第4話 悪役令嬢はスキル「素直に謝る」を取得した
カインへの謝罪は一旦保留することにした。ああも嫌われては、どれだけ謝罪の言葉を並べたところで届くまい。別のアプローチを考えるべきだとクラウディアは判断したのだ。それに、謝らなくてはいけない相手はカインだけではない。
謝罪の場を設けてほしいという娘の言葉を受けてからの、ギョー公爵の行動は早かった。
生まれ変わった娘を見てもらおう。その上で、敢えて謝罪が必要な相手には個別に謝罪していこう。という手筈で、あっという間にガーデンパーティーを企画し、開催してしまった。まだ公式な発表はされていないが王室の一員となる娘の、禊ぎを済ませてしまおうというわけだ。まあ、婚約に関しては、クラウディア自身はまだごねていたのだが。
青味の強い薄紫のライラックが咲き乱れるギョー公爵邸の庭園。クラウディアは、集まった貴族たちの間を駆け回っていた。ドレスの裾をつまみ、ちょこんと膝を折って挨拶し、微笑んで世間話に応じる。魔王と呼ばれたクラウディアなら、既に「楽しくもないのに、どうして笑わなければいけないの?」とブチ切れていただろうが、そこは三十路女子『わたし』の社会人経験に物を言わせた。
とはいえ、ぼっち気質の『わたし』である。そもそも「大人だから我慢してやり過ごす」程度の対人能力しかなく、その上、身体は所詮七歳である。人の多さに酔って体力を消耗し、あっという間にくたびれてしまった。
一人になれる場所で、少しだけ休みたい。そう思った時には既に身体が動いていた。
沢山あるテーブルの内、端の方にある一つに目星をつける。貴婦人たちの膨らんだスカートに隠れながら、さりげなくその向こう側に回り込む。クロスの裾が持ち上げて、すっとテーブルの下に潜り込む。慣れきった、いつもの手順。魔王クラウディアのお気に入りの場所だ。
人目と喧騒から遮断された空間。
魔王はそこで悪戯を仕掛けるのが定石ではあったのだけれど。今はただ、一人きりで息をつけることがありがたい。そう、一人きり…… ではなかった。
「あら、先客がいらっしゃったのね? 失礼させていただくわ」
まさかそこに誰かいるなどと思わなかったので気付くのが遅れたが、なんと、小さな女の子(と言ってもクラウディアと同じくらいなのだが)が更に小さく身を縮めて座り込んでいた。
「お隣、よろしい?」
今更、別のテーブルの下に移るのも面倒に思えて相席を申し入れてみると、青い顔をした少女は更に顔を青くしてこくこくと頷いた。
クラウディアはにこりと微笑むと先客の隣に腰掛け、その横顔をじっと見詰めた。具合が悪いわけではなさそうだ。単に賑やかな場所が得意でない子なのかもしれない。そんなことを思っていると、クロスの外で、「ミミィ? ミミィ、何処にいるの?」と、誰かを探す女性の声が聞こえてきた。
「あなたはミミィ?」
「……はい」
「行かなくて良いの?」
「私、苦手で…… 人が……」
人が苦手。ぼっちだった『わたし』にはその気持ちが痛いほど分かる。その上、貴族社会のぼっちは、現代日本のぼっちとは比較にならない辛さがあるのだ。『わたし』は特別親しい友達も恋人もなかったけれど、仕事を持ち、オタクな趣味を楽しみ、一人でも生活できていた。貴族社会では、人との付き合いによって生活そのものが脅かされる。クラウディアはこの少女が持つであろう不安感を思うと、いたたまれない気持ちになった。
「なんだ。悪戯のためにここに潜ったんじゃないのね」
元気を出してもらいたくて軽口を叩くと、少女は少し面食らった顔をした後、くすりと笑ってくれた。
「今出て行くと注目を浴びちゃうわね。嫌なのでしょう?」
こくこくと頷いた少女が、膝を抱えて更に小さくなる。その小さな靴の爪先あたりで、一匹の蛙が跳ねた。
「私が皆の気を引いてあげる。騒ぎの間にここを抜け出して、素知らぬ振りしてお母様と合流なさって」
言うが早いか、少女の返事も聞かずにクラウディアは蛙を引っ掴んでテーブルの下から抜け出した。それからまた、婦人たちの膨らんだスカートに隠れながら人混みを抜け、さっきまでいたのとは別の端のテーブルへ向かう。そこには、誰かの飲みかけのシャンパングラスが置いてあった。そして数分後。
「ぎぃゃああああっ!」
グラスの割れる音と貴婦人の野太い悲鳴が、人の波をつんざいた。
貴婦人の口中から吐き出された蛙が、地面を跳ね回る。蛙を飲みそうになった貴婦人は金切り声を上げ、半狂乱で蛙を踏み潰そうとする。周囲の人々は蛙を捕まえようとしたり、貴婦人を宥めようとしたり……
突然巻き起こった騒動。それを取り巻く外野の中に、クラウディアは他人事のような顔をして混じっていた。
目的は達した。後は疑いの目が自分に向く前に現場から離れるだけだ。と、そっとその場を離れようとしたところで、クラウディアは何者かに背後から肩を掴まれた。
「クラウディア、まさか……」
クラウディアを捕まえたのは、ギョー公爵であった。娘の悪戯に数年来悩まされてきただけあって、さすがに察しがいい。
「謝罪させてください!」
逃げようとしていたクラウディアだったが、父親に見つかってしまっては諦めるしかない。父を振り払った勢いで貴婦人の元へ駆け寄る。クレーム対応は、スピードが肝だ。
「私、私、蛙さんが…… 池が近くに無くて…… 蛙さんが困っていたから、コップの水に入れて、助けてあげたかったの。まさか、誰かが飲んでしまうなんて思わなかったの」
謝罪の言葉を述べたクラウディアは、視界の隅に先程の少女を見つけた。一際豪奢なドレスの貴婦人の後ろで、半分身を隠しながら不安げにこちらを見つめている。無事に母親と合流できたらしい。この騒ぎでは少女が叱られることもなかっただろう。クラウディアはほっと胸を撫で下ろすと、再び、目の前の婦人を見上げた。
「ごめんなさい……!」
謝罪の言葉を口にするクラウディアの目が潤む。頬は紅潮し、口元に当てられた手は小さく震えている。実のところ、それらは全て罪悪感からではなく、企みが成功したための安堵の笑いを堪えているせいだった。笑ってしまったが最後、「やはりクラウディア・ギョーは魔王である」と周囲に再確認させるだけの会になってしまう。それでは本末転倒だ。困る。
緩みそうになる頬を引き攣らせ、眉間に力を入れて笑いを噛み潰す。必死のクラウディアであったが、周囲の反応は思わぬものであった。
クラウディアが、自分の不始末に恐れをなして、それでも真摯に謝っているように見えたのだ。そしてその姿はあまりにも幼気で、健気で、可愛らしくて…… 居合わせた大人たちは庇護欲を擽られまくったのである。
「素直に非を認めているのだし……」
「あんなに震えて……」
一瞬静まり返った後、あちらこちらからクラウディアに対する同情的な声が囁かれ始めた。
「蛙をコップに…… そうよね、うちの子も蛙を捕まえては、水に落としていた時期があったわ。本人は助けているつもりでね」
「子供って、大人の考えもつかないことをするものですわよね」
「私は蝉の抜け殻を宝石箱一杯に入れられたわよ。大好きな母さまにプレゼント、ですって」
「まあ、可愛らしい。それは叱れないわね」
会場のあちらこちらで、子供の話題が聞こえ出し、笑い声が溢れ出す。この状況になってやっと、今の今まで金切り声を上げて蛙を踏み殺そうとしていた貴婦人も、体裁を気にすべきだと気付いたらしい。ドレスの裾を正し、こほんと小さく咳払いすると、クラウディアの頭をそっと撫でた。
「そう、蛙を助けたかったの。優しい、いい子ね」
「許していただけるのですか?」
「許すも何も、怒っていないわ。でも、シャンパンに入れるのはいただけないわね。蛙が酔っ払ってしまうわよ」
「ありがとうございます! 大丈夫です。だって蛙さんは大人ですもの。子供ならオタマジャクシのはずでしょう? オタマジャクシはシャンパンに入れないように気をつけます」
貴婦人の優しい対応とクラウディアの返しに、安堵した周囲からどっと笑い声が上がる。
よっしゃ! 誤魔化せた!
態度には出さずに内心でガッツポーズするクラウディアだったが、父の目は誤魔化しきれなかったらしい。額に青筋を立ててにこにこ笑う父の、「クラウディア、ちょっと」の一言に背筋が凍った。
魔王といえども、怒った父だけはちょっと怖いのだった。
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