後編
ブルーノがとぼとぼと町に帰り着く頃には、辺りはすっかり薄暗くなっていた。
けっきょくシルフにも逃げられ、魔物の一匹も倒していない。
だというのに、疲労感が全身にのしかかるようだった。
「とんだ一日だったぜ」
町に着くなり、彼は冒険者御用達の酒場に直行した。
とにかく喉が渇いて、一杯やりたかった。
きっと酒場には、一攫千金に湧いた冒険者が溢れかえっていることだろう。
彼らと顔を合わせるのは悔しい気もしたが、ぼろ儲けをした者たちは気が大きくなっているに違いない。
今夜の酒代くらいは、余裕でおごってくれることだろう。
そんな皮算用を胸に描きながら、彼は酒場のドアを開けた。
想像に反して、中はガランとしていた。
店にとってかき入れどきの時間のはずだが、いつもよりもずっと客が少ないくらいだ。
「おや、あんたか」
ブルーノと顔見知りである酒場のマスターが、彼の顔を見て驚いたように目を見開いた。
そんな顔をされる意味が、彼には分からなかった。
「あんたも例のクエストに出かけたんじゃなかったのかい?」
「そのつもりだったんだがな……」
ブルーノはやれやれ、と言わんばかりの動作でカウンター席に腰かける。
一日の終わりに差しかかってみれば、怒りよりもおかしさがこみあげてくる。
シルフのいたずらに振り回されて、ぼろ儲けがパアだ。
こんなおかしな話はめったにない。
もし、他の冒険者から聞かされたなら、自分も爆笑していたことだろう。
――ひとつ、マスターに今日のことを話して、笑い話にしてやるか。
それが、せめてもの慰めになる気がした。
なじみの蒸留酒を一杯頼んでから、ブルーノはマスターに呼びかける。
「他の連中はどうしたんだ? まだ例の狩りから戻ってねえのかよ?」
だとすれば、ゴールデンリパーは入れ食い状態で次々湧いているのだろう。
日が暮れてからでも参加すりゃよかったか、と軽く後悔する。
「それがな、お前さん」
マスターはなぜか、ブルーノの問いかけに沈痛な面持ちを浮かべた。
他の客をはばかるように、声を落としてブルーノに告げる。
マスターの言葉を聞いたブルーノは絶句した。
「ぜん……めつ……だと!?」
ややあって、何を言われたのか分からないというように問い返す。
「ああ。なんとか生き延びたヤツもそろって重傷だ」
ブルーノはぽかんと口を開ける以外に、何もできなかった。
「
「はぁ!?」
驚きのあまり、ブルーノはカウンターの椅子からずり落ちかけた。
「グランド・オーガだと!? オクルスの森に出没していい魔物じゃねえぞ!?」
「らしいな」
マスターは言葉少なにうなずく。
ブルーノは二の句がつげなかった。
ありえない、と思う一方、魔物の出現に絶対の法則はない、ということも思い出す。
考えてみれば、ゴールデンリパーの大量発生だって十分、異常事態なのだ。
たまたま人間側に利益が大きいから、冒険者たちもギルドもそれを異常なものとして警戒しなかった。
おそらく、魔物の生態系に何かしらのイレギュラーな事態が起こっているのだろう。
町の近くにグランド・オーガの群れが発生したとなれば、調査のための緊急クエストが発行されるかもしれない。
けど、あまりにも多くの冒険者が一度に命を落とした。
果たして、ギルドがまともに機能するだろうか。
これからのことを考えると、暗澹たる思いのするブルーノだった。
「あいつらの弔い酒だ。今夜は店のおごりだから、何杯でも好きなだけ飲め」
言いながら、マスターは注文の蒸留酒をカウンターに置く。
だが、ブルーノはとても酔う気になんてなれなかった。
異物を飲み込むような顔でグラスを持ち、唇を湿らせる。
「全滅、だと……」
先ほどと同じ言葉をもう一度つぶやく。
酒の入ったグラスを我知らず、睨みつけるように見つめていた。
グランド・オーガは恐るべき上位種の魔物だが、冒険者たちが束になってもかなわないほど圧倒的な強さでもない。
ゴールデンリパーの捕獲に向かった中には、中・上級レベルの冒険者も少なくなかったはずだ。
「……まともな準備をしなかったからだ」
そうと気づく。
今回のクエストは大量捕獲が肝要で、真っ向からの魔物との戦闘になることなど、誰も想定していなかったに違いない。
とにかく誰よりも早く、誰よりも多くトカゲを狩ることばかり考えていた。
そういう意味では、冒険者ギルドのクエスト発行の仕方もまずかった。
自分も例外ではない。
狩りの邪魔になるから、と防具のたぐいは一切身につけず、ふだんあまり扱うことのない槍を手にしていた。
ブルーノは、現場の状況を想像してみた。
オーガの群れに囲まれるまで気づきもしなかったのだから、みな、トカゲ狩りに我を忘れていたのだろう。
迫る脅威に気づいたときには、もう遅かった。
おそらく戦闘は、冒険者たちの態勢が整う前に、一方的な蹂躙となってしまったのだろう。
誰も彼もが欲に目がくらんだ結果だ。
「俺も、あのシルフがいなかったら……」
ゾッと背筋が震えた。
夜になってもうだるような暑さだというのに、寒気が止まらなかった。
道で遭遇したシルフはそれを知って、ブルーノを森から遠ざけようとしたのだろうか。
それは分からなかった。
ただの偶然かもしれない。
いずれにせよ、あの一幕がなければ自分も命を落としていたことは、ほぼ確実だった。
命の恩人だ。
「金輪際俺は、シルフの討伐クエストは絶対受けねえ。ゴールデンリパーの討伐もだ」
そう声に出して誓う。
そして、いかに事前準備が自分の命を左右するか、改めて気づかされた思いだった。
冒険者稼業は、いつだって命の危険と隣り合わせだ。
想定外の事態だって、クエストを受け続けている限り、いつかは遭遇するだろう。
けど、そのときのリスクを最小限に抑えることは可能なはずだ。
とにかく、あらゆる事態を事前に予測して、可能な限りの準備を怠らない。
考えてみればこれは、冒険者ギルドでレクチャーされる基本中の基本だ。
けれど、いつしかその基本を忘れてしまっていた。
「あいつらの分まで、俺は長生きしてやる。やれるかぎり、な」
ブルーノは冒険者たちに追悼を捧げるように、グラスを掲げもった。
そして、ひと息にあおる。
ようやく、マスターの言う弔い酒がやれる気分になっていた。
【危機一髪】慎重過ぎるおっさん重戦士がなぜか命拾いした件 倉名まさ @masa_kurana
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