、彼は大人としてどうなんだろうっていう挨拶をしてしまった。
「親御さん、OKでた?」
10代の女の子は少し笑う。
「それが、どんな人かわからないから、あたしに見てこいって、、、」
この娘、よく見ると美人だな、と思いながら、彼は答える。
「そーか、そーか。でも、どんな人かってのも難しいよね。じゃ、一緒にやろう。ボクシング」
10代の女の子は、不意打ちを食らったような顔になる。
「へ?」
小さい女の子はサンドバッグに打ち込んで遊んでいる。それを見ながら、彼は言う。
「ほら。妹ちゃんもハマってるよ。やらない?」
10代の女の子はモジモジしている。
「うーん、、、さすがにー、、、どーすかねー、、、おしとやかな女子としては、、、」
「(笑)若いのに、古くさいこと言うんだなー。女子も男子も関係ないよー。最近は女子プロボクシングも盛り上がってるだろ?」
「(゚△゚;)えーーー!ほんとーっ!?」
彼は逆にビックリ。
「あれ?知らない?」
「知らないよー。ここら辺にいボクシングの情報なんてないもん」
「(苦笑)そっかー。ま、でも、どう?やってみれば、色々わかるよ」
「女子のプロがあるんですかー?」
「あるよ。世界チャンピオンもいるよ。プロになりたい?」
少し間があって、10代の女の子は、少し鋭い声で尋ねた。
「難しいんですか?プロになるの?」
「(気軽に)難しくないよ。キミに普通の運動神経と週3日練習できる真面目さがあれば。オレもプロだったんだぜ」
10代の女の子の顔がタテにちょっと伸びた。
「えぇぇぇー!?プロボクサーなんて初めて見た。マジヤバ」
「(苦笑)弱かったけどね」
「でも、プロだったんでしょ?」
「うん」
10代の女の子が興味深そうに尋ねる。
「プロって、どうやってなるの?」
「(簡単そうに)プロテストがあって、それに合格すればなれるよ」
「(興味深そうに)難しいんでしょ?」
「(簡単そうに)難しくないよ。ま、いきなり受けると難しいけど、ボクシングジム通えば全部教えてくれるから」
小さな女の子が彼の足下から手を伸ばしてきた。
「バンテージ、バンテージ」
彼は破顔して、小さな女の子の頭をなでる。
「おっ、よく覚えたね。じゃ、バンテージ巻こう」
駐車場のハジに置いた二つのイスに女の子二人を座らせて、彼はその前にひざまずいて、小さい女の子にバンテージを巻いている。小さな女の子の横に座っている10代の女の子の方に微笑みかける。
「イス一個増やしたんだけど、もう一個増やさなきゃね」
「すみません」
「(笑顔で首を横に振る)そーゆー意味じゃないよ。仲間ができるのは楽しいじゃない?」
10代の女の子がわかったような、わかんないような作り笑いで応じた。彼は、なんか楽しそう。
「これ、バンデージね。コブシを守るために巻くのね。あとでキミのも巻いてあげるから」
「面倒なんですね」
「うん。ちょっと面倒だけどね、ま、練習前の儀式にちょうどいいよ」
ひざまづいてバンデージを巻く彼に、冬の太陽があたっている。
「ところで、キミたち、名前なんてーの?」
10代の女の子が「あっ」という顔をして立ち上がった。
「す、すいません。自己紹介もしてなくて。あたしはマリ。こいつはクミ。よろしくお願いします」
と一礼した。彼も立ち上がって一礼した。
「よろしくね」
マリがイスに座って質問した。
「コーチは何してる人?」
彼が不思議な顔をした。
「コーチ?」
「だって、コーチでしょ?」
「(納得した顔)そうか。コーチだな。うん。急に教え子が二人もできたわけだ。うれしいな(微笑)」
それを見て、マリもクミもちょっと笑った。彼が言う。
「小説家だよ」
マリの顔が、またちょっとタテに伸びた。
「うえぇぇーー!?」
マリが急に立ち上がって、尋ねる。
「小説家って、文章書く人?」
コーチがうなづくと、マリが駐車場の前の道の向こうまで後ずさって、ちょっと遠くからジーッとコーチを見ている。
「(笑)なんだよ?なんで離れて見てんだよ」
「(感じ入ったように)プロボクサーも小説家も初めて見た。へー、ほんとにいるのねー、ってじっくり見てるの」
クミのバンデージが巻き終わった。コーチが道の向こうにいるマリに声をかける。
「はい。こっちおいで。バンデージ巻いてあげるから」
マリが素直に「はーい」と言って、小走りに近寄ってきて、駐車場のイスに座って左手を出す。コーチがバンデージを巻き始める。それを凝視しながら、マリが言う。
「いいねー、コーチ。こんなとこでノンビリできて」
「ノンビリしてねーよ(苦笑)一生懸命、書いてるよ」
「(疑いの目)そうなんですかー?」
「あ!疑ってる!」
マリが笑う。
バンデージを巻き終わって、コーチが二人に言う。
「はい。できたから、クミちゃんはサンドバッグ打ってね。覚えてる?3分動いて、1分休んで、また3分動くのね。ブザーが鳴ったらね」
クミが「あーい」と言ってサンドバッグの前に立った。
「いい子、いい子。じゃ、ゴング鳴らすよ」
駐車場に置いてあるボクシング専用のタイマーの電源をオンにして、ブザーが鳴った。クミがサンドバッグを打ち始めた。コーチがマリの方を向く。
「じゃ、マリちゃん、ジャブからやろう。どっち利き?」
「左です」
「(喜びの色)おー。ボクシングでは「黄金の左」と言いましてね、左利きが有利なんだよ」
「そーなの?なんで?」
「右利きよりリズムが取りにくいから、パンチがよくあたるんだって」
「(苦笑)へー、そうなの?なんかよくわかんないけど」
「(苦笑)まーな。まだパンチ打ってないから、わかんないわな」
コーチ、右手を前にして半身になる。
「じゃ、右手を前に、こう半身になって」
マリが半身になる。コーチが両手をあげる。
「その状態で両手をあげて、下げる」
マリが両手をあげて、下げて、ファイティングボーズを作る。コーチが褒める。
「お。いいよいいよ。サマになってる。そっから右のコブシを前に出して」
マリ、右のコブシを前に出す。コーチが褒める。
「いいねいいね。それがジャブね。一番基本的なパンチ。「ジャブを制するものは世界を制す」と言われております」
マリがジャブを出しながら、苦笑する。
「コーチ、格言好きなんだね」
「(笑)先輩たちの経験と知恵が詰まってんだ。マリちゃんも覚えれ」
ふと駐車場の外を見ると、南伊豆の冬の太陽がまぶしい。「やっぱ南伊豆は暖かいなー」とコーチは思った。
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