3.そんな間抜けな話
僕の通っていた小学校には学年の違うクラスと交流する仲良し学級というものがあって、僕が先輩と出会ったのはその五、六年生の合同授業のときだった。
仲良し学級の交流はレクリエーション形式で、スポーツや体を動かして遊ぶゲームをすることが多かった。サッカーとかインドア雪合戦とかおにごっことか。運動や目立つのが苦手な人には苦痛な時間だったような気がする。僕もその一人だった。
その日はドッジボール大会だった。上級生とグループを作って四チームの総当たりで勝敗を決める。最低でも三試合はやると聞いて、この日は憂鬱でしかたなかった。
当たるのは怖いし、投げても上手く当てられないし、数分の間、あの狭い空間で弾丸のように迫る球を避け続けるのは、運動が得意じゃない僕にとっては苦痛以外の何物でもない。
「洋輔くん、だっけ。もっと積極的に動いていいんだよ!」
一つしか歳が変わらないというのに、三崎晴香さんの背は六年生の中でも高かった。ひょっとしたら中学生と並んでも違和感がなかったかもしれない。それくらい、五年生の僕からしても大人びているように見えた。
僕が足元に転がってきたボールを渡すと、晴香さんはそんなふうに言っていた。
「いや僕は投げるのが苦手だし、強い人に渡した方が勝てるから」
実際、勝つためならそれが一番良い。僕みたいな人は早々に当たって外野に行き、出来るだけ上手い人の邪魔をしないようにする。それが最善なはすだ。
なのに、晴香さんはそれを否定した。
「んー、でも投げたいなら自由にやっていいんだよ。そりゃあ、勝つために協力してくれるのは嬉しいけど、せっかくなら楽しんで勝ちたいじゃん。皆もそう思うよね?」
僕よりずっと速い球を投げる人は不服そうにしながら頷いていた。多分、「つまんない勝ち方をするくらいなら楽しんで負けた方がいい」って思っていたのは、晴香さんくらいだったと思う。
結局、その日の試合は僕が何度も球をキャッチされたせいで勝つことができなかった。
「ごめんなさい。僕が出しゃばったせいで負けてしまって」
「んー、でも楽しかった?」
つい本音を言ってしまった。
「いつもボールに怯えて逃げてばかりだったから」
「から?」
「今日は、その、取られてばかりだったけど、本気で投げれて楽しかったです」
そうしたら晴香さんはぱあっと明るい笑顔でこう言った。
「一人当ててるのすごかった! 楽しんでくれたならわたしも嬉しい!」
無邪気な笑顔で僕を何度も褒めてくれた。
だからかもしれない。つい、また本音を言ってしまった。
「僕、背が低くて細いから運動も出来なくて、それが悩みなんです」
放課後、公園のブランコに乗りながら話をした。ランドセルは芝の上に適当に置いて、ゆらゆらとブランコを漕いでいた。
「確かにちっちゃいね。わたしともほら、頭一個分以上差があるよ」
お互いに立って向き合ってみると、晴香さんの目線は本当に頭一つ分、どころか首から上にあった。そこから少し屈んで、先輩は言った。
「じゃあ一緒にバレーやろうよ!」
「え? 突然どうして?」
「知らない? バスケやバレーをやってる人って背がぐんぐん伸びるんだよ。洋輔くんのクラスにもいるでしょ。ミニバスやってて背が高い子」
思い浮かべてみると確かにその人は背が高かった。クラスメイトで身長が高い人のほとんどはスポーツをやっていた気がする。それも飛んだり伸ばしたりする競技ばかりだ。でも僕は、すぐにうんとは言えなかった。別に家の問題じゃない。
「運動が苦手なんです。走るのは遅いし体力ないし、ドッジボールでも飛んでくるボールが怖くて逃げてばかりだったし」
「そんなの慣れだよ。私も最初は怖かったけど、慣れてきたら平気になったよ」
ほら、と言って、晴香さんはランドセルとは別に持っていたスポーツバッグから柔らかいバレーボールを取り出して、少し離れたところから投げた。ふわりと優しい放物線を描いていた。
「ちゃんとキャッチできるじゃん」
「これくらいは誰でも……」
「じゃあ次はもうちょっと強く投げてみるね」
それでもまだ下からゆったりとした球が飛んでくる。それも難なく受け止められた。それから何度かそんなキャッチボールを繰り返す。
やがて、晴香さんはやや真剣な眼差しでこう告げた。
「バレー、やってみない?」
言い方を悪くすると、しつこいなと思った。
「どうしてそんなに誘ってくれるんですか。僕以外にもバレーが出来そうな人はいくらでもいますよ」
純粋な疑問だった。別に僕じゃなくたっていい。僕なんか穴埋めにもなりはしないって。
「うちのチームの人数が少ないのが一番の理由だよ。でもそれよりもちゃんと理由があって……」
さっきまでとは打って変わって、晴香さんは宝物を愛でるようなきらきらとした目で続けて言った。
「センスというか、才能を感じたから!」
「え?」
思わず訊き返す。
「だって、あれだけ速い球を何度も避けられるってことはだよ。あれだけ速い球を見て受け止めることも出来るんだよ! ほら!」
あれだけ優しかった晴香さんはその瞬間だけ顔付きを変えて、ほんの数時間前まで隣で見ていたあの獲物を狩るような目で訴えかけてきた。
取ってみろ。挑戦状か、あるいは入団テストだったのかもしれない。
「構えて!」
ドッジボール大会で投げられる人を殺すような球威。当たると痛くて、それが嫌で逃げ続けた。でも、晴香さんからは、たった一日の数時間ばかりの付き合いだけれど、そんな悍ましさは感じなかった。
多分当たったら痛い。でも、この人は、運動がダメで嫌われてた僕のことを信じてくれている気がした。嫌がらせで強い球を投げてるんじゃなくて、取れると信じて、期待して投げている。
僕は、晴香さんの方をまっすぐに向いて、じっと集中した。
「いくよ!」
汗が垂れた。
「は、はい!」
まるで風を切るような、僕には到底投げられない速い球。いつもは後ろを向いて避けてしまう。きっとそんな球が飛んでくるんだ。
でも僕は、足先を曲げず地を踏み直して構えた。そして。
「やっぱり取れたじゃん」
腕で抱え込むようにしてボールを止める。やや鈍い音が鳴った。心臓がどくりと跳ねた。
「ふふ、咳き込んでやんの」
「慣れてない、から! 変なとこ当たっちゃって……!」
晴香さんはよく笑っていた。馬鹿にされてる感じはしなかった。
「これでバレーやる気になってくれた?」
「素人ですよ。突然入ったら邪魔になります」
んー、と首を傾げて、ああ素直に入るって言えばよかったと後悔した。まだ甘えて褒められたかったのかもしれない。
少しして、晴香さんは豆電球が点いたみたいに閃かせて、
「じゃあこれから毎日一緒にバレーの練習しようよ。上手くなったら練習に混ざろう!」
また笑顔でそう言った。
それからのこと。当然毎日ではなかったけれど、晴香さんはこの公園でバレーの練習を手伝ってくれた。
サーブとパスの練習は欠かさず、朝にはランニングに付き合わされたり昼休みには運動場に引っ張られたり、なんで僕なんかとは思ったけれど、信じてくれてる先輩のために僕は毎日特訓をした。
「あれ、中学生になったのにまだわたしより背が低いんだね、洋輔」
「前は首も見えたけど今は頭一つ分しか差はないし。これから身長もバレーの実力も追い越すから待っててよ」
「おいおい生意気言うようになっちゃってよ。こちとら一つ年上だぞ。先輩と呼んで敬えや」
少々荒々しくなっているけれど、やっぱり先輩はよく笑う。あの強引でパワフルな人柄は変わらなくて。
きっと僕は、この憧れの先輩のことが好きなんだなあって。それを自覚するのが中学を卒業して居なくなってからなんて、間抜けな話もあったものだ。
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