第2話 見た目は美少女、中身は三十路乙女


 医者が来るより先に帰邸したギョー公爵は、熱に浮かされて赤い顔をした愛娘が横たわるベッドに駆け寄ると、


「元気を出せ! お前が王太子殿下の婚約者だ! 王妃になるんだぞ!」


 これで元気になっただろう?! とばかりに開口一番で伝えた。が、クラウディアの反応は公爵が思うようなものではなかった。


「お父様、私はもうダメです」

「そんなに悪いのか? どこか痛むのか? 医者はまだか?!」

「流行病です。疫病です。もう駄目。お父様も早くこの部屋から出て…… 感染してしまうわ。……ぐっ、ごほっ! ごほっ! こうなっては、婚約者の座は辞して空気の良い高原のサナトリウムで余生を過ごすしかありません」

「サナ……? なんて? いや、そんなことはどうでも良い。まさか、余生だなんて! 気をしっかり持て、クラウディア!」


「知恵熱ですな」


 ようやく駆けつけた医師が、一通りの診察をした後、無情にも言い放った。


「朝には熱も下がっておりますよ。薬も処置も必要ありませんな」

「でも、この子、こんなに苦しそうで…… 性格が変わったようになって……! 私の祖父も、相当に偏屈な人でしたが亡くなる数日前から突然温厚で柔和になって……」

「いやいや、天啓でも下りたように唐突に道理を理解するというのは、子供にはよくあることです」


 んなわけあるかい。という皆の視線の中、老医師は笑いながら帰って行った。


 仮病作戦は無理があった。しかし、既に成ってしまった王族との婚約を、理由もなく臣下から覆すことはできない。そこが駄目ならば、せめて……


「お父様、昼間いらしていたお客様方への無礼な振る舞いを謝罪したいのです」

「ふむ。なるほど。王家に嫁ぐ者として身辺整理をして敵を減らしたいということか。なる程、流石はクラウディア。さかしい…… いや、かしこい」

「お父様、本音がダダ漏れています」

「昼間来ていた者達は、今夜の発表でクラウディアが王子の婚約者となるであろうと予測して、いち早く媚びを売ろうとやって来たような無能で低俗な輩だからな。要らぬ謝罪とも思うが」

「いいえ、お父様。私はお父様の元を訪れていた方々ではなく、その御子息様方に謝罪しなければならないのです。特にカイン・マクスウェルに」

「マクスウェル?」

「いえ、何でもありません」


 その後も必死で食い下がり、何とか父に謝罪の場を設ける事を約束させたクラウディアは、ようやく安心して眠りについた。その夜、熱にうなされながら見た夢は、ゲームのヒロイン、ストロベリーブロンドの豊かな髪をなびかせた明るく可憐なアンジェリカ・クレイルに全ての攻略対象者が跪き、悪役令嬢クラウディア・ギョーの処罰を王に嘆願しているというものであった。いや、そんなの眠れるかい!


 と、いうわけで……


「私の浅慮による愚行のせいで、御子息様に多大な心痛をこうむらせてしまったと思い至りました。本当に申し訳ございませんでした。心から謝罪致します」


 謝罪の場が整うのなど待てるわけもなく、翌日は早朝から一軒一軒を馬車で巡って謝罪行脚する事にした。こちらはたった七歳の幼女。しかも公爵令嬢であり未来の王妃殿下である。それが、格の低い貴族の家を一人で訪れ、深々と頭を垂れるのだから、訪れられた方は恐縮するに決まっている。いい迷惑だ。それでも出来ることはなんでもしなくては、とクラウディアは決意していた。

 しかし、謝罪しなければならない一番の相手、カインには会えなかった。「昨夜から叔父の領地に視察に行かせておりまして」などと伯爵は言っていたが、クラウディアが通された部屋の奥の廊下から「嫌だ! 俺はあんなクソ女に会いたくない!」と泣き喚く子どもの声が聞こえていた。あと、「しー! しー!」と声量を落とすように指示する夫人らしき女性の声も。

 伯爵は脂汗をかいて必死に誤魔化していたが、カインの主張が真っ当なもののように思えたクラウディアは、更に申し訳無い気持ちでマクスウェル伯爵に謝罪の言葉を繰り返すしかなかった。


 そんなこんなで、夕方になってようやく全ての家への謝罪が済んで公爵邸に戻ると、昼のドレスのままベッドに倒れ込んだ。


(こんなにも疲れてしまったのは、『わたし』のせい……)


 昨日までは当たり前に受けていた、両親からの蝶よ花よの甘やかしも、周囲の大人からの畏怖も、愛想笑いも、『わたし』の強固な劣等意識が受け付けない。クラウディアは嫌な子供ではあったけれど、大人になって少し…… いや、かなり落ち着けば、人の上に立ち、従え、指示する者としての本領を発揮し、妃として王と並び立つだけの度量があったかもしれない。その前に、周囲の男を籠絡しまくって断頭台から逃れる必要はあるのだが、それすらやってのけられるだろうと思えるほどに、自己に対する揺るぎない信頼もあった。

 そして、そのどちらも『わたし』には無いのだ。


 クラウディアは重たい身体をベッドから引き剥がし、ドレッサーの前に歩いて行った。

 鏡に映るのは、滑らかに波打ち白金に輝く豊かな髪と、雪のように白い肌、アイスブルーの大きな瞳と朝露を蓄えた薔薇の蕾のような艷やかな唇を持った、稀有な美しさの少女。


 ……で、あるはずだった。が、何故だろう、昨日まで当たり前に己として受け入れていたその美しさにさえ、言いようのない違和感、居心地の悪さを感じるのだ。


が可愛いわけがない)


 三十年分の卑屈な思いが、小さな胸を押し潰す。『わたし』の思いは重過ぎて、敗北したクラウディアは鏡の前から離れて蹲った。その時、


 トントン


 静かにドアをノックする音が聞こえて、顔を上げる。


「取り込み中悪いけど、ドアが少し開いてた」


 いつから居たのか、半開きのドアの横で壁に寄りかかった少年が、腕組みし、冷ややかな視線を下ろしてくる。

 二歳年上のクリスは、クラウディアとよく似た容姿をしていた。クラウディアと同じアイスブルーの冷たい瞳、クラウディアより銀が強い髪、怒ると青味を増す、透き通るような肌。クラウディアのように周囲を振り回すことはないけれど、冷たく全てを見通し、見下す。美しく、恐ろしい兄。


「お前、何を企んでいるんだ?」


 何を言いたいのかは、聞かずともわかった。妹の悪行を常に一番近くで見てきた兄である。昨夜からのクラウディアの一連の行動に、裏があると疑うのは当然だ。

 クラウディアは、口に出すべき言葉が見つからず困り果てて黙り込んだ。今はまだ九歳のこの少年もまた、いずれアンジェリカに恋するようになる男の内の一人なのだ。


「お兄様は、クラウディアがお好きですか?」


 ベッドの前に蹲ったまま、兄を見上げて尋ねる。


「好きなわけがない。お前ほどたちの悪い人間はそういない」

「そうですね。私も嫌いです。大人は私を可愛い可愛いと褒めそやしてくれるけれど、実際、それ程には可愛くない。そんな言葉はみんな、『公爵家の令嬢』に対する賛美、ごますりだったのですね。それを真に受けて、いい気になってわがまま放題なんて、愚の骨頂…… 何も知らずにおこがましい姿を晒してきたなんて、恥ずかしい。きっと、皆も陰で笑っていたのでしょうね」


 そこまで一息に言うと泣き崩れた。この聡い兄には取り繕うことなどできないと、クラウディアは知っていた。




 

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