第5話 悪役令嬢と王子様
ガーデンパーティーから程無く、クラウディアと王子は、王城にて初対面の日を迎える運びとなった。
ここに至るまでに、婚約をなかったことにできないものかと何度となく父に打診してみたクラウディアだったが、箸にも棒にも掛けてもらえなかった。そのために内心では不貞腐れつつも、この日のためにとドレスを用意してくれた母の手前もあって、クラウディアは大人しく着付けをされていった。
リボンやフリルがふんだんにあしらわれた、真っ赤な膝下丈のドレス。一通りの支度を終えたクラウディアが鏡の前でくるりと回ってみると、母も侍女も大絶賛してくれた。ドレスを。
前世を思い出したあの日から家族の態度が変わったことに、クラウディアは気付いていた。家族だけじゃない。屋敷に仕えるものは皆、誰もクラウディアを褒めなくなったのだ。
「やぁ、おはようお姫様。今日も美しいね」であった父の毎朝の挨拶からは、「今日も美しいね」が消えた。「どんなドレスも花もあなたの可愛らしさには敵わないわ」が口癖だった母は、「今日のドレスも可愛いわね」と言うようになった。
そんな、裏を知っていれば違和感だらけの変化を、卑屈な『わたし』は「やはり、以前は皆、傍若無人な私に恐れをなして、おべっかを使っていただけなのだわ」と、疑問も持たずにすんなり納得してしまった。
そして今、鏡の中自分の姿に、クラウディアはいたたまれない気持ちになっていた。
「お母様、ごめんなさい。このドレスはとっても素敵なのだけれど、可愛らしすぎて、なんだか恥ずかしいのです。違うドレスにしてもよろしいですか?」
せっかく
しばし迷って、飾りの少ない乳白色のワンピースと薄紫のリボンとサッシュ、真珠の髪飾り、真珠が一粒あしらわれた金の鎖のアンクレットを侍女に持ってこさせた。「こんな地味な服、私を馬鹿にしているの!?」と、以前のクラウディアが怒って投げ捨て、一度も袖を通さなかった物だ。しかし、これくらいが『わたし』にはやっと許されるであろう豪奢さに思えた。
やや寸胴気味だったドレスのウエストをサッシュで絞って後ろで蝶々結びを作る。髪の毛はリボンを編み込んだルーズな三つ編みをひとつ作ってもらい、真珠の髪飾りで留める。靴は若草色に染め上げた絹製のを選んだ。
「こんなものかな」
子供らしく純真に無垢に、バレエのジゼルをイメージしてみた。真っ赤なドレスじゃ、まんま悪役令嬢だもんね、とは、心の中でだけ呟く。
「どうでしょう、お母様」
支度を整え、着替えを手伝ってくれていた母や侍女の方へ振り返ると、皆が顔を強ばらせる。
「……いっ、良いと思うわ」
「そうですね! かわっ…… か…… 清楚で素敵な装いです」
「ええ! 可愛らしいです!……えっと、ドレスが」
皆一様に口ごもり、言い淀み、クラウディア自身でなくラッピングの方を褒める。それがルイスに言い渡されていた「クラウディアを褒めるの禁止」のせいであると知らないクラウディアは、「自分は褒められるに値しないのだ」という間違った解答に確信を深めた。
やっぱりそういうことなのね、とうんうん頷きながら、父と兄の待つ部屋に入る。
「クラウディアっ!! うっ…… かっ……! すっ……! ごほん。……さぁ、王太子殿下を待たせてはいけない。行くよ」
父には呻かれた。兄は一瞬クラウディアを見た後、難しい顔をして父親を睨んでいた。
やはり変なのかもしれない。一応、アパレル関係の会社にいたのだけれど。そういえばジゼルって村娘が貴族の男性と身分違いの恋をする話だっけ。まぁ、この世界の人、ジゼル知らないから良いか。
そんなことを考えながら、クラウディアは多少腑に落ちないものはありつつも、服が褒められたのを素直に受け入れ、気を取り直して馬車に乗り込んだ。
初めて入った城の庭園では、早咲きのバラが咲き乱れた中にお茶の席が設けられていた。あちらは王妃殿下とクリス王太子殿下、対するは公爵とクラウディア。これで「ご趣味は?」などと言われた日には、まるっきりお見合いだ。
「畏まった席ではないから、気楽にしてね。可愛らしいお嬢さんですね。安心しました」
可愛らしいとは、もしかして質素ということだろうか、やはりこの席には赤いドレスが相応しかったのだろうか? ……と、少し恥ずかしくなって俯きかけたクラウディアであったが、気丈にも顔を上げ、代わりにテーブルの下で足をもじもじさせた。そんな様子を、隣の席から王太子殿下が不思議そうに眺めている。
血色の良い健康的な肌、黄金色の髪、自信に満ちた王者の風格と、澄んだ瞳を持った、太陽神とも例えられるクリス・ラインベルグ。その、『わたし』の最推しだった王子の、ゲーム中には出てこなかった幼い姿がそこにある。いつかヒロインに返上するものとは知っていても、胸が高鳴らないわけがない。
年齢はルイスと同じクラウディアの二つ上だから、今は九歳のはずだ。ゲームの中では、裏の顔が見え隠れするクラウディアを愛そうとしながらも信じきれずに迷う中で、アンジェリカという裏表のない少女と出会い、徐々に惹かれていく…… という真摯で健気で、少し不憫な役どころ。九歳の今は、一つも不憫な所など無い、光に溶けてしまいそうな繊細な美少年である。
「眼福…… 尊い……」
クラウディアは堪えきれずに小声で呟き、手を合わせた。
「公爵ったら、お子様方になかなか会わせてくださらないのだもの。もしかしたら、本当はいらっしゃらないのじゃないかと疑っておりましたのよ」
「これは失礼いたしました。クラウディアは赤子の時分に身体が弱かったものですから、少々箱入りにし過ぎてしまいましたか」
嘘である。クラウディアのやらかしが恐ろしくて、城に連れてこられなかっただけである。しかし、そんな公爵の言葉に、「ふふふ。次はルイスも連れてきて下さいませね」と、王妃の方も含み笑いで返した。
この、二人の砕けた雰囲気には理由がある。ギョー公爵と王妃、国王の三人は幼馴染みであり、『わたし』の知るゲームの舞台になる高等学園では同級だった親しい間柄なのだ。おかげで、今もまた、今般の主役である筈の子供達そっちのけでお喋りに夢中になっている。
城の警護、市井の流行り物、馬の毛色…… と、ころころと話題を変えてお喋りに興じる二人にその場を預けて、クラウディアはのんびりと紅茶を楽しんでいた。公爵家の茶葉も良い物を使っている筈だが、城で飲むからか、推しが目の前に居るからか、格別に美味しく感じる。ところが、
「あら、クラウディアちゃん、馬に乗れるのね! クリス、先日生まれた子馬をクラウディアちゃんに見せて差し上げたら?」
狼狽えてカップを落としそうになった。自分の存在など忘れられていると思って油断していたのに、話の流れから唐突に推しとのイベントが発生した。
「ちゃんとエスコートするのよ」
「母上」
母のお節介を咎めるように、きまり悪そうに少しだけ表情を険しくする推し。そんなものを目の当たりにして、悶えずにいられるオタクが居るだろうか。居るわけがない。しかし、ここはぐっと堪える。
「行きましょう」
今の今、母親に眉を顰めていたクリスが、クラウディアには平然と微笑み、手を差し出す。自分にだけ向けられたキラキラの笑顔が眩しすぎて、クラウディアは怯んだ。怯んで……
公式様、ありがとう!
姿なき創造主に感謝しながら、クラウディアは差し出された手に指先を載せた。
クリスに手を引かれて歩き出す。背後から「初々しいわねえ。お似合いじゃないこと?」などと、王妃殿下の声が幽かに追いかけてきた。
いやいや、今は流れでこうなっておりますが、さすがにお似合いなどではございません。月とスッポン、ピンとキリ、ダイヤモンドとヘドロでございます。嬉しいけれど、居た堪れません。
………………
………………
………………
えっと、ところで、この手はいつ離してくれるのでしょうね? もう王妃様からは見えないし、エスコートしてくれなくても大丈夫ですよ? というか、私の心臓が保ちそうにないので、早く離して欲しいのですが?
クラウディアの止まらない脳内ツッコミに気付くわけもなく、クリスは手を離す気配も無いまま歩き続けていた。
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