第7話 【王子視点】クリス・ラインベルグはかく語りき
◇
週に一度の剣術指南の日。ラインベルグ王国第一王子クリス・ラインベルグは、城の中庭で騎士団総長に滅多打ちにされていた。
「本日はここまでに致しましょう。殿下、来週まで毎日腹筋千回、スクワット千回です」
そう言い残して去っていく大きすぎる背中を見送って、ぜぇぜぇと荒い息で芝生の上に大の字になる。「悪魔だ」と呟くクリスを、上から覗き込んでくる無邪気な顔があった。
「大丈夫ですかあ?」
「お前の父君に…… 手加減、しろと、言っておいて、くれないか」
「恐いからご自分で言ってくださいよお。『手加減して襲う狼藉者はいませんが』って睨まれるだけだと思いますけどね」
「だよな……」
「ところで、どうでした? 『魔王』は」
顔を覗き込んで来た垂れ目の少年に手を引っ張ってもらって、上体を起こす。
「それだが。メルティローズ、お前、俺を騙したな」
「家名の方で呼ばないでください。恥ずかしいんで」
「おまえはもうちょっと、その名に誇りを持った方が良いと思うぞ」
クリスの隣に腰掛け、顔をしかめて「おえーっ」と言っている少年は、ラインベルグ王国騎士団総長メルティローズ伯爵令息ラルフ・メルティローズ。見事な赤毛と、
「どこが魔王なものか。清楚で可憐で、雪のように儚くて、繊細で、……王家は
「海! 行きたい! 行きたい!」
「おまえはもうちょっと、政治を勉強した方が良いと思うぞ」
「先生方の話より、クリス様の説明の方がわかりやすいんですよ」
「我が国は地理的に、ギョー公爵領の海…… と言うか、公爵領の港を押さえられると、まともに戦略が立てられないんだよ」
ラルフがぽかんとしている。本気で知らないのか、と少し呆れつつ解説してやる。
「この国が他国と戦争しようと思ったら、ギョー公爵家の承諾が不可欠であり、無闇な戦争を回避するために、王家とギョー公爵家は馴れ合うことがなかったんだ。これまでは。……なのに、なんで今回は手を取り合うの? 国王夫妻とギョー公爵の仲が良いからってだけじゃないんじゃないの? 戦争する予定があるの? って訊いたわけだよ。クラウディア嬢は」
「へぇ」
せっかく説明したのに、大して興味なさそうに流された。戦争になったらおまえの父君が全軍の指揮を取るんだぞ、と思いつつ、他人事のようなラルフに安堵もする。騎士団総長の跡取り息子がのほほんとしていられるということは、国の平和が長く続いているということだ。まあ、少々、のほほんが過ぎる気もするが。
「よくわかんないけど、凄いね」
「うん。尋ね方もな。話の流れから自然に、不意を突いて来るものだから、受け流すことしかできなかった。本当に凄い」
「いや、そうじゃなくて。クリス様がそんなに誰かに入れ込むのなんて初めて見たからさあ」
「っ!」
「本当に凄いねえ、ギョー公爵家の子供たちは」
「ギョー公爵家の…… そうだな。ルイスも、クラウディアも、本当に凄い」
「で?」
「え?」
………………?
いよいよ目を輝かせながら先を促すラルフの意図がわからずにいると、ラルフの方でもキョトンと目を丸くした。
「え? それだけ? 『魔王』に何もされませんでした?」
「何もって? 何をするというんだ?」
「木に縛り付けられて泥玉投げの的にされたり」
「するわけないだろう」
「汚れた服をひっぺがされたり、脱いだ服を燃やされたり、下着姿で放置されたり」
「するわけない…… よな?」
「『これでも着たら?』と言って、厨房からくすねてきたウサギの皮を投げつけられたり」
「たちが悪すぎるだろ!」
「いや、噂ですけどね」
「良家の子女というのは、あれこれ尾ひれがついて噂されるものだ。その
「そうですね。色々と耳にはしますが、俺は穴に落とされただけで済みましたし」
「落とされたのか!?」
けらけらと笑うラルフと、頭を抱えるクリスである。
「まあ、凄い令嬢なのは確かですよ。メルティローズ家の人間を罠にはめて穴に落としたんですからね」
はたと気付いてぞくりと背中が寒くなる。そう言えばそうだ。ラルフは父親から古今東西のあらゆる武術、武道、戦術を仕込まれている。簡単に穴に落とされたりする訳がない。
「うちの親父殿などは、『罠の位置、仕掛け、敵を誘導するための装置…… どれをとっても秀逸だ! あの方は我が家にこそ相応しい。ぜひ嫁に!』って鼻息を荒くしてたけどね。たぶん、手元に置いて軍略家として育てたかったんだろうね。凄く残念がってたよ。相手が王子じゃ諦めるしかないって」
「ああ、それで。今日はやたらと指導に殺気…… いや、熱がこもっているなと思った」
「久しぶりに会いたいな」
「クラウディアに興味を持つなよ」
「あ、妬いてるんですね。大丈夫ですよ。興味無いです」
「その言い方はどうかと思うが。いずれ会うこともあると思うぞ。何かプレゼントしたいと言ったら、城の蔵書庫に入らせてくれないかと言われたので許可したから」
「へえ。魔王が城に出入りするんですか。何を企んでいるんでしょうねえ」
「脅すなよ」
「あはは。大丈夫ですよ。たぶん、本当は、噂ほどには悪くないって思います」
「根拠は?」
「んー…… メルティローズの、勘?」
「なら信用できそうだ」
笑い合っていると、居館二階の窓から顔を出した誰かが、金切り声で叫んでいるのに気付いた。
「やばっ。次はマゼンタ先生の授業だった。また怒られる」
「『ギョー公爵家のルイス様なら、授業に遅れたりなさいません!』って?」
クリスは苦笑いして立ち上がると、「また」と言い残して駆け出した。
「ふうん。蔵書庫ねえ。良いこと聞いちゃった」
小声で呟くラルフの、物騒な笑顔にも気付かずに。
◇
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