第28話
「柏田常務に会わせて下さい。あなたは本人ではありません」
「柏田は忙しい身です。それに会っても同じことだ。どちらにも時間の無駄です」
「では、そちら様はあくまで突っぱねるわけですね」
「事実なので、仕方ありません」
「そうですか? 私には結論ありきのように思われますが? では、第三者に客観的に判断をして貰うしかなさそうですね?」
「と言いますと?」
「この国には国民の知る権利を尊重して、真実を公にしてくれる機関があります」
「マスコミのことですか?」
「どう取ろうと自由ですけど」
「無駄ですね。マスコミは裏を取りに槙嶋に接触する。すると槙嶋は自分の記憶違いに気づき、そう説明することになります」
「成程……」
「あなたもマスコミの裏取り対象になりますよ。すると、彼らはあなたについて新しい事実を発見するかもしれない」
「何です?」
「さあ? 虚言癖かもしれないし、ストーカー行為かもしれない。証人も必ず出てくるものです。成り行き次第では、あなたが誰かから名誉毀損で訴えられる可能性まであります」
「実社会のお偉い方とお話しすると、色々社会勉強ができますね! 一つ行動を起こすことは大変なことなんですね? でも、どうしてそこまで言う必要があるのですか? 何を怖れているのですか?」
「何も」
「そうでしょうか? たかが若い女一人に脅しをかけていらっしゃる」
「脅しなどとんでもない。予見を述べているのです。永年の経験から、外れることはまずありませんがね。
失礼ですが、あなたの望みは何なのですか? 槙嶋があなたを裏切ったことを確認したかっただけではないのですか?」
「裏切ったのは事実です。議論の余地は全くありません」
「ならばもう……」
しをりはかぶりを振った。
「これ以上話しても仕方なさそうですね。では私は自由にします。何も怖くありませんから」
「つまり、具体的見返りですか?」
とうとう坂巻が踏み込んできた。罠かもしれない。
「いいえ。誠意です」
「どういう形の誠意でしょう?」
「あなたが多分お考えのような形ではありません」
「そうはいっても、選択肢はいくつかあるでしょう」
「それだけはありえませんね」
坂巻はちょっと黙った。相手に要求をどう言わせようか考える間だとしをりは感じた。
「坂巻」
その時、奥の部屋から声がした。
「ちょっと失礼」
坂巻がまた衝立の向こうに消えた。
坂巻はすぐ出てきて、
「斎藤君」と中年女を呼んだ。
「はい」
傍に寄った斎藤に何事か坂巻が耳打ちすると、彼女は頷いて部屋を出ていった。
そこに柏田が現れた。
柏田は一部始終を聞いていた。
英樹が結婚まで考えた女はどんな女なのか、娘を嫁がせる親として、少し気になった。
しかし聞いていて、興味を抱いた。
二十代半ばの小娘のくせに、いやに度胸がいい。坂巻にかかれば、小娘でなくても普通は気圧され、脅しに動揺して尻尾を巻いてすごすご退散するものなのだ。
それを、小娘は気圧されるどころか、堂々と渡り合っている。虚勢でないことは声の張りで分かる。
槙嶋なんかより余程骨があるじゃないか――
柏田は俄然女の顔が見たくなった。関心を持つと、欲求を抑えられない性分だ。
元々女に勝ち目はない。有力政治家を通してマスコミにも影響力がある自社に対し一人で、レコーダー一つで立ち向かっても、それは蟷螂の鎌だ。話を続けさせれば、結局女もそのことを思い知らされ、下を向くだろう。見てみたいのは、そうなってからの顔ではなかった。
柏田が姿を見せると、坂巻はちょっと驚いたが、すぐに横にずれて、しをりの正面を彼に譲った。
柏田は椅子にどっかと沈み込み、しをりに目を遣った。
第一印象は、美形だな、だった。
「私が柏田だ」
「乃村です」臆することなく、しをりは頭を下げた。
「何が望みなんだ?」
「失礼な人ですね」
「え?」
「居るなら最初から出てくるべきです。坂巻さんにいないと嘘を言わせました」
「悪かった」
意外にも、柏田はあっさりと詫びた。坂巻が柏田の横顔をチラリと見た。人に謝るなど、この男としては異例中の異例なのだ。
「正直なところ、こっちはあんたを見くびってた。ちゃんと要求をきこうじゃないか」
「言う気がなくなりました」
しをりはまっすぐに柏田を見返していた。周りの人間を萎縮させずにはおかぬ彼の隼鷹の眼差しをものともしていない。健気に耐えているのではないことは、永年人と渡り合ってきた柏田の目には分かる。
「何故かね?」
柏田はしをりを観察した。
肌は透けるように白い。だが不健康な色ではない。血潮の赤みが肌を朱く染めあげている。若さの特権だ。髪の色が浅く見えるのは、染めているのではなく、天然のようだ。メラニン色素が少ないのだろう。眸は涼やかだが、冷たくはない。肉付きがいいがバランスがとれた唇もいい。立ったところの体つきを見たいと思った。
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