【完結しました】こじらせ悪役令嬢は無自覚に花をふりまく

Q六

第一章 幼少期編

第1話 悪役令嬢、斜陽が脳裏をかすめる



「あっ」


 グリム・ギョー公爵邸の細長いダイニングテーブルで、この春七歳になったばかりの令嬢が夕食のスープを一さじ掬ってかすかな悲鳴を上げた。唐突に気付いてしまったのだ。ここは前世でドハマリしていた乙女ゲームの世界であり、自分はヒロインにざまぁされて断頭台の露と消える悪役令嬢であると。




 この日、ギョー公爵令嬢クラウディアは朝からキレッキレに切れていた。まず、起こしに来た侍女に「私の眠りを妨げるなんて何様!?」と当たり散らして洗顔用の冷や水をぶっかけてやり、朝食の席ではさしたる理由もなく熱々のパンを給仕係の顔に投げつけた。その後も、「あなたの顔が悪いせいで地理を憶えられない」「あなたの育ちが悪いせいで正しいステップが踏めない」などといちゃもんをつけ、数名の家庭教師を辞職に追い込むと、館を訪れていた伯爵やら何やらの自分と年の近い令息たちを意気揚々と棒きれでぶん殴り、庭の池で溺れさせ、犬をけしかけて笑いものにした。そんな夕食の席でのことだ。

 クラウディは、スプーンでスープを掬い口に運びながら、昼間見た人々の顔を思い返していた。泣き、喚き、恐れ、引き攣る醜い顔。それらを一つ一つ反芻して味わい、「ああ、今日も充実していたなぁ」などと満足感に浸っていた。

 その時だ。突然、ぱちぱちと脳内の奥深い場所で火花が散ったと思った次の瞬間、とある女の一生に纏わる出来事と感情とが音声付きの映像となって脳内を駆け巡った。それは、この国にはない概念で走馬灯と言うのだと、クラウディアは知っていた。いや、思い出した。


 その女、『わたし』が生きていたのは日本という国。死んだのは三十歳の誕生日。友人は疎か家族からさえ祝いの言葉メッセージは届かず。挙げ句、帰り際には入社時からずっと片思いしていた同期の婚約報告を聞かされた。打ちひしがれ、自棄になって一人寂しく宅飲みしていて、深酒して風呂に入った所までは記憶にある。多分そのまま眠って溺死してしまったのだ。

 心を許せる恋人も友達もいなかった。職場での仕事ぶりはある程度認められていたけれど、特別な技術があったわけではない。誰にでもできる仕事を、ただ残業して人一倍の量こなしていただけだ。贅沢もせず、老後のために貯金して、休日に満喫する乙女ゲー厶やラノベを心の支えに日常をやっつけるだけの、つまらない人生だった。


 前世の記憶。しかし、思い出したのはそれだけではない。クラウディア・ギョー。覚えのあるこの名前、この顔。それは、前世のクラウディア『わたし』が生前ドハマリしていた乙女ゲームで、どの攻略対象ルートでもヒロインの恋路に横入りして邪魔をする、絶対的な悪役。冷酷無比、残虐非道な本性を妖艶な美貌で隠し、男をたぶらかす、公爵令嬢だった。


 残虐非道…… 身に覚えがありすぎる!


 クラウディアは愕然として周囲を見回した。今だって、ただ「あっ」と呟いただけなのに、斜め向かいに座る公爵夫人母親は食事の手を止め不安そうにクラウディアを見守っているし、兄もまた…… いや、兄は平常運転でスープを飲み終え食事を進めていたが、給仕係などは青ざめてガタガタと震え、「髪の毛でも入っておられましたでしょうか!? そ、それとも、お味付けが!? まさか、おスープがお熱くてお嬢様にお火傷を!?」とパニックに陥り、今すぐにでも平伏さんとしている。どんだけ恐れられているんだ。


 なんとかその場を取り繕おうと「なんでもありません」と、言いかけたクラウディアの脳裏に、ふと、前世を思い出す前まで自分の頭の中にあった像が蘇った。

 昼間に苛めた貴族の令息たちの顔。その中の一つに見覚えがあった。記憶にある姿よりずっと幼いが、あれは、攻略対象でないながらヒロインの絶対的な味方となり、悪役令嬢クラウディアを断頭台に送るために尽力する男、カイン・マクスウェルではなかったか?


 ゲーム本編では「あの女には、子供の頃、嫌な目に遭わされた。他の男は騙せても、俺だけは見た目になど騙されない」というヒロインに向けた台詞一つの出来事。だが、長年尾を引く「嫌な目」とは、今日のこと(犬をけしかけたら、泣きながらおもらししていた)であったのかと納得がいった。我ながら今日の行いは酷い。酷すぎる。謝罪したところで、カインの幼心に刻みつけられた苦痛トラウマまでも消し去るのは難しいであろう。そう思うと身体中に嫌な汗が滲み出した。

 しかし、気付いた時には既に遅しである。残念ながら、今日の昼間に、自分を破滅に追い込むキーパーソンを自らの手で作り出してしまったばかりだ。


 無言になり顔色を失くしたまま額に汗を浮かべる娘を心配して、公爵夫人が席を立ちクラウディアに駆け寄ってくる。給仕係は青ざめて全身を震わせ、厨房から出てきた料理長は膝をついて泣きながら謝っている。そんな周囲の大人たちの顔を見下ろして、クラウディアは実感した。


(どうしよう。私ったら、なんて酷い糞ガキなんだ!)


 その瞬間、平民日本女子として生きた『わたし』が、貴族令嬢クラウディアとしてわがまま放題に育った七年間をたやすく塗り潰した。


「お母様。わたし、昼間のお客様方に謝罪しなければなりません」


 クラウディアが絞り出した言葉に、公爵夫人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「料理長も、仕えて下さっている皆にも。私は酷いことばかりしてきました。許してください」


 冷や汗をだらだらかきながら謝罪の言葉を口にし、椅子から飛び降りて料理長にかけよって膝を折る。そんなクラウディアの様子に、侍女も給仕係も呆気にとられて身動ぎできずにいる。


「ぁ…… ぅ…… クラウディア、あなた……」


 そんな中いち早く正気に戻ったのは、流石の公爵夫人であった。料理長の横で自らも跪き、娘の手を取る。


「お母様、私、本当に反省を……」

「ええ、ええ、わかっているわ」


 流石は長年(七年だけれど)母をやっているだけある。わかってくれたらしい。クラウディアが胸を撫で下ろした次の瞬間。


「医者を! 誰か、早くこの子をベッドに! 安心してね、クラウディア」

「あの、お母様? 私、病気では……」

「大丈夫! わかっているわ、可哀想なクラウディア! 気を確かに持って! すぐにお父様も来てくださいますよ。安心して。誰か早く! 早く、城に使いを!」


 今夜、クラウディアの父であるギョー公爵は王城での晩餐会に出席している。高位貴族のみを招いてのその席で、国王陛下直々に、第一王子の婚約者として白羽の矢が立った娘…… クラウディアの名が告げられているはずだ。


 クラウディアが断頭台送りを免れるのは、ヒロインが全ての選択肢やミニゲーム等でミスした場合にのみ訪れる、魔性の美女クラウディア・ギョーが全ての攻略対象を虜にしてヒロインを国外追放する超レアエンディングのみ。攻略対象が一人でもヒロインに靡くと、その人物がクラウディアの不貞を婚約者である王子に告げ口してしまう。ヒロインに惹かる部分はありながらも幼い頃からの婚約者であるクラウディアを信じようとしていた一途で生真面目な王子は、「可愛さ余って憎さ百倍!」とばかりにクラウディアを断頭台に送る。

 全ての発端となるのが、今日だ。


 よくよく思い返してみれば、これまでにクラウディアが散々に痛めつけた中にある見知った顔は、カイン・マクスウェルのものだけではなかった。しかしゲーム本編のクラウディアは、幼い頃の不始末を美貌に物を言わせて何とかしてしまうのだ。


が、美貌に物を言わせる?)


 クラウディアは絶望した。今の今までの、ただのクラウディアならできただろう。しかし、今や『わたし』を思い出してしまった。三十年の間、異性に敬遠され、後にも先にも異性と触れ合う可能性など見えない生粋の喪女の卑屈な思いが宿ったクラウディアである。全員どころか、一人でさえ、男を誘惑することなどできるはずがない。


 今日、カインという敵を作った。

 今日、王子との婚約が整った。

 今日、妖艶な美女になる可能性の芽が摘まれた。


 つまり…… 今日、詰んだ。


「お母様、私、修道院へ行きます。今すぐ」

「クラウディアーーーーーーー!!!」


 こうなってはもう、ゲーム本編に先んじて修道院に入り、恋愛の舞台を降りるしかないと考えていると、またドッと頭の中に『わたし』の記憶がなだれ込んできた。情報量の多さに瞬間的に頭がショートしたクラウディアが意識を手放す直前に見た光景は、涙ぐむ母の顔と狼狽する使用人たち、そして、その後ろで鱈のムニエルに舌鼓を打つ兄・ルイスの姿であった。因みにこの、クラウディアに無関心な兄もまた、ヒロインの攻略対象者であり、終いには断頭台に上がる妹を冷淡な目で見送るのである。


 やっぱり詰んでいる。




 

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