第6話 悪役令嬢の新しい二つ名


「王子殿下、王子殿下…… クリス様! 子馬は何色なのですか?」


 七歳からすると二歳違いのクリスとの体格差は、並び歩くには大きいものだった。ずんずんと歩いていくクリスに手を引かれて、転びそうになりかける。とにかく一旦足を止めて貰おうと、クラウディアは何でも良いから必死に話しかけた。


「! すみません。早く歩きすぎました」


 振り返りやっと事態に気付いて立ち止まると、クリスは、息の上がったクラウディアを見て申し訳無さそうに手を離した。


「あまり意識していませんでしたが、緊張していたようです」


 言いながら頬を赤らめ視線を逸らす。

 美少年って良い。見ているだけで幸せになれる。しかし、自分が緊張するのは当然として、なぜクリス様が緊張するのだろう、とクラウディアは小首を傾げてた。


「緊張なさっておいでだったのですか?」


 クラウディアが見上げると、クリスはわかりやすく狼狽えて目を逸らした。


「はい。……あぁ、えっと、そう! 今日は、あなたのお兄上とも会えるかと思っていたのです」

「殿下は、お兄様をご存知なのですか? 兄がこちらに参じたことはなかったかと思うのですが」

「うん。そうなのだが、自分が勝手に知っているだけと言うか、勝手にライバル視していると言うか、目標にしているというか。……あなたは歴史学のニールセン先生、国文学のマゼンタ先生をご存知ですか?」

「ええ。兄と、私もお世話になっております」

「私もです。他にも何人か、ギョー公爵家で教えている先生方に私も世話になっているのですが、よく出てくるのですよ。とても優秀な生徒として、『ルイス』の名が」

「ああ、ニールセン先生はお兄様に心酔なさっておりますものね」

「マゼンタ先生もね。……自分で言うのも何だけれど、王家なんかに生まれると、誰かと比較されるとか、自分以外の者が特別視されるとかいう経験が無いのですよ。それを、どの先生方も『ギョー公爵家のルイス様は』と言うんだから、もう、次は絶対勝ってやる! って、こっちは内心メラメラですよ」


 笑って話してはいるが、余程悔しいのだろう。声に熱がこもっている。


「会ったことは無いけれど、前々からの好敵手というか、仲間のような気持ちでいたのです。会いたかったな」

「申し訳ありません。兄も連れてくるべきでした」

「ああ、いいえ、違うのです。そうではなくて。何でしょう。噂の『ルイス』にやっと会えると、そのことに気を取られていたのは確かなのですが。それだけじゃなくて。油断していたところを横から急襲されて狼狽したというか…… ちょっと聞いていたのと違ったというか……」

「私には、あまりご興味がありませんでしたのね?」


 まだ子供なのだからそんなものだろうと、クラウディアは思わず笑んでしまった。クスクスと笑うクラウディアを見るクリスの頬が赤く染まり、真剣な面差しに変わる。


(あ、王子様相手に失礼な振る舞いをしてしまった?)


 後悔しかけたクラウディアだったが、クリスはその右手を取り両手で掴むと、先程までより強くギュッと握り込んだ。


「私たちは親同士の決めた婚約者という間柄ですが、あなたが心地良く居られるよう、誠心誠意、心を砕きます。どうか末永く…… 仲良くしてください」


 九歳ながらの真っ正面からの真摯な言葉。『わたし』が王子推しだったのは、こういうところだ。悪役令嬢クラウディアの黒い噂を耳にしても、アンジェリカに惹かれる自分の方を責め、婚約者であるクラウディアの潔白を最後まで信じようとする。……そして、最後の最後には悪女クラウディアを断頭台に送った後、彼女を信じ、愛していた時を思い出して涙する。誠実過ぎるくらい誠実。世間的にこのエンディングは賛否両論だったのだけれど、『わたし』は王子と一緒に涙し、「クラウディアの馬鹿! クリス様一人いれば十分最高じゃん!」と、枕を抱えてのたうち回った。


 推しからの愛の告白に感無量のクラウディアであったが、いかんせん、三十年の『わたし』の人生では参考にならない事態である。どう返事するのが正解かわからず、もじもじしながら「はい」と俯くしかできなかった。

 それでもクリスは頬を緩ませ、「良かった」と呟くと安堵した様子で話し出した。


「あなたの髪飾り…… アンクレットも。公爵領産の真珠ですね」

「はい。ご存知でしたか」

「ええ。海の少ない我が国では珍しい物ですから。母上が大切に持っているブローチを見せてもらったことがあるのですが、手入れが大変とかで、触らせては貰えませんでした。殆ど家宝のような物なのですが、あなたの髪飾りはそれより形も大きさも揃っている物を何粒も使っている。流石ですね」

「お詳しいのですね」

「臣民の支えあっての王家ですから」

「王家は、我が公爵領の持つに興味がおありですか?」


 唐突に投げ掛けた政治的問いに、王子が息を呑むのがわかった。


「そうですね。私はまだ海を見たことがないので、一度見てみたいと思っています」


 にっこりと笑顔で返される。さっきまで狼狽えていた筈でも、やはり王家の人間なのだ。はぐらかしたということは、今のこの国にとって『海』の持つ政治的重要性を、この年齢で知っている。その上で「見てみたい」と攻めの姿勢も見せるクリスに、クラウディアは恐れ入った。


「あなたは面白い人ですね。とても刺激を受けます。


 含みのある言葉に、クラウディアもにこりと笑って無言で返す。


「馬舎に急ぎましょう。あまり長く席を外すと誰かが探しに来てしまう」

「あの、無理に行かなくても、私は大丈夫です」

「? 馬はお嫌いでしたか?」

「もしかすると殿下は、この気詰まりな時間を早く終わらせたくて早歩きしていたのでは、と思い至りまして」


 クリスが一瞬言葉に詰まる。


「な! 違っ! 違います! それは、あの…… ちょっと、力が入りすぎました」

「?」


 やはり理解できず小首を傾げるクラウディアを見て、王子は困ったように微笑んだ。


「馬がお嫌いでないなら、ゆっくり参りましょう、ということです。それと、私のことは名前で呼んでください」

「はい。クリス…… 王子……? 様……? で、よろしいですか?」


 ただ名前を呼ぶだけなのに、舌を噛みそうになる。男性の名前を呼ぶのは、前世でも苦手だった。というか、前世では、男性は皆、自動的に苗字をさん付けで呼んでいた。


「王子は要りません。せめてさっきみたいに、クリス様、と。では急いで参りましょう。真珠姫」

「あ、はい。え? 真珠姫?」

「クラウディアに似合いでしょう?」


 初めて名を呼ばれたことと、クリスのはにかんだ笑顔に目眩がして、クラウディアはそれ以上口が利けなくなった。

 今度は互いの顔が見えるよう、横に並んでゆっくりと歩き出す。つないだ手に感じる鼓動が、自分のものなのか、クリスのものなのかわからない。それはなんだか深く思い合う恋人同士の行為のようで、クラウディアは、うっかり、自分を甘やかしたくなってしまった。


(アンジェリカ、ごめんね。クリス様があなたと出会うまでで良いから、ちょっとだけ、この席に居させてもらっても良いかな?)




 

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