第27話

     24

 英樹は脂汗を浮かべていた。

 秘書室長の坂巻は冷たい蔑む目で彼を見ていた。

 間の悪いことに、奥の部屋から柏田が出てきた。

「どうした?」

 いつもの射竦ませるような目付きで英樹を見、ついで坂巻を見た。

 最後に目で問われた坂巻が説明を始めた。

「槙嶋が付き合っていた女が、今表に来ているようなんです」

「槙嶋の女が? それで?」

 ちらっと英樹を一瞥した。それだけで彼は竦みあがってしまった。

「この馬鹿が、朋美さんとの結婚のことで常務と話した内容を女にペラペラ喋ってしまったようです。しかも、それを録音されたらしいです」

「間抜けめ!」

 柏田は切って捨てた。

「その上、ビビって言われるままにここに女を案内してしまった」

 柏田は英樹に刃のような目を向けた。

 英樹は萎縮して背を丸めた。

「女の目的は何なんだ?」

 と、英樹を見遣り、すぐ坂巻に視線を移して問うた。瞬時に自分のスキャンダルに発展する可能性を悟ったようだ。社長就任を前にして、醜聞は絶対に避けねばならない。柏田は最早英樹を相手にしないようだ。

 坂巻は永年総会対策に関わってきた男だ。修羅場は数限りなく潜ってきている。そして柏田派だった。

「取り敢えず聞いてみましょう。仕方ありません」

「うむ」柏田は唸るように頷いた。

「後腐れないよう完璧に片をつけろ」

「わかりました。この部屋を使っていいですか? あまり女にウロウロされても困りますから」

「今どこにいる?」

「待ち合わせ室です」

「いいだろう。俺は奥にいる」

 坂巻は頷いた。それから英樹に厳冬の真剣のような目を向けた。

「斎藤課長を至急呼べ――いや、俺が直接言おう。お前は女を連れてこい。済んだら消えろ。呼ぶまで面見せるな」

「わかりました」

 英樹はうなだれるしかなかった。


 案内された待合室らしき小区画に窓はなかった。

 四席しかない小さな応接椅子に腰かけたしをりの目の前を、早足に中年の女性が通りすぎていった。

 ついで、英樹が呼びに来た。どす黒い顔をしていた。相当責められたようだ。立ち上がりながら、つい失笑したしをりを英樹は睨み付けたが、見返してやると、力なく目を逸らした。彼女は自分でも不思議だったが、英樹に対する執着はいまや全くなかった。


 案内された部屋に入ると、正面に壮年男性と、横にそこにさっき目にした中年女性がいた。

 女性がドアを閉め、しをりの後に立った。英樹は同席しないらしい。

 男が口を開いた。

「秘書室長の坂巻です。乃村しをりさんですね?」

「はい」

 坂巻は眼鏡をかけた、ひょろりと背の高い男だ。一見インテリに見えるが、首が太く、肩幅もあった。

「槙嶋から簡単に話は聴きました。レコーダーをお持ちなんですね?」

 坂巻は案外甲高い声だ。だが潰れており、凄味があった。

「はい」

「出して下さい」

 求められるままにICレコーダーを取り出した。坂巻が頷く。

 座れといわれないので、しをりは立ったままだ。坂巻も突っ立っていた。

 すると、

「秘書課の斎藤です。失礼ですが、身体検査をさせていただきます」

 と中年女が言った。

「わが社はセキュリティーに特に気を付けておりますので、ご協力をお願いします」

「それがお話を伺う前提になります」

 そう言って、坂巻が衝立の向こうに姿を消した。

 斎藤がしをりの体を触りだした。バッグの中も調べられた。

 この行為が社会的に許されるものなのかどうかは分からないが、気にしないことにした。

「済みました。怪しい物はありません」

 奥に向かって女が言うと、再び坂巻が現れた。

 怪しい物――失礼な話だ。まるで被疑者扱いだ。だがまあ彼らの立場からするとそうなのだろう。本音は、二台目のレコーダーの存在を疑ったのだろう。

 今度は椅子を勧められた。坂巻もしをりの正面に座った。

 斎藤は座らなかった。彼女は不自然な位置――しをりの後、戸口を塞ぐようにして立った。プレッシャーをかける積りなのか。

「さて、何か槙嶋に恨みをお持ちのようなのですが、ご主旨をあなたの口から話して下さい。個人的なものだと判れば、お引き取り頂くことになります」

 しをりはかぶりを振った。

「まず録音を聴いて下さい。それから補足します」

「はい」

 再生した。

「この間プロポーズしてくれましたね?」

 という、しをりの声から始まった。この直前の家に火を付ける云々のやり取りは録音していない。

「なんだよ、いきなり……」

 不機嫌そうな英樹の声が続く。綺麗に録れている。それはさっき英樹の前で再生してみせた時に確認済みだが、静かな部屋で聞くと、より鮮明だった。


 再生が終了した。

 しをりは坂巻の顔を見た。

「それで?」

 眉一つ動かさず、坂巻はそう言った。

「槙嶋さんへの怒りは勿論あります。柏田常務さんはどうだったんでしょう? 槙嶋さんの私へのプロポーズはご存知だったのでしょうか?」

「柏田はそのことは知りませんね」

「ご本人でないのに、あなたが分かるんですか?」

「私は秘書なので、柏田のことは全て知っています。私生活も含めて。あなたと槙嶋の間にどんな経緯があったのか存じません。当人達しか知らないことですから。槙嶋との関係で、あなたが傷付いたと感じておられたとしても、我々としては、お気の毒ですとしか他に申し上げようがありません。当社とは全く関わりがないことなので、あとは槙嶋と個人的に話し合って頂きたい」

「槙嶋さんは柏田常務に話したと言っているんですよ」

「事実ではありません」

「槙嶋さんが嘘をついていると?」

「もしくは勘違いか」

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