中編
夏の盛りの、ある一日のできごとだった。
おっとり刀、という言葉がある。
あまりに急いでいて、腰に刀を差す間も惜しく、あわてて出かける様子を指す。
このときのブルーノが、まさにそう呼ぶのにふさわしい状況だった。
「クソッ、急がねえと」
防具もろくに装備せず、飛びだすように冒険者ギルドをあとにした。
重戦士クラスの彼には、異例のことだ。
「このままじゃ、とりっぱぐれる」
焦る気持ちが、そのまま口をついて出る。
急いで、街の外へと続く道を駆けだした。
ボロいクエストだ。
こんなおいしい話は数年に一度あるかないかだった。
それが冒険者ギルドの布告したクエストだ。
ゴールデンリパーは魔物に分類されているが、普通のトカゲとサイズは変わりなく、人に襲いかかることも滅多にない。
人にとって最大の特徴は、その体が錬金術の貴重な素材となることだった。
霊薬エリクサーの材料のひとつで、まさに黄金に等しい価値を持つ。
臆病な性格で逃げ足も素早く、その生態もよく分かっていない。
貴重な素材ながら、捕獲が困難なレアモンスターだ。
そのゴールデンリパーがオクルスの森という、街から数時間ばかりの場所に突如、大量発生したという情報があった。
一匹や二匹ではきかず、何十、ヘタをすると百にも及ぶ数がいたという。
冒険者ギルドが正式にクエストを布告するくらいだから、たしかな情報なのだろう。
捕えた数だけ、無制限にギルドが買い取るという話だった。
一匹死骸を手に入れただけでも、莫大な額となる。生け捕りならその倍額だ。
市場の相場と比べても遜色のない、大盤振る舞いといえる発表だ。
このクエストの発行に、冒険者たちは色めきたった。
町中の冒険者が受注し、我先にと森へと急行した。
にわかに降ってわいた、ゴールドラッシュだった。
ブルーノも急ぎ、森へと向かう。
得物には、細身の長槍を選んだ。
ふだんは戦斧を得意としているが、今回のクエストは戦闘というより狩りだ。
リーチの長さと、命中精度を最優先にした。
それでも、はたして自分の取り分があるかおぼつかなかった。
こういうとき、特殊なスキルを持たない、戦闘特化型の重戦士は不利だ。
広範囲に攻撃できる
そのうえ、別件のクエストで町を離れていたブルーノは、クエストの布告に気づくのが遅れてしまった。
スタートから、ほかの冒険者から引き離された形だった。
「間に合ってくれよ……!」
祈りながら、とにもかくにも街道をひた走る。
流れる汗をぬぐう間すら、惜しい気がした。
だが、彼が町を出て間もないとき――。
彼の前に立ちふさがるものがあった。
蝶のような羽根で宙に浮かぶ、小人のような外見で、背丈は人の頭から首までほど。
妖精と名がついているが、れっきとした魔物の一種だ。
シルフは、クスクスクス、とブルーノをからかうように笑っている。
道をどく気はなさそうだ。
「くそっ、こんなときに!」
ブルーノは槍を構えながらも、悪態をつく。
彼が苦戦するレベルの魔物ではないが、動きが素早く風魔法の使い手でもある。
相性の悪いモンスターであった。
ともかく、一刻も早く倒して先を急ぎたかった。
「おらあっ!」
気合い一閃、連続の突きを放つ。
だが、シルフは素早く空中を滑り、そのすべてをひょい、ひょいっ、と避けた。
「ざけんな、くそがっ!」
その小ばかにするような動きに、ブルーノの頭に血がのぼる。
フェイントも織り交ぜ、右に左に、縦横にと槍を振るう。
だが、気持ちが急いているせいか、一撃もシルフには当たらなかった。
また、シルフはくすくすと笑う。
格下の魔物に舐められているようで、ブルーノはさらにムキになった。
「くらええっ!!」
この一撃で決める。
そのつもりで、ブルーノは渾身の突きを放った。
だが、刺突の姿勢になった瞬間、彼は違和感に気づく。
――腕が、軽い?
槍の感触が手元になかった。
ちらりと目を向けると、両手から長槍がすっぽりと消えていた。
「……あ?」
何が起きたのか分からず、シルフを見やる。
すると、相手は身の丈の何倍もある槍をブルーノに見せびらかすように、頭上にかかげていた。
「スティールの魔法か!?」
しまった、というように彼は叫んだ。
シルフの得意とする特殊スキルだった。
通常、レベルの高い冒険者なら、警戒していればなんなく防げる能力だ。
だが、頭に血がのぼっていた彼は、シルフの能力のことを完全に失念していた。
「返しやがれっ!」
ブルーノがつかみかかろうとすると、シルフはその手が届く範囲より高く飛びあがる。
そして、槍を持ったまま、彼の脇をすり抜け、逃げ始めた。
「なっ!?」
驚きながらも、ブルーノはそれを追いかける。
元来た道を逆走する形となってしまったが、それも仕方ない。
武器を取り戻さなければ、狩りのしようもなかった。
「待てえぇ~!」
ブルーノとシルフの追いかけっこがはじまった。
本来、素早さならシルフの飛行能力が重戦士のブルーノを圧倒しているはずだ。
だが、シルフは飛び去ることなく、ブルーノが追いつけるかどうかの距離を保ちながら飛び続けた。
時おり、ブルーノのほうを振り返り、からかうように槍を持ちあげてみせる。
怒り心頭のブルーノはそのことを疑問にも思わず、シルフを追いかけまわした。
とうとう、ブルーノは町のすぐ近くまで引き返すハメになってしまった。
ここまで来ると、彼もやや冷静さを取り戻していた。
「ここまで戻ってきちまったら、別の武器を取ってくるほうが早いか……」
宿に戻って、使い慣れた斧を取ってくることを思いつく。
シルフに盗られた槍はもったいない気もしたが、ゴールデンリパーの一匹でも狩れれば、十分にお釣りが出る。
クエストに向かうほうが先決だ。
そう決意し、ブルーノは町の中に入ろうとシルフから背を向けた。
だが、そのとき――、
「いでえっ!?」
彼は飛びあがった。
シルフが、彼から奪った槍で、尻を一突きしたのだった。
「何しやがるっ!?」
ブルーノはシルフを睨みつけた。
シルフは声を上げて笑い、まだからかい足りないとばかりに、槍を振ってみせた。
「冗談じゃねえぞ、こらっ」
ブルーノが声を荒げて突進すると、シルフはまた逃げる。
だが、あまり遠くまでは逃げない。
また無視すれば、彼の背後から槍を振るってきそうな気配があった。
「上等だ。ぜってえ、痛い目に合わせてやる!」
ブルーノは再びシルフを追いかけはじめた。
とうとう、町を離れ、オクルスの森と反対方面に向かってしまう。
夏の日差しを一身に浴びながら、追いかけっこは続く。
そのうだるような熱気も、彼の怒りに一役買っているようだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
とうとうブルーノは肩で息をつき、立ち止まってしまう。
膝に手をのせてかがみこみ、はぁはぁとあえぐ。
冒険者として一般人より体力はあるが、走るのに慣れたクラスではない。
延々走り続けるような経験は、冒険中もあまりなかった。
シルフは「もうおしまい?」とでも問いかけるように、ふわふわと彼との距離を縮めていく。
「くそがっ!」
苛立ちまぎれに、彼は足元の石を拾い、シルフに投げつけた。
シルフは「きゃあっ」と嬌声とも悲鳴ともつかない声を上げて、飛んでくる石から逃げた。
その際、槍が手からぽとりと落ちる。
そのまま、シルフは逃げ去ってしまった。
「や、やっと返しやがったか」
ブルーノは暑さと疲労によろめきながらも、地面に落ちた槍を拾う。
腹の底から息をついた。
とんだ、くたびれ損だった。
「これでやっと……」
槍を手に、もと来た道を振り返ったブルーノは、がく然とする。
いつの間にか、太陽が西の空に沈みかけていた。
いまからオクルスの森に向かったら、到着する頃には日が暮れてしまう。
素早いゴールデンリパーを夜中に狩るのは、まず不可能だ。
そもそも、いまからクエストに参加したところで、ほかの冒険者が狩りをとっくに終えてるだろう。
「ウソだろ、おい」
泣きそうな声でつぶやき、彼はがくりと肩を落とした。
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